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札幌民主文学通信　

二〇二四年一〇月〇一日　３１１号

十月例会誌上合評

合評作品

　稲沢潤子

　　「香月の夏」

　　　　　　　　　　　　　　　　『民主文学』一〇月号

　　　　　　　　　　

　

 

意見１　　　　　　　　　　村松　祝子　

　　　　　　　　　　　　　

主人公の庄司和夫は小料理屋「香月」を営む五十代の独身である。

やっと四十代で自分の店を持って十年、生活のめども立って来た矢先、バブルが弾けて倒産の憂き目にあう。

いつも店に野菜の卸配達をしてくれる浜田公一に一〇万円を借りていた。

「香月」が倒産して破産宣告をしてやっと安アパートでくつろいでいるところに十万円の借金を取りに浜田公一が来た。

借した十万円を必死に取り戻そうとする浜田公一の心情が圧巻だ。

借りた庄司和夫も返したいけれど返せない社会の矛盾をよく表していると思う。

そばを通り過ぎて行く電車の轟音と熱風に煽られた後の二人を包む無言の後で突然浜田は「電車とか、飛びこんだりしないでくださいね」と庄司和夫の手を握った。

この最後の文章にこの作者の言わんとした部分であると思った。

浜田自身がそんな経験をしたのであろうかと想像されたし、ぎこちなく握り返す庄司和夫の手にこれからも負けるなと応援したくなる気持ちで読み終えた。

 

 

意見２　　　　　　　　　　　後藤　守彦

 

二か月ぶりに例会に出席しました。自営業者の苦しみがよく描かれている、書き出しから発揮されている確かな筆力と丁寧な調査・取材がそれを可能にした、庄司と浜田の関係を織り込んだことが作品の世界を深いものにした、そんなことを述べたつもりですが、まじめに働き生きた人間が社会に翻弄される姿は切ないですね。

合評で藤沢周平の名前が出ましたが、私は藤沢周平の熱烈なファンで、一〇年ほど前、山形県鶴岡市にある藤沢周平記念館を訪れた際の感激をエッセイにして通信に投稿しました。藤沢周平の時代小説に登場する市井の人びとの人生に共通するもの、「愛と悲しみの交感」「鬱屈の交感」（高橋敏夫『藤沢周平という生き方』ＰＨＰ新書、二〇〇七年）を『香月の夏』からも感じました。

 

 

 

 

 

 

　意見３　　　　　　　　　　松木　新

 

この作品では、「電車」の描写に注目しました。

６ページと１８ページでは、「鋼鉄の物体」、２０ページでは「電車」です。なぜなのか。

２０ページまでの庄司は、苦しみながらも、なんとか生き抜こうと足掻いていました。その庄司にとって、電車は自分とは無関係の、単なる「鋼鉄の物体」として認識されていました。

ところが、２０ページになって、庄司はついに出口なしの状況に追い詰められます。浜田の、「死にたいと思って死ぬんじゃなくて、楽になりたい、休みたいって気持がそうさせるんだね」というセリフは、その時の庄司の心境を言い当てたものです。

死を意識した庄司にとって、「鋼鉄の物体」でしかなかったものが、不意に、「電車」という慣れ親しんだものに変身したのです。苦しんでいる自分を優しく受け入れてくれるのではないか。庄司にはそう思えたのでしょう。

それにしても、この小説には、この国で生活している庶民の人生の真実があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意見４　　　　　　　　　　　泉　　脩

 

　個人で経営する食堂の、倒産の話である。リアルで実によく書けた作品であり、胸に迫ってくる。

　主人公は独身の中年男で、裏通りに小さな店を開き客も増えてきて、やがては身を固めようと考えていた。ところが、人の流れが変わり、客足がまばらになる。店の家賃が溜り、電気器具が壊れ、借金がかさんでくる。彼は閉店を考え、離れていた兄に泣きついて、大口の借金を返す資金を借りる。しかし、食材の仕入れなどの小口の借金が残り、いざこざが起こる。その後主人公は非正規の、雇われシェフとして、細々と生きる道を選ぶしかない。

　何とも切ない話で、大企業だけが発展し、中・小・零細企業が次々と潰れる日本の現実を、よく書いている。

　私は十九年間独り暮らしをし、外食をやむなくされた。家の近くに美味しい食堂が多くあり、年金暮らしをしながら結構楽しんできた。ところが、ひいきの店が次々と潰れるのである。待望の自分の店をやっと開きながら、いろいろな事情で続けられないのである。この作品は、私が客として通っていた店が閉店していく体験と、ぴったり一致する。

私は著者の稲沢さんに十数年前の札幌民主文学会の研究会で、中央の講師として御指導を受けたことがある。全国の会長であり、多くの優れた作品を発表してきた。最近では、『民主文学』に立派な短篇をいくつも載せ、楽しませてもらった。

民主主義文学会の優れた作家が、次々といなくなっている現在、稲沢さんの存在がとても心強い思いである。

 

 

意見５　　　　　　　　　　山田　孝子

　

最初の情景描写が上手い。グッと引き込まれた。そして、この物語の結末をまるで暗示しているような、不安が漂ってくる描写である。

　和夫と浜田の描き分けも、よくできている。二人の姿が浮かんでくるようだ。

　零細の食堂が、地域の変化で閉鎖せざるを得なくなる辛さ・・私達の周りでも起こっているような出来事と思うが、詳しい状況やキチンとした心理描写で、切々と伝わってくる。一生懸命がんばって生きてきた和夫、やっと夢を実現したのにあきらめざるを得なくなった和夫の様子がリアルに描かれていて、読んでいてこちらも口惜しい思いになる。

　最後の場面の浜田の優しさ「死のうとなんて思わないでくださいね・・」に、ホッとした。解決はしないけど、救われた気がした。

　「詩人の家」の、静謐な雰囲気とは又違った作品で、こういう情況も描ける作者の実力に、あらためて感心させられた。

 

 

　意見６　　　　　　　　　北野　あかり

 

この作品は、和の割烹店「香月」が倒産に追い込まれていく状況と、店長である庄司和夫を取り巻く人たちが、経済的に苦境に追い込まれている状況が描かれており、どうしたら救われるのだろうかという課題が突き付けられている作品だと思いました。

「香月」について、料理や器、食材を楽しむ、明るくなごやかな和の割烹店にしようとする、和夫の拘わりや、店の様子について「包丁一本で生きてきた男っす」と、店長がべらんめえ口調で話しかけるとか、明るい雰囲気は女性たちに講評と描いています。

　その「香月」が倒産に追い込まれていく状況については、バブルが崩壊し消費税が導入されたことや、再開発事業により周囲のコミュニティセンターが移転し、人の流れが変わり、客が来ない状況となった。加えて空調機や冷凍庫が壊れ、消費者金融やマチ金からお金を借りて借金が膨れ上がっていき、その返済のために疎遠にしていた兄からお金を借りることにしたり、卸し商への支払いも出来ず配達員の浜田からも借りた。しかし、返せないまま自己破産ということで閉店することになった。しかも、店仕舞いするには元の状態にしてやっと契約解除となる。そのためにもお金がいる。

　閉店後、やっと見つけた働き口も、時給１２００円と云うが研修期間は１０００円ということで、月４８０００円にしかならず借金返済は無理。

　浜田公一は、２４、５才の真面目な青年。卸し商店に努める配達員で「香月」に食材を配達している。彼は就職困難な時期の学生で、大学を卒業していながら、商店の配達員をしている。和夫とは仕事上での関係だが、鼠騒動の話や、地球温暖化によりネギが育つ前にネギ坊主になってしまうことや、市場の食材の値段が上がっている状況を伝えてくれる唯一の青年、和夫の求めで安月給にも関わらずお金の工面もしてくれていた。しかし、返済されないことが解った状況では、自ら生きていけないと、必死に和夫に返金を迫って喧騒となる。二人は、人通りのない、線路わきで立ち話をしており、返済に確証がえられず気まずい沈黙状況となる。その脇を電車が走っている。

　その時突如、浜田が手を握り「死のうなんて思わないでくださいね」と。和夫は「だいじょうぶだ」と遠慮がちにその手を握り返し、自分のことしか見えず浜田を苦しめていたことなのだと悟った。

　作品は、ここで終わっていますが　手軽に現金が得られる宣伝が湯水のように流され、若者が凶悪犯罪に取り込まれていく状況も起こっています。不況の時代を生きて行く上で、その要因やどうしたらいいのかという課題が提示されたのだと思い、この作品をもとに学び合う事が必要と思いました。

　作品の冒頭、真夏の熱波は…と、状況描写が素晴らしく、最後まで一気に読みました。浜田青年とのやり取りから、浜田や和夫の人物描写が良く描かれており、浜田青年のやさしさが伝わってきました。

 

 

　意見７　　　　　　　　　　豊村　一矢

 

昨年の『民主文学』九月号で「詩人の家」を読んだとき、久しぶりに感動したけれども、今回の「香月の夜」も同様だった。巻頭作品に相応しい。

機会があれば、周囲の人や知人に一読を勧めたいと思っている。たぶん、『民主文学』に関心を持ってくれるだろう。

題材がいい。人物像がいい。起承転結、構成がいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

　意見８　　　　　　　　　　　泉　恵子

 

　何ともつらい切ない気持にさせられた。

　まさしく昨今、現実にあちこちで起きている中小零細企業や飲食店の倒産の一端を映している。

　特にコロナ禍の中にあって飲食店は大きな打撃を受け、その中で働くことの多かった女性の自殺なども少なからず報道された事を思い出した。

　社会の末端の小さな日本料理店。自分の店を持つというささやかな喜びが、資本主義という冷酷な仕組みに翻弄されて、無慚につぶされてゆく。

　主人公の庄司和夫も生鮮ものの卸し商の浜ちゃんも気のいい、真面目な人間たちだ。

　そんな人たちが報われない社会。そんな現実でいいのかという作者の批判が背後に読めるが、そこは一切顔を出さないところは上手い。

　気候危機の問題もさり気なく挿入され、地下の炭素資源をエネルギーに変えて大気中に放出している「あとの空洞はどうなってるのって思うんですよ。すかすかの地球になってるんじゃないかな」という表現に、地球がおかしくなり、野菜にも異変が起きている状況は、人間もまたおかしくなってるのではないかと想像させる。

　冒頭に描かれている猛暑の夏の朝の情景ー猛々しい太陽の黄色い光ーなどの表現に感心した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

投稿欄

 

 

「光がなければ光を作り出してでも進んでいく」

後藤守彦

 

済州島四・三事件を背景とした、ハン・ガンの『別れを告げない』（白水社、二〇二四年）を訳出した斎藤真理子が「訳者あとがき」で、書くことの意味ついて語った作者の言葉を紹介している。

　　　

書きながら、死から生へ、闇から光へと自分自身が向かっていることを発見した。光がなければ光を作り出してでも進んでいくのが、書くという行為だと思う。

 

　『別れを告げない』はそれを体現している。チョ・ナムジュの『８２年生まれ、キム・ジヨン』（筑摩書房、二〇一八年）を翻訳し、韓国の現代小説のブームを生み出したともいえる斎藤真理子が、翻訳以外の日本語の単著を初めて上梓した。それが、『韓国文学の中心にあるもの』（イースト・プレス、二〇二二年）である。同書で斎藤は、「朝鮮戦争が韓国文学の背骨である」「韓国文学の底流には、苦しむ人たちを描いてこそ文学だという強い信念が存在する」と強調している。さらに、『別れを告げない』の「訳者あとがき」で斎藤は、韓国の小説から「哀悼は単に忘却に抗うためでなく、今を生きて未来を作るためにある」との強い意志を感じてきたと述べている。『別れを告げない』はこれら三つの特徴をすべて有しているといえよう。

　先ず作品の背景となっている四・三事件について確認しておきたい。日韓の研究者が日韓歴史共通教材として作成した『日韓交流の歴史』（明石書店、二〇〇七年）は、次のように叙述している。

 

一九四八年四月三日、済州島では、単独政府樹立反対と米軍の撤収を主張して一部住民が武装蜂起し、道内の官公庁と警察署を襲撃した。米軍政はこれを共産主義者の暴動とみなし、大規模な軍隊と警察を動員して遊撃隊を鎮圧した。その掃討作戦は一九五四年まで続き、この過程で数多くの民衆が犠牲になった。

 

朝鮮戦争の前史となったこの事件では、日本帝国主義に代わって朝鮮を支配しようとした米軍と韓国の保守勢力の徹底した暴力が発現された。犠牲者は三万人といわれている。現在、民主化された韓国では、軍事政権の下封印された事件が再評価され、犠牲者の名誉回復が進められている。

　遺書を何度も書き、肉体的にも精神的にも死の淵を歩いている作家キョンハは、指を傷つけて入院した友人である映画作家で工芸家のインソンから呼び出される。インソンは「私たちの行為のすべてに目的があり、苦労や努力が毎回失敗に終わっても意味だけは残ると信じさせてくれるたくましい落ち着き」がある女性だった。インソンから飼っている鳥の世話を頼まれて、キョンハの出身地である済州島のアート工房に向かう。工房のある村は大雪だった。私は韓国を七回訪れているが、済州島に足を踏み入れていない。南の島だから雪が降るとは思わなかった。冷静に考えたら、韓国の最高峰ハルラ山標高一九四七メートルがある島だから、山間部で積雪があってもおかしくないのだが。雪に閉じ込められた家でローソクの光の下、過去と現在が交錯する。死んでいた鳥がよみがえり、病院にいるはずのインソンも現れる。魂と魂がふれあう、幻想的な世界の展開。インソンは、四・三事件を生き延びた、認知症の母を四年間介護した末に喪うが、「この世でいちばん弱い人」「生きた抜け殻みたいな人」と思っていた母の本当の姿、真実への執念を理解していく。キョンハもインソンの思いを受けとめていく。キョンハとインソンの愛の昇華。哀悼を終わらせない、それが書名『別れを告げない』の意味である。

何といっても、文章がいい。書評家豊﨑由美の言葉を借りると、「詩のように繊細で美しい、ゆえに悲しみをまとうことになるという希有な文体でつづ」（「トヨザキ社長の鮭児書店」『北海道新聞』二〇二四年九月二九日号）られている。そして「ちらちらと雪が降っていた」という描写で始まる『別れを告げない』の全編を雪のイメージが包んでいる。インソンと一緒に雪の降る窓外に目をやっていたキョンハは思う。

 

　　雪はほとんどいつも、非現実的なものに感じられる。速度のためか、美しさのゆえだろうか？永遠と同じくらいゆっくりと雪片が宙から落ちてくるとき、重要なことと重要ではないことが突然、くっきりと区別される、ある種の事実は、恐ろしいほど明白になる。

 

四・三事件はたった一日の出来事ではなく、一九五〇年から始まる朝鮮戦争の悲劇につながっていく。朝鮮戦争では南北合わせて四〇〇万人もの人たちが犠牲になった。一〇〇〇万人の離散家族も生じた。こうしたとなりに暮らす人たちの苦しみ・悲しみをよそに、日本人は特需景気だと浮かれていた。南北分断が朝鮮戦争の原因であり、分断の基底的責任は、朝鮮を植民地化した日本にあるというのに。日本の無理解・無責任は依然として続いている。

 

【付記】

一〇月一〇日、本エッセイを脱稿した直後、ハン・ガンが今年のノーベル文学賞受賞との報に接した。心から祝福したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ラウリ・クースクを探して』が面白い

　　　　　　　　　　　　　　　松木　新

 

宮内悠介『ラウリ・クースクを探して』（朝日新聞出版　２０２３年８月）は、第１７０回直木賞の候補作品ですが、受賞した川﨑秋子『ともぐい』よりも、この作品の方が、スケールからいっても断然面白いと思いました。

ソ連時代のエストニアに生まれたラウリ・クースクと、ラウリの同級生でレニングラード生まれのイヴァン、同じくエストニア生まれの同級生カーテャ。この三人が、ソ連崩壊からエストニア独立へとつづく激動する歴史をどのように生きたのか、がこの小説のテーマです。

バルト三国のなかで最も北に位置するエストニアは、かつてはドイツに占領され、第二次大戦後はソ連に占領されました。

９１年１０月のソ連崩壊で独立したエストニアはＩＴ先進国として知られています。

〈国じゅうのデータベースを横断するデータ交換層――エックスロードと名づけられたそれが、国を情報通信化していく上での、いわば幹線道路となった。

公的機関からは住民登録センターや健康保険センター、ほか年金や自動車登録、公文書管理、民間企業からは通信や五大銀行などがすべてこのエックスロードにつながれ、一元化された情報のやりとりを可能とした。

それからマイナンバーカード。

また、レストランやガソリンスタンド、空港など多くの場所で、無料のＷｉＦｉが使えるようになった。そして、世界に先駆けてのインターネット投票だ。

エストニアはまさしく水晶の国へと変貌を遂げつつあった〉

ラウリとイヴァンは黎明期のコンピュータ・プログラミングで希有な才能を見せ、カーテャはデザインに優れた才能を発揮していました。

ラウリは田舎の貧乏な家庭の出身、イヴァンは父親が共産党員のエリート、カーテャの祖父は元パルチザンで、父親はエストニア人民戦線です。ソ連邦に属していたエストニアで、国の独立のためにたたかっていた人々が存在していたことを知ったのは新鮮な驚きでした。

三人はコンピュータ・プログラミングの道に進もうと切磋琢磨しますが、十四歳の秋、ソ連が崩壊しエストニアが独立します。

〈突然の民主化や通貨の切りかえ、そしてたくさんの企業の倒産やＧＤＰ減、さらに激しいインフレ〉が三人を襲い、彼らが希望していた進路は、ずたずたにされてしまいます。

時代の波に翻弄された彼らは、それぞれの仕方で挫折を乗り越え、数十年ぶりに再会するところで、この物語は閉じられています。彼らが通過した痛苦の体験が、この小説の読み所になっています。

そのなかで、カーテャが語るアイデンティティについての考えが、参考になりました。

〈「一口にバルト諸国と言っても、そこに属する三国はそれぞれ異なります。というのも、わたしたちは独立回復にあたり、それぞれにアイデンティティを選び直しました。このとき、三国の取ったポジションが微妙に異なるのです」（略）

「ラトヴィアはバルトというアイデンティティにこだわりました。対してリトアニアは、北欧、バルト、中東欧をつなぐ、文明の十字路のような役割、わたしたちエストニア人は、フィンランドに近いこともあってか、北欧の一員としてのアイデンティティを選択しました」（略）〉

「アイデンティティとは、人々が自らの手で選択するものだということです。ですからわたしも、独立回復とともに得た新しいアイデンティティを大切に、それに沿ったデザインをしているということです」〉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エッセー日記（九月）

充実した一ヶ月

泉　　脩

　

　昨年より過ごしやすい一ヶ月だった。私は読書と執筆に打ち込んだ。松木喜久夫さんの短篇集は素晴らしかった。松浦映子さんの五冊目の『オフィス晴ればれ』もよかった。どちらも現実をよく描いていて、とても勉強になるし、とても楽しい。次の本に載せる評論が次々と書けて、充実した内容になりそうで嬉しい。

　ウクライナとパレスチナの戦争は長引くばかりで、解決しそうにない。アメリカ大統領選挙は残り一ヶ月に迫り、世界中が注目している。トランプが勝てば、極右の勢力が更に強まるだろう。これは危ないことである。

　日本では、自民党と立憲民主党のトップの交代が行われた。自民党は九人が立候補したが、裏金問題の解決には誰も口を閉ざしている。一方、立憲民主党の四人の候補は、全員が「日米協力を基軸に」と主張している。戦争に敗れて八十年、アメリカの言いなりを、これからも続けるのである。つまり最も大切な問題には、誰も手を付けようとしないのである。困ったものだ。

　野球は実におもしろい展開である。大リーグでは大谷が大活躍し、ホームラン・盗塁・打率の三冠王も、もう少しで獲得しそうだった。ワールドシリーズはどうなるか、楽しみである。

　日本ではファイターズがパ・リーグ二位で、クライマックスシリーズの勝利を目指している。日米ともに、十月の激闘が楽しみである。

　九月二十六日、姪の西山博子さんが久しぶりに来道し、忍さんと三人で定山渓温泉の「ふる川」に一泊した。会うのはほぼ十年振りで、積もる話がたくさんあった。博子さんは兵庫県赤穂市に住み、パーキンソン病などで病床にある夫を看病している。その夫の勧めで、やっと故郷北海道に来たのである。私より二十歳若い博子さん、更に十歳若い忍さんと、ゆっくり話し合うことができた。若い二人は次の日、妻の墓参りをして、私たちは別れた。私はもう藻岩山麓の墓地に上っていく力が無いのである。来年九月にまた来ると言って帰っていった。次は三人で白老虎杖浜の「ふる川」に一泊する予定である。太平洋の眺めが絶景の、素晴らしいホテルである。何としても次の再会までもう一年、がんばって生きようと思う。

　なお、博子さんの話では、本州の夏の暑さは異常で、六月半ばからエアコンを点けっぱなしだという。日中は外出できず、犬も足の裏が熱いためか、散歩に行きたがらないそうである。仕方ないので、夜の九時頃に散歩に連れ出すという。北海道は涼しくて天国なのである!

　二人の女性との話し合いで、おもしろい話があった。

まず自民党の総裁選挙で、石破について「顔がよくない」そうである。日本を代表する首相に顔が相応しくないらしい。女性にとって、この様なことが大切なのか。私は政治家の顔など、どうでも

いいのだが。

　大谷の話になると、二人とも大ファンだった。やはり顔がいいのだろう。昨年のＷＢＣの前、博子さんは名古屋で偶然、大谷に会い、スマホで撮った写真を見せてくれた。よいアングルの見事な写真だった。忍さんが羨ましがると、忍さんのスマホに移してくれた。スマホを持たない私にはびっくりである。

　忍さんは私の息子と結婚する前、ファイターズファンで大谷を知っていた。今では三人とも大谷ファンなのである。

　博子さんは私の妻の兄の娘で、兄夫婦の離婚でとても苦労した。私の妻は博子さんをずっと可愛がり、博子さんも「春美ちゃん」と呼んで慕った。亡き妻春美が、私たちを結び付けてくれたのである。そして今では私を慕ってくれて、一人息子の妻の忍さんと仲良しなのである。私たち三人は血縁ではないが、お互いに大切な存在になり、時には一泊旅行をして、積もる話をして楽しんでいるのである。

　北海道と赤穂は遠く離れているが、これからも毎年会うことになった。とても嬉しい。私の残された短い人生の珠玉のような時間である。人生とは苦しみが多いが、こんな楽しみもあるのだ。来年の九月の再会まで、何としても生き抜かなければと思う。

 

 

松本喜久夫『そこにある希望』

さわやかな教育短篇集

泉　　脩

　

　大阪で三十八年間小学校の教師を務め、学校演劇のシナリオを書いてきた著者が、退職後に小説を書き始めた。その最初の短編「新任教師」と第二作「オーストリア王の帽子」に、私はとても感動した。

　「生徒に学ぶ」という教育観が、私とまったく同じなのである。そこで私は自身の教育実践の本を送り、文通を交わした。そして十年が経ち、松本さんの最初の短編集を頂いた。第三作で「そこにある希望」（二〇一三）から八作品である。どれもさわやかで心を打たれる作品である。

　主人公は女性教師が多く、作者の分身ではないが、作者の豊かな教育実践が込められている。時には脇役に作者の分身と思われる教師が出てくる。私の好きな灰谷健次郎の『兎の眼』と同じである。

　七作品は維新の会の府政・市政の時期である。反自民の野党を装いながら、教育政策は管理と締め付けの自公政権と同じである。「身を切る」、「大阪を発展させる」と聞こえの良いことを言いながら、幼保一元化とか高校統合と合理化を進め、子どもの豊かな発達と教職員の自由な教育を押し止める内容である。

　このため、この本のすべての作品が反動的教育政策とのたたかいになっている。父母・教師が協力して、見事な教育実践を進めている。

　私が特に感銘を受けたのは、最後の「夜明けに飛ぶ鳥」である。小学校に赴任した新卒の女教師が四年生の担任になり、学年主任のいたわりの中で、なんとか一学年を終える。二学期の特別授業で『笠子地蔵』の授業をやり通すところは感動的である。生徒たちを慈しむ彼女のもとで、どの生徒も伸び伸びと力を発揮するのである。

祖母が沖縄出身で、彼女をとても可愛がった。彼女は沖縄に関心を持ち、大阪教職員組合の沖縄ツアーに参加する。辺野古新基地建設のための埋め立てに反対する座り込みに参加し、隣り合った老人に彼女は関心を持つ。老人は彼女の名前を聞いてショックを受けるのである。祖母は大阪の大学在学中に、やはり沖縄から来た学生と恋をして妊娠をした。ところが学生が突然失踪し、祖母は男の子を生み育て、孫娘を可愛がったのである。

　彼女は五年生の担任になり、学年全体（三クラス）で沖縄問題を取り上げる。この年の夏休みに再び沖縄を訪ね、座り込みに参加して老人に再会し、彼が祖父であることを突き止める。そして、秋の特別授業に祖父を招き、祖母と再会させるのである。かつて祖父は欲しい本を万引きして捕まり、公安への協力を強要され、失踪したのだった。三人は話合い、祖父母は和解して祖母は沖縄行を決意する。孫娘は沖縄で会った教師の誘いを断り、大阪で民主的教師になる決意をする。

　この作品は、辺野古埋め立て反対のたたかいと絡めて、大阪でもたたかいを受け継ぐ話である。祖父母はかつて七〇年代のたたかいの仲間であり、別れた後も別々にたたかいを続けてきた。そして孫娘が受け継ぐのである。大阪では、維新府政・市政とのたたかいがもっとも重要である。大阪都を作るという主張は、関西の人々の東京コンプレックスを利用した戦略で、二回の府民の投票を行った。

　「新たな朝」では、退職したばかりの女教師が地域活動に誘われ、二回目の府民投票反対に打ち込む。その中で維新の会を支持しながら、「一つの国に二つの都は在り得ない」と言う中年の男性に会った。主人公はマイクを持って棄権防止に努め、遂に逆転勝利する。一年早く退職した夫も協力し、維新支持だった弟も考えを改める。

　維新の会は公明党に次いで与党を目指し、野党のフリをしながら支持を伸ばしてきた。今や国会でも議席を増やし、大阪では万博に入れ込み、その跡地をカジノにしようと企んでいる。

　この本は維新の会の野望と戦いながら、子どもの健やかな成長にこそ希望があると、一貫して主張している。かつては部落解放同盟の暴力とたたかい、現在では維新の会とのたたかいである。

　松本喜久夫さんのこの短篇集は、さわやかで実に感動的な本である。現在もシナリオ作りを続け、いわば二刀流である。

 

 

 

 

 

松浦映子『オフィス晴ればれ』

多彩な北海道物語

泉　　脩

　

　幼稚園長十年、大学講師として十年を経て、七十歳から小説を書き始めた著者の五冊目。一年一冊のすごいスピードで、すべてがとてもおもしろい。七十年の豊富な人生経験と、突然開花しためざましい筆力にびっくりする。七十代半ばの著者の才能はどこまで発揮されるのだろうか。今回は三作の短篇集でどれも興味深い物語で惹き込まれてしまう。

　第一作『オフィス晴ればれ』は、札幌ススキノの一角にある会社の物語である。女性社長晴山すみれが経営し、どんな頼み事でも受け付け、多彩な社員達がチームを作って解決に努める。冒頭、シューマンこと滝本柊真が若い太った女性の相手をする。一時間五千円で彼女の恋の悩みを聴くのである。彼女は祖父の遺産で生活には困らないが、多食で太り、働くことを知らず、そして美容室の男性美容師に恋をしたのである。

　シューマンの助言で彼にプレゼントをするが、初デートで金をまきあげられて終わる。しかし、後に思いがけない幸いにめぐりあう。

　夫婦で秋田から札幌に出て土建業を始め、成功した熊谷夫人から指輪探しを頼まれる。五百万円もする指輪を、トイレに落としたのである。ところがこれが思い違いであることが分かり、次に彼女の唯一の友人の心変わりの原因の調査を頼まれる。

　すみれ社長みずから調査し、その友人がカラオケ仲間に熊谷夫人の粗雑ぶりの悪口を言うのを聞き込む。この熊谷夫人は後に、秋田名物の漬物イブリガッコ作りで当たり、太ったムーヤンこと細川陸を雇い、二人は仲良くなり、息子の妻に迎える。

　このような、さまざまな人物の登場で多くのエピソードが生まれ、かつて夫に失踪された晴山すみれ社長の悩みも解決し、このなんでも屋は更に発展することになる。

　ともかく、どのエピソードもおもしろく意外な展開をみせる。テンポの速いミステリー（推理小説）だと思う。

　第二作『平和工房の一週間』は、日本民主主義文学会の今年（二〇二四）の新人賞佳作になった。七十人も応募し、新人賞は該当者なしで、事実上のトップになった作品である。なぜ新人賞にならなかったのか、私にはどうしても分からない。

この作品は、ウクライナの子ども達のために、三人の高齢の女性がバッグを作る話である。和服の端切れを上手に使ってたくさんのバッグを作り、バザーで売る話である。

著者が実際にやって、七万円の売上金をウクライナに送った。作中で二人が協力したことはフィクションである。三人はそれぞれのロシアとのかかわりを話し合い、いわゆる北方領土問題や、かつて南樺太から北海道に移住してきた樺太アイヌについて、読者も認識を深めることになる。三人の北海道弁と、持ち寄った北海道らしい食べ物がおもしろい。深刻な内容が、テンポよくコミカルに描かれ、読んでいてとても楽しい。

実によくできた作品で、今さらながら著者のすごい筆力がわかるのである。

第三作『平和工房の二か月間』は、第二作の続編である。三人の女性に加えて、前作の著者も登場する。

彼女は自分の作品が佳作になったことを大喜びして、授賞式に出席しようとする。ところが全国誌『民主文学』の六月号（二〇二四）に佳作三作と共に載った、五人の選者の文章を読んでショックを受ける。この内の一人の文章に、―この作品は芸術的ではない―といった意味の言葉が書かれていたからである。著者は楽しい文学を目指していて、難しい考え方はしないのである。三人は著者をなだめすかして東京に送り出し、なんとか落着するのである。

　私はこの作品を読んで、あらためて『平和工房の一週間』が新人賞にならなかったのかを考えた。六月号に載った選者の文章は、どれも作品の良さを書いている。これを新人賞に推した選者もいたに違いない。しかし「芸術的ではない」という一人の主張が重かったように思う。しかし新人賞なのだから、そこまで厳しく考える必要があるだろうか。

　ウクライナという最も重要な課題を取り上げ、実に見事に表現しているのだから、それで充分なのではないか。選者の文学観を押し付けることは厳し過ぎるのではないだろうか。

私はこのように考えている。外国文学では日本のように、純文学、大衆文学、民主主義文学といった区別はないと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

札幌民主文学通信　

二〇二四年九月〇一日　３１０号

九月例会誌上合評

合評作品

　入江秀子

　　「チーズとコーラ」

　　　　　　　　　　　　　　　　『民主文学』九月号

　　　　　　　　　　

　

意見１　　　　　　　　　　村松　祝子　

　　　　　　　　　　　　　

最初どんなあらすじだろうか？と思って読んでいたが、淡々と文章が進んで、最後に祖父の「滝夜叉姫」の講談まがいの語りを家族で聞き惚れる場面で終わった。

はてこの小説は何を言わんとしているのだろうかと思った。

「チーズとコーラ」の題名も何を表しているのだろうかと疑問だった。

然し終戦直後進駐軍が入ってきて、日本人の日常生活はどのような過ごし方をしていたのだろうかと思い出させてくれた。

優子の目を通して描かれている。東京から離れている桐生にもこの当時基地があり、そこに優子の叔父がバンドメンバーの一員として基地内のダンスパーティの楽団として雇われる。そこで優子に出されたサンドイッチの美しさと、日本人の口には合わない馬のしょんべんのような味のコーラ、そして美味しいチーズに感激し、チーズとコーラをお土産として家族の元にもどってきた。

家族はアメリカ製品のチーズとコーラに触れながら、アメリカ文化の良い物を素直に認めながら語り合っている所に、突然寝床から起きてきた祖父は、正雄叔父さんからタバコの「ピース」を一本貰い、それを指の付け根まで喫みほして良い気分になった祖父。

そこで久しぶりに得意の講談もどき「滝夜叉姫」の一席を家族の前で演じるのだった。祖父の前で襟を正して聴き入る家族の姿は、日本の文化の素晴らしさも決して忘れてはいないのだと受け取ったのですが。

今の日本の政府はなんでもアメリカのいうことを聞くように思うのです。

それに比べたら、この家族は日本人の矜持も祖父の姿を通してきちんと持っているようにも思います。

この作品に賭けた作者の想いが聞けたら‥‥と密かに思っています。

 

 

　意見２　　　　　　　　北野　あかり

 

　この作品は、戦後、優子が小学校に上がった頃の時代の想い出を描いた作品だと思いました。

　優子家は、戦時中は軍需工場だったが、戦後仕事はなく、父は横須賀の米軍基地に出稼ぎに行き、数か月も帰らない。母は、出稼ぎに行って父のいない家庭のやりくりに苦慮している。

　長女の優子は学校が引けると、叔父さんのバンド仲間のマスコットとして隣町にある米軍基地のダンス会場に連れて行かれ、おやつとして出されたコーラを飲み、チーズやチョコレート、ガムなどを貰ってくる。妹は、姉の優子ばかりが可愛がられているように思えて不満が募っている。

　同居している祖父は、大の米兵嫌いで、米軍基地で働く父とも合わず、優子が貰ってくるおやつなども受け入れない。

　戦中戦後を生き抜いてきた私にとって、平和への思いは人一番強く、反戦と平和を掲げて行動に立ち上がる時だと思っています。この作品を読んで、同じような時代を生きて来たことに共感する内容であり、この作品をもとに、戦後の時代を気軽に語り合うことが出来ると思いました。

　　　　　　　　　

 

　意見３　　　　　　　　　　後藤守彦

 

ボールパーク新駅を考える会の宣伝行動のため、今回も残念ながら例会を欠席することになりました。

戦後初期の家庭の生活がやわらかな筆致で丁寧に描かれています。ただ、胸に迫ってくるものやしみじみとしたものが正直ありませんでした。家族に戦死した人がいない、海軍の軍楽隊から楽団員への転身などそれはそれでありえたことでしょうが、戦争との関連で家族の人生を描くという意味で作品に重みをもたらすことにならなかったのではないでしょうか。悲しいこと、つらいことが織り込まれていればいいというわけではありませんが。軍隊忌避を含め、祖父像を深めてほしかったと思いました。

 

 

 

 

 

意見４　　　　　　　　　　　松木　新

 

作品の時代が朝鮮戦争前夜の１９４９年であることに注目しました。横須賀米軍基地の米兵が、〈誰一人自分の名前も書けない〉という実態は、当時のアメリカが、下層階級の人間をかり集めて戦場へ送り出していたことを物語っています。

桐生の隣町にある米軍基地でおこなわれるダンスパーティーに、〈舞台の裏で坐っているだけの〉優子を楽団の人たちが連れてくるのは、やがて死が待っている戦場に派遣される米軍兵士たちの、心の癒やしとしての役割が、優子に与えられていたからだと思います。

この二つの事例からいえることは、作者が当時の戦争前夜の雰囲気を巧みに描出している、ということです。

題名が象徴しているのは、敗戦後、押し寄せて来たアメリカ文化を、庶民がどのように受容したかを、物語っています。両極端の味覚を同時に受け入れる逞しさみたいなものを感じました。こうした混沌とした状況がやがて整理されて、アメリカナイズされた日本文化が誕生してくるのだと思いました。

祖父の造形が優れていると思いました。戦前、飛行機の部品を製造していたという矜恃が、息子が米軍基地で働くことを頑なに拒絶させているのだとしたら、祖父の意識は依然として戦前のままです。敗戦後の日本の家族には、このような形が数多くあったのだと思いました。

物語の最後、「滝夜叉姫」を祖父が演ずる場面がありますが、読者の大半は、「滝夜叉姫」の何たるかを知らないと思います。数行ででも説明が欲しいところです。それによって、「滝夜叉姫」の復讐物語が、祖父の復讐心と重なってきて、その効果は抜群だと思うのですが。

　意見５　　　　　　　　　　泉　恵子

 

主人公の柏原優子は小学一年生。終戦時は三歳とあるから、今七歳として一九四九年頃の日本のある地域の一風景を、子供の目で切り取った作品と読んだ。

戦時中は桐生で軍需工場として栄えた家が、戦後没落して、父親は借金の返済のため、給料の高い横須賀の米軍基地で働いている。母の弟の正雄叔父は、海軍の軍楽隊でラッパ手だったが、今は「楽団ブルースカイ」の一員で、演奏活動をしている。

この日は隣町の米軍基地で演奏のため、優子に可愛いピンクの洋服を着せて連れ出し、演奏時はただ舞台の隅に坐らせている。テンプルちゃんを思わせる可愛い少女は、聴いているアメリカ兵たちの慰みになる?らしい。

夕食にと言って出されたサンドイッチとチーズとコーラ。変わった形の緑色のガラス瓶に入っコーラと、石鹼の切れ端のようなチーズを家の持って帰ると、父はコーラを「馬のしょんべんみたえなもの」といい、母はチーズを「アメリカにはこんなにうまい食べ物があるんだねえ」という。アメリカの文化や食べ物を受け入れ始めた頃の戸惑い。

アメリカ嫌いで、息子が米軍基地で働くのを取っ組み合いの喧嘩をして反対していた祖父だが、正雄叔父の来ている今夜は機嫌がよく、昔旅芸人の一座に居た時の出し物「滝夜叉姫」の声色をきかせてくれた。

ここでは「米軍基地」としか出ていないが、当時「進駐軍」とも言われた「占領軍」に勤めると収入がよかった為そこに勤める父。日露戦争の時徴兵が怖くて旅芸人一座に逃げ込んだという祖父。どちらも複雑な経緯らしいが、子どもの目線なのでそこは余り深くは掘り下げていない。

例会では「何が描きたかったのかよくわからない」という声も少なからずあったが、特に何を訴えるということではなく、「チーズとコーラ」に象徴される戦後まもなく日本の一断面、変わった体験をした少女の、思い出の一コマという事ではないかと……

 

 

意見６　　　　　　　　　山田　孝子　　

 

優子と、生年がほぼ同じ私にとって、懐かしい時代だった。たしかに、その頃道路に馬糞が落ちていた。戦後の風景が描かれていて興味深く読んだが、全体が幼い優子の視点で語られることに多少違和感があった。

又、全体が真面目な誠実な生き方の人々の描写の中で、優子が「かわいらしい」という理由でマスコット扱いされる事の違和感が、どうしても拭えなかった。（幼い優子にとって、こういうチヤホヤ経験はプラスにはならない気がする）

あれほど頑なにアメリカを拒んでいた祖父が、現実を受け入れざるを得なくなり、「滝夜叉姫」を語る場面が哀切だった。

姿勢を正して語る祖父と、その前に正座して聞く家族の姿に、困難な中でも助け合って生きていく希望をかすかに感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

　意見７　　　　　　　　　　泉　　脩

 

　一九四五年の敗戦直後の日本を、小さな女の子の目を通して書いた作品である。戦闘機の部品を作っていた鉄工所がつぶれ、父は横須賀の米軍基地に出稼ぎに行く。祖父と母と、小さな二人の女の子が残る。そこへ、母の弟のトランペット吹きが訪ねて来る。そして近くの米軍施設のダンスパーティに上の女の子（小学一年）を連れて行った。彼女はみんなのアイドルで、チーズとコーラをおみやげにもらって帰宅し、話し合う。

　敗戦直後の日本の姿をよく描いていて、アメリカ占領軍に頼って、やっと生きているのである。やがて朝鮮戦争が起り、凄まじい戦争ムードになり、同時に日本の景気も回復するのである。

　この頃私は中学生で、アメリカ軍の通訳と結婚した母方の叔母からもらった、アメリカのケーキやお菓子を食べたことがある。とてもおいしかった。札幌市真駒内で米軍住宅を作るアルバイトに行って、アメリカ人の生活を垣間見た。他に米軍相手の女性（パンパン）をよく見かけた。この作品を読みながら当時のことを思い出したが、あまり懐かしい思いはない。戦時中の悪夢の続きのようなものである。

　私は高校生になって、自分の生き方に迷い、文学の中に解決の道を模索するようになるのである。そして七十年が経ち、奇跡的に九〇歳まで生き延びた。歴史の教師として生きてきたが、文学は手放さず多くの本を書くことができた。あと一～二冊は書きたいと思っている。人生は不思議なものである。

　この作品の作者も、同じような思いなのかもしれない。時代の流れの一瞬を切り取った、印象的な作品である。

 

投稿欄

 

 

エッセー日記（八月）

読書とスポーツ

泉　　脩

 

　八月が終った。本州各地では地震・台風・高温とたいへんだったが、北海道はさほどの影響はなかった。内外の政治変動もたいへんだった。しかし悩んでいてもどうしようもないので、私は読書とスポーツ観戦に打ち込んだ。

　志位和夫議長の二冊の本がすばらしかった。「共産主義と自由『資本論』を導きに」と、『東アジアの平和構築への提言』の二冊で、どちらも講演を文章化したものだった。豊かな実践に裏付けられた、深い研究のたまものだった。日本と世界の未来は、この道しかないと、私も確信している。

あと一冊、大阪の松本喜久夫さんから送られてきた『そこにある希望』は、さわやかな短篇集だった。小学校教師としての豊かな教育実践を、八つの短編にまとめている。読後感が清々しい、読み出のある本である。

　この三冊の評論を書き、札幌民主文学会の通信に載せ、私の次の本にも載せたいと思っている。

　スポーツは、まずパリオリンピックである。戦争の最中での平和の祭典だが、無事に終わってほっとした。ウクライナやパレスチナの代表も参加し、メダルもとっていた。

私がもっとも心を打たれたのは、女子槍投げで優勝した旭川生まれの北口榛花の健闘である。彼女は二十一歳の時に単身チェコに行き、五年間きびしい指導のもと練習に励んで、見事に栄冠を勝ち取ったのである。チェコはスポーツでは槍投げが盛んで、指導もすぐれていて、世界記録保持者を輩出している。

　私は七十四歳の時、初めて海外旅行のツアーに参加し、最初に降り立った外国がチェコだった。チェコは東ヨーロッパの小国で、歴史的には常に周辺の大国に支配され、それでも耐え抜いて高い文化・芸術を生み出した国である。首都プラハは戦火を免れ、美しい古い街並みを守ってきた。私はそこでクラシック音楽を聴いたが、北口さんは、きびしい体力作りとトレーニングをしたのである。

　高校野球の夏の大会は、決勝戦を観た。関東第一高校と京都国際高校がたたかい、延長戦になって、延長十回タイブレークで京都国際高校が初優勝した。きびきびと高校生らしい、死力を尽くした熱戦だった。

　私は二〇〇八年の駒大苫小牧と早稲田実業の決勝戦を思い出した。延長十五回で引き分け、翌日再試合になった。先攻・駒大苫小牧、後攻・早稲田実業。先制した早稲田実業が優勢に試合をすすめ、九回では一点差にまで迫る駒大苫小牧を振り切り、初優勝を実現した。双方二人の投手、斉藤と田中は合計二十四イニングを投げ抜いた。

　この頃、私は泉一族の歴史を書くために、取材で関西にいた。父方の祖父が生まれ育った広島宮島を訪ね、宮島口のお寺の墓地に行った。さらに大阪の枚方(ひらかた)にいる、また従兄にも会いに行った。

勝ち上がっていく駒大苫小牧の熱戦が気になり、ホテルのテレビで応援をした。よほど取材を止めて甲子園に駆け付けたかったが、思いとどまった。そして父方の家系図を三代前まで完成させることができた。

　大リーグでは、大谷がすごい頑張りである。ホームランは四十四本（九月一日現在）になり、打点と共にナショナルリーグトップである。打率がもう少し良ければ、三冠王も夢ではない。ホームランと盗塁を五〇ずつ達成すれば、三度目のМＶＰも間違いないだろう。

　ファイターズはパ・リーグ二位で、クライマックスシリーズを勝ち抜き、日本一を争うことも不可能ではない。アメリカでのドジャースのワールドシリーズ優勝と共に、今年実現できれば、私の野球熱も完結するのだが。

　今年の残り四カ月は、世界も日本も、スポーツ、そして私の本作りも大詰めである。私にできることは少ないが、心して見守り、努力したいと思う。

　九月末には妻の姪の博子さんが来札するし、石田英夫も最後の来札をするかも知れない。忍さんや井上さんに協力してもらって、心を込めて二人を迎えたい。

 

 

 

志位和夫　「共産主義と自由『資本論』を導きに」

真の自由の世界を求めて

泉　　脩

 

　二〇二四年四月に、民主青年同盟講演会で日本共産党の志位議長が行った講演。共産主義と自由について、マルクスの『資本論』を基に、突っ込んだ解明をしている。

　わかりやすい質問と回答の形で、わかりやすく大きな問題の答えを述べている。そして最後には、旧ソ連と中国についての疑問に、納得のいく見解をしている。まず、現在の資本主義について、途方もない貧富の差の出現を批判している。そして生産力の際限もない発展の結果として、自然破壊と気候変動の危機を上げている。資本主義をこのままにしておいていいのか。資本主義に代わる社会主義・共産主義を求める声が、世界中で再び起こってきているのである。

　資本主義経済は、利潤第一主義によって、生産のための生産を発展させる。他の資本との競争に負けないために、後は野となれ山となれ―と生産力を高めていく。そのため過剰生産になり、周期的に過剰生産恐慌が起こる。労働者は利潤と生産物を奪われるだけでなく、自由に処分できる時間を奪われる。

　イギリスに始まる工場法は一日の労働時間を制限し、労働者に自由に処分できる時間をあたえるための、労働者のたたかいの成果である。

　マルクスとエンゲルスは、この資本主義の仕組みを明らかにすると共に、労働者のたたかいを発展させるために努力した。そして、この資本が独占する生産手段を生産者である労働者がにぎる、生産手段の社会的管理を目指すようになった。このことによって、労働者の自由に処分できる時間は、飛躍的に増加するだろう。労働者はこの自由に処分できる時間を使って、文化・芸術・スポーツを楽しみ、自分の個性を発揮するようになる。人間性の全面的開花である。社会主義。共産主義の発展の目標である。マルクス・エンゲルスはこのことを既に視野に入れていた。

　資本主義の下での高度の生産力の発展は、同時にこれ等を理性的に管理するための手立ても作り出してきた。政治の上でも民主主義の様々な仕組みを生み出してきた。これ等はすべて未来社会に引き継がれていくものである。このことによって、社会主義・共産主義の社会は、より豊かに発展するだろう。

　最初に社会主義を目指した旧ソ連と中国は、ともに経済力の発展が低い国だった。しかも指導者たちの間違いもあって失敗をしたり、不充分な現状である。未だに高度に経済力が発展した国が、社会主義・共産主義を実現した例はない。日本共産党はその道を目指そうとしている。

　日本共産党は、かつて旧ソ連のスターリンやフルシチョフ、中国の毛沢東らの干渉と戦い、自主独立の道を歩んできた。そして当面は日本国民の総意のもと、アメリカ一辺倒と大企業中心の政治を正す民主主義革命を目指している。世界で初めて発達した資本主義の国における革命の道である。そのために強い大きな日本共産党を目指そうとしている。

 

おわりに

この本は志位和夫議長の『共産主義と自由』のまとめである。しかし、この本の内容はもっと、もっと多岐に渡り、スケールの大きな豊かなものである。すぐれた指導者・理論家の不破哲三の下、日本共産党の書記局長・幹部会委員長として、永い間がんばってきた志位さんの渾身の本である。私のつたない紹介では申し訳ないと思う。

この講演は、主催する側からあらかじめ三五の質問を用意し、更に当日会場から出た三つの質問を加えている。志位さんは、これらの質問に答える形で講演を行い、そのためとてもわかりやすい内容になっている。そしてこの講演をまとめたこの本は、どこから読んでも興味深い内容になっている。とてもユニークな、かつてない本である。

一九二九年の世界恐慌から、現在のリーマンショック（二〇〇八）以後の世界までの部分は、とても重要な部分だと思う。今や資本主義は危機的状態になっているのである。

 

 

志位和夫『東アジアの平和構築への提言』

東アジアの平和を求めて

泉　　脩

 

　「ＡＳＥＡＮと協力して」というサブタイトルを持つこの本は、二〇二四年四月に日本共産党の志位議長が、衆議院会議室で行った講演である。ＡＳＥＡＮとは、東南アジア十ヶ国の平和友好組織である。

　東南アジア十ヶ国は、五十年前に相互友好平和条約を結び、あらゆる問題を話合いで解決してきた。国土・人口・民族・宗教・経済力、政治体制のまったく違う十ヶ国が、対等・平等に毎年千回も話し合ってきたのである。しかも周辺の国々のインド・中国・韓国・北朝鮮・日本・アメリカの代表も会議に招き、友好協力の場を東アジア全体に拡げようとしている。

　日本共産党はいわゆる野党外交で、繰り返し東南アジア諸国を訪ね、多くのことを学んできた。そして価値観の違いから軍事ブロックを作り、対立抗争を続けている、アメリカ・ロシア・西欧諸国のやり方を、きびしく批判してきた。日米安保条約もその一つである。

　講演では三つの提言をしている。

その第一は「ＡＳＥＡＮと協力して、東アジア規模の平和の地域規模の枠組みを発展させる」である。すでにＡＳＥＡＮの首脳会議に、中国・インド・アメリカ・日本など八ヶ国の首脳が参加し、個別の会議も同時に行われている。外相・防衛相・経済財務相などの会議も、大きな規模で行われている。こうして東アジア全体の平和友好の協力が始まっていて、この道を更に発展させようとしている。

東アジアサミット、「アセアン独自のインド太平洋構想」といった新しい魅力的な取組みが生れつつあるのだ。

第二の提案は、「北東アジアの諸問題の外交的解決をはかり、東アジア平和共同体を目指す」である。北東アジアでは朝鮮半島の南北分断、日本と中国の対立、日本と北朝鮮の対立が深刻である。日本共産党は何回も中国共産党と会談し、相互の見解の違いを認めながらも、戦略的互恵関係の構築のために日中両国の協力の必要性を確認した。そして両国政府も、この方向で動き出している。

北朝鮮については日本が唯一、過去の植民地支配の解決をしていない国であり、朝鮮半島の非核化、拉致問題の解決、そして過去の清算を同時的に解決するしかない。そのために二十年前の日本・北朝鮮共同声明や六ヶ国会議の多くの決議を生かしていくことを主張している。

第三の提案は、「ガザ危機とウクライナ侵略―国連憲章・国際法に基づく解決を」である。ガザでは、ハマスによる無差別攻撃と人質確保を批判し、同時にこれらを口実にしたイスラエルによる大量虐殺について、国際法による解決を、と主張している。また、イスラエル軍の占領地からの撤退、ガザ地区の民族自決権による独立を主張している。

ウクライナについては軍事ブロックの抗争ではなくて、ロシアを含めた西欧諸国の安全保障体制の復活を主張している。

このように多岐に渡る提案をしているが、すべて日本共産党が兼ねてから提案し、その方向で実践してきたことである。アメリカを中心に進められてきた、軍事ブロックの形成による他国への支配介入とは真っ向から反対する提案である。

世界的なひどい貧富の差の拡大、自然破壊と気候変動が進む中で、このような道しかあり得ないことを確信している。

志位さんの『共産主義と自由』と共に、この小冊子は重要な見解であると思う。広く読まれることを期待したい。

 

おわりに

　三十年前から、野党外交という言葉を聞くようになった。志位さんを団長とする日本共産党代表団が、アジア諸国を訪問するようになったのである。チュニジア・サウジアラビア・パキスタン・マレーシアなどである。

どこでも政府関係者との対話がはずみ、相互の理解が深まった。昨年（二〇二三）末の、インドネシア・ラオス・ベトナム訪問は、特に印象的だった。インドネシアの前外相は、東南アジアの「複雑性」を話し、ＡＳＥＡＮの対話中心の外交の重要性を説いた。ラオスとベトナムは、かつてのアメリカによる攻撃の後遺症にまだ苦しんでいるとのことだった。地雷・不発弾と枯葉剤である。

　アジア政党会議や西欧左翼会議における、日本共産党の活躍はすばらしい。このような多くの実績に基づいて、今回のすぐれた政策ができたのである。

 

　

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

反ナチ市民の勇気

後藤守彦

 

　独ソ戦を戦った、ソ連軍の女性狙撃兵の生と死を描いた『同志少女よ、敵を撃て』（早川書房、二〇二三年）で本屋大賞を受賞した逢坂冬馬の受賞後第一作『歌われなかった海賊へ』（早川書房、二〇二三年）は、反ナチ行動の史実をもとに叙述されている。歴史教師から課題を与えられた少年が、近所に住む老人から一冊のノートを渡される。一九四四年、ドイツのある町で、反ナチ行動を理由に父が処刑され居場所を失っていたヴェルナー少年が、エーデルヴァイス海賊団を名乗る、反ナチで戦う少年少女たちに出会う。それがノートの最初の記述だった。海賊団のメンバーは、強制収容所に続く鉄道の爆破を企図する。「私たちは、気付けば圧倒的な独裁者とその手下たちに支配されていました。気付いたときには手遅れだったのです。人里はなれた場所に強制収容所があったことについて、よく若い人に聞かれるのですが、当時は誰もその存在を知りませんでした」、こうした、ドイツ国民の自己弁護に対しての批判が、作品の基調としてある。

　反ナチの行動としてよく知られているのが、一九四四年の「七月二〇日事件」である。隻眼隻腕のシュタウフェンベルク大佐などの国防軍の反ヒトラー派が、時限爆弾によるヒトラー暗殺とクーデターによる政権打倒を図ったものの失敗し、二〇〇人が処刑された。

 

　　　この人たちにナチズム反対の立場をとらせることになったきっかけは、ユダヤ人迫害であり、国際法に反する侵略戦争であり、無法な占領行政だった。祖国の運命はもちろん、重大な関心事であったことにはちがいないが、それだけが反ナチ活動の動機だったというのは、一方的に過ぎよう。

（小林正文『ヒトラー暗殺計画』中公新書、一九八四年）

 

代表例はもう一つある。武力と特定組織とは無縁な、ミュンヘン大学の学生であったショル兄妹らの「白バラ」グループが、一九四三年以降、ヒトラー打倒をビラなどで訴え続けたが、翌年全員が捕まり処刑されたのである。

この二つを含め、ナチス打倒からユダヤ人救援までの反ナチの行動を網羅しているのが、對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々――反ナチ市民の勇気とは何か』（中央公論新社、二〇一五年）である。對馬は「はしがき」で、ヒトラーが国民の圧倒的支持を受ける中での反ナチの行動は、「報われない孤独な現実に身を投じることであった。にもかかわらず彼らはなぜそのように決断し行動したのだろう」との問いをたてている。

戦後ただちに、反ナチの行動が評価されたわけではない。「国民に認知されていく長い道程」を要した。貴族のエリート軍人であったシュタウフェンベルク大佐と比べて、家具職人のエルザ―の認知にはより時間がかかった。エルザ―が、一九三九年にミュンヘンでヒトラーを爆殺しようとしてから四五年も経ってから、「孤独な暗殺者」エルザ―の名誉回復がなされたのだった。

前述した問いへの答が「むすび」に用意されている。

 

　　彼らを支えたのは、自らの責任で決断し事を引き受ける意志である。これを「市民的勇気」という。それを彼らはそれぞれの置かれた立場で自らの行為として表した。通底するのは、ナチズムに対する倫理的闘いであったことである。

 

ここでいう「市民的勇気」の源は何なのか、明らかにしてほしいと思うのだか、ないものねだりだろうか。

平山令二の『ユダヤ人を救ったドイツ人』（鷗書房、二〇二二年）については以前にも評したが、紹介されているのは無名の普通の人たちである。かれらは、自らの行為を語ることが少なかったので、サブタイトルにあるように「静かな英雄たち」と呼ばれている。平山が最も興味をひかれ、共感を覚えたのが、アントン・シュミット軍曹だった。彼は軍用トラックを利用して、多数のユダヤ人を安全な場所へ逃がしただけではなく、ユダヤ人抵抗組織も支援した。しかし、密告による可能性が高いが、逮捕され死刑となっている。

　アウシュヴィッツに象徴されるユダヤ人迫害を積極的に実行した人、迫害に加担した人、迫害を黙認した人、ユダヤ人を援助した人、ユダヤ人を命がけで救った人、こうした行為の明と暗を分けるものは一体何なのだろうか。シュミット軍曹のような「人間性」によるのだろうか。疑問は尽きないが、それが分からなくてもいいのではないかという、著者の現在の心境と同じ地点にひとまず立とうと思う。

 

　　　迫害された人々を命がけで救おうとした人々がいたこと、その事実さえ分かればそれでよいのではないか。漆黒の暗闇にも小さいが確かな輝きを放つ灯があることを見れば十分で、その灯が何に由来するのかを確かめる必要はないのではないか。小さな灯はのちの世代の人々に必ずや人間性に対する信頼、迫害された人々に手を差し伸べる勇気を与え続けるだろうから。

 

ヒトラー、ナチスは忘れ去られたのだろうか。それが望ましいのだが、残念なことに復権の動きが執拗に続いている。「ナチスは良いこともした」という言説もその一つである。ナチスはアウトバーンを建設し失業率を低下させた、進んだ福祉政策や家族支援政策を導入したなどの主張の誤りを、小野寺拓也・田野大輔『検証ナチスは「良いこと」もしたのか？』（岩波ブックレット、二〇二三年）は、歴史研究の蓄積をもとに丁寧に正している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『うま蜂』のことなど

　　　　　　　　　　　　　　松木　新

フランスの作家ルイ・アラゴンの『レ・コミュニスト』を読んでいたら、戦場で両目、両足を失ったものの、気丈に、誇り高く生きている兵士ジョゼフに、隣のベッドのメルシェが、どうしてそんな風に生きられるのだ、と問いかけると、ジョゼフは、次のように答える場面がありました。

〈「おれにまだ目があったとき、ある本を読んだ。なんといったらいいかな、そいつを書いたのも、自分(・・)の(・)戦いで負傷した男だった。およそ二十年も完全に身動きができず、目は見えず、なにもかも……。それでもその本を書いたんだ……。立派な本さ……。もっとも、それはソヴェートの話だがね。フランス語に翻訳されたんだ……。題は『鋼鉄はいかに鍛えられたか』というんだ……。ものごとはこうしたものだ。そこんところを考えて、そう思わなけりゃいけない、その男は、工夫して一冊の本を書いたんだから、おれだって何か工夫することができる……、まだ何かの役に立てるとな……分かるかい？」〉

『鋼鉄』が、当時のフランスでこのような影響を及ぼしていることに、少なからず驚きました。実は、『鋼鉄』は未読でした。中国の『紅岩』と同じように、どうせステレオタイプの小説だろう、と食わず嫌いでした。

今回、遅れ馳せながら、読んでみました。舞台がウクライナなので、現実のウクライナに思いを馳せながら、愉しく読むことができました。

一九三〇年代前半の作品であるにもかかわらず、当時の党の官僚主義に対する批判が随所に見られました。スターリンの「大テロル」がソ連社会に荒れ狂ったのが、三六年～三八年ですから、驚きです。

『鋼鉄』のなかで、主人公パーウェル・コルチャーギンが、たくましい生き方、不屈な闘争心を語る場面で言及しているのが『うま蜂』です。初めて目にする小説で、まさか邦訳はないだろうと思いながらも、日本の古本屋で検索したところ、邦訳があったのです。五二年に三一書房から出版されていましたので、早速購入しました。

『うま蜂』（原題《ル・トーン》）は、イギリスの作家エテーリ・リリアン・ヴォイニッチによって、一八九七年にイギリスで出版されました。翌年、ロシア語に翻訳され、ツアーの検閲によって多くの部分が削除されたにもかかわらず、当時のロシアの青年たちが深く感動したとのことです。

この小説は、オーストラリアの圧政のもとに苦しみ、屈辱の状態にあったイタリアで、統一された自由なイタリア共和国を打ち立てようとたたかった、若き愛国者たちを描いています。

舞台は一八三〇年代のイタリア。主人公アルトゥールは、十八歳のとき、〈「イタリアのために生命を投げだすこと、イタリアを奴隷の状態から、貧困から解放し、オーストラリア人を追払って、神よりほかにつかえるべき主人を知らぬ自由な共和国を打ちたてること」〉を心に期して、父親である神父のもとを去ります。彼はたたかいのなかで逮捕され銃殺されますが、当時の闘争の実態がていねいに描写されており、大変参考になりました。

ちなみに、「うま蜂」とは、アルトゥールがフランスの雑誌に政治的な時評を書いていたときのペンネーム、〈ル・トーン（うまば(・・・)ち(・)）〉のことです。

 

 

 

映画「シサム」の魅力

　　　　　　　　　　　　　　　松木　新

 

先日、映画「シサム」を観てきました。

「シサム」とは、アイヌ語で「隣の人」（和人）の意味です。

〈アイヌ語では北海道アイヌ（北海道のアイヌ）の自称をヤウンクル（陸地の人）・・・和人をサモルンクル（隣の人）、またはシサムとよび、その他の異民族はレプンクル（沖の人）やサンタウンクル（山丹の人）、フレシサム（肌が赤い隣人＝ロシア人）などと呼ぶ〉（『アイヌ文化史辞典』）

この映画の時代は、シャクシャインが戦いに立ち上がった１６６９（寛文９）年、舞台はシラヌカです。

〈一六六九（寛文九）年六月、東は太平洋沿岸のシラヌカ（現白糠町）、西は日本海沿岸部のマシケ（現増毛町）に至るアイヌ民族が彼（シャクシャインー引用者）の檄に応えて一斉に蜂起し、当時「蝦夷地」にいた商船を相次いで襲い、和人の鷹侍を初め船頭・水主等を殺害していった。ただし、石狩川流域のアイヌ民族の集団は反松前藩・反和人の行動に立ち上がったものの、独自の行動をとり、和人に対する襲撃そのものには参加していない。この戦いに参加したアイヌを「一万八千余人（『松前蝦夷一揆聞書』）とする記録もあるが、当時の「蝦夷地」内のアイヌ人口は約二万余人（『津軽一統志』）と見られているので、「二千余人」（同前）との数字がほぼ実態に近いものと見られる」〉（榎森進『アイヌ民族の歴史』）

知行地であるシラヌカに向かった高坂兄弟の兄が、高坂家の使用人で実は幕府の隠密・善助にその地で殺害され、弟孝二郎も返り討ちにあい、負傷したところをシラヌカのマカヨコタンのアイヌに助けられるところから、物語が始まります。

この映画に圧倒されたのは、アイヌの実際を克明に描出していることです。アイヌについてはまったくの無知である孝二郎に視点をすえて、アイヌ文化が力強く押し出されています。

アイヌ語翻訳が藤森久和、監修協力が白糠アイヌ協会・白糠アイヌ文化保存会なので、史実にはきわめて忠実です。

たとえば、シャクシャインの決起の呼びかけに、シラヌカのアイヌの意見が分かれる場面があります。シャクシャインの戦いは、普通は日高以西と考えられがちですが、シラヌカまで彼の檄が届いていたという史実を踏まえると、この場面の正当性が立証できます。

孝二郎の視点から描かれるアイヌ文化は見事です。

コタンの首長であるアクノは日本語を話せるものの、息子のオモアイノや若者シカヌサシは話せません。従って、映画では、この二人の長い会話がすべてアイヌ語です。しかも字幕なしですから、会話の実際は理解不能ですが、二人の動作から会話の内容は推測できます。

アイヌの食事では、かじか汁やオハウが出てきますが、魚のどこの部位を誰が食べるかまで、克明に映像化されています。サケを採るシーンなどは迫力満点です。

この映画では、孝二郎が主人公ですが、彼はアイヌと生活を共にするなかでアイヌの精神文化に触れ、それまで培われてきた和人の常識が根本的に覆されて、一人の人間として再生していきます。

映画「アラビアのローレンス」のような、白人が非白人の苦境を救済するという思想、つまり和人がアイヌを救うという思想からは、この映画は真逆の位置にあります。

終盤、孝二郎は、和人の暴虐ぶりを克明に記録するために、コタンを訪ね歩きます。その姿は、松浦武四郎に重なりますが、彼の行く手には暗雲が垂れ込めているところで、映画は終わります。シャクシャインの戦い後のアイヌの窮状を暗示しています。

この映画は、アイヌ理解のための恰好の入門書といって良いと思いました。映画の主題歌が中島みゆきの名曲「一期一会」であることも、自称中島ファンのぼくにとっては、記憶に残る映画になりそうです。

 

 

 

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札幌民主文学通信　

二〇二四年八月〇一日　３０９号

八月例会誌上合評

合評作品

青木陽子

「二位殿様」

『民主文学』８月号

 

 

意見１　　　　　　　　　　　後藤　守彦

 

残念ながら町内会長としての仕事などのため例会を欠席しなければならず、皆さんの「読み」に耳を傾けることができませんでした。

本作を読み、すぐに、一昨年、『後藤明生と朝鮮』（『奔流』二九号）で論じた後藤の『首塚の上のアドバルーン』（講談社、一九八九年）を連想しました。

主人公が住んでいるところの近くにある、廃れている神社の前の首塚に興味をもち、首塚と神社との関係、首塚の主の実像を、『平家物語』『太平記』などの古典を渉猟し探っていく。「小説を書くことは読むことから始まる」といった、後藤の小説観を反映した作品です。

『二位殿様』では、そうした対象への探りはありませんが、行き倒れになった偉い人の、祟ると言われている「お墓のようなもの」が触媒となっています。キクの夫の茂之が「兵隊に取られて、帰って来たら人が変わった」とありますが、茂之の戦場体験の具体は不明ですので、戦争が人を変えたとぼんやりと想像するしかありません。掘り下げが不足していると言えるかもしれませんが、南京大虐殺、キクの父のような「市井の軍国主義者」、戦争へ向かう動きに抗う九条の会の活動を織り込むなどの工夫がなされており、「戦争は嫌だ」という反戦の思いが静かに伝わってきます。

 

 

意見２　　　　　　　　　　　石川　節子

 

二位殿様に対する、感じ方などを通して、古い婚姻制度、生活習俗等を現したものらしく、全体として、陰鬱な空気が漂う、くどくて、重くて長い作品だと、思いました。

キクが思っているのか、「私」が思っているのか、すぐには、解らない箇所が多く、だれの視点でかかれたのか、解りにくいところが多くあったと感じました。

二位殿様を恐ろしいものと教えられ、その教えをまともにとらえて、心のそこから怖がる若き日のキク、その時代に「天皇は怖いもの」という国民感情などは、切々と深くしみわたります。

ここから、波及して、「日の丸、君が代」まで検証してしまうのは、深読みのしすぎでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

意見３　　　　　　　　　　　松木　新

 

〈九十五歳の今になって、キクの心の奥底にあった何かが出口を求めている、キクはそんな何かに突き動かされているようにも見える〉、という文章に注目しました。

「二位殿様」の前で、兵隊の姿をした神様を見たための祟りとして、キクは夫の悲劇を受け入れていたのだと思います。自分が二位殿様を見なければ夫は狂わなかった、という思いを抱えて、九十五歳まで生き続けてきたキクの心情がていねいに描かれており、魅力的な人物としてキクが立ち上がっています。

キクの心の奥底にあったものは、戰爭によって狂わされた夫・茂之への優しさと、戰爭そのものへの憎悪だと思いました。

小説の最後、〈「テレビを見ると、あっちこっちで戰爭しているみたいだねえ。神様もどうしていいかわからないのかもしれない。まあお堂の中でおとなしくしているのが一番かもしれない」〉というキクの発言が、切れ味鋭い締めくくりになっています。

例会では、「わかりずらかった」、「三回読んでやっとわかった」、「七回読んだ」などの発言が多数ありました。小説の構成に改善の余地がありそうです。

なお、作品が難解であるということと作品の評価とは、区別した方が良いと思います。

例会でも発言しましたが、小説の未来を暗示する作品といわれているジェイムス・ジョイスの最後の作品、『フィネガンズ・ウェイク』（一九三九年）は難解な作品で、中村真一郎によると、ウイリアム・フォークナーは、世界中でこの本を読んでわかる人は四人しかいない、一人は作者、もう一人は自分、もう一人は作家のソーントン・ワイルダー、最後にアメリカのどこかにいる人、と語っていたそうです（『小説とは本当は何か』）。

日本語版は、柳瀬尚紀訳で、Ⅰ・Ⅱ巻が一九九一年、Ⅲ・Ⅳ巻が一九九三年に刊行されました。早速読んで見ようと、大枚をはたいて購入、一週間をかけて一ページを読んだもののまったく理解できず、見事に挫折してしまいました。

フランスの作家ルイ・アラゴンが、〈一本の小径には必ずしも終りはない。終りが消えてしまうことがありうる。確かに消えてしまう。だが、始まりは必ずある。それなしには始まるわけにはいくまい。始めるとは、語ること、書くことだ。終るとは、沈黙することだ。それこそぼくが、なにはともあれ結末の文章よりは冒頭の文章をもっとも重要だと考える理由だ〉、と語っています（『冒頭の一句または小説の誕生』）。

というわけで、『フィネガンス・ウェイク』の冒頭の一句を紹介します。

〈川走(せんそう)、イブとアダム礼(れい)盃亭(はいてい)を過(す)ぎ、く寝(ね)る岸辺(きしべ)から輪(わ)ん曲(きょく)する湾(わん)へ、今(こん)も度失(どう)せぬ巡(めぐ)り路(みち)を媚行(びこう)し、巡(めぐ)り戻(もど)るは栄(えい)地(ち)四囲委(しいい)蛇(い)たるホウス城(じょう)とその周(しゅう)円(えん)。〉

 

 

意見４　　　　　　　　　山田　孝子

　

初めに読んだ時の感想は「何だかエッセイみたい……」だった。起承転結がはっきりしないし、何だか淡々と思い出を綴っているという感じがした。二回目に読みながら、時間軸を整理して、この小説の構成がやっと分かり、落ち着いて読めるようになった。すると、キクさんの描写が細やかで、「昭和」の時代を生きてきた女性の姿を思い描くことができるようになった。この小説の主人公は、実はキクさんなのでは・・・と思った。「私」が、聞いてくれる人だったから、キクさんの心の扉が少しずつ開いてきたのかなあと思う。そういう嫁姑の関係が微笑ましい。

　古事記の挿話は、「キクさんが実は望まれていなかった」という意味の挿話なんだろうか？　ずっと、そう思い続けて生きてきたなら辛い話だ。それでもキクさんは、淡々と生活し、辛いことも乗り越えて生きてきたんだから、凄い人だ。

　夫の茂之が、戦争に行って帰ってきてから、人が変わったように気難しくなった事や、戦争中のエピソードの中に反戦の思いを感じた。

　何度も読み返しているうちに、味わいが湧てくる作品だった。

 

 

　意見５　　　　　　　　　　　泉　恵子

 

一読しただけでは作者の意図がよくわからず、再読して漸く、姑キクの、「二位殿様」に絡んだそこー結婚して間もなくから夫と別れるに至った辺りの話が中心らしいと見えてきた。

語り手である私とキクの息子康之夫婦と、私と友人美枝子との経緯が絡んでいて、構成が入り組んでいる(？巧みさも感ずるが)ことも読みにくくしていると感じられたのは、私の読解力不足のせいか。

合評の中で、そのテーマとともに、味わい深い内容の作品ということが明らかになってゆき、改めて合評の良さを再確認した。

九五歳になって「キクの心の奥底にあった何かが出口を求めている」「初めてはなす」ことに、祟りがあるから見てはいけないと言われていた「二位殿様」を見てしまったこと。それは兵隊の格好をした神様だった。そんなことから、兵役から帰ってきてから酒を飲んでは暴れる夫との離婚、今までは愚痴でしかなかった話が、「戦争ーのせい、だったのかねえ」と述懐するに至るまでの経緯。

高齢になって、今まで封印してきたことを語りだす、ということはしばしば聞かれる。その話と、若い夫婦や、友人との「二位殿様」に関わる話ー「消えゆく伝説を体現」？したかのようなーが重なり合って興味深い。

石碑となった「二位殿様」、キクの「神様」は、今の時代どうしてよいのかわからなくて、「お堂の中でおとなしくしているのが一番かもしれない」の 〝落ち〟 が効いている。

 

 

　意見６　　　　　　　　　　北野　あかり

 

キクは、結婚した頃に「二位殿様」を見ると祟りがあると教えられ、顔を背けて見ないようにしていたのだが、笹薮の中に動くようなものがあった気がして見てしまった。たった一度のことだが祟りを恐れて誰にも言えず秘めていた。

また、親の決めた相手と結婚させられ、複雑な家族関係の中で二人の子どもを儲けたのだが、酒乱の夫に耐え切れず子供をつれて逃げだし…離婚し、二人の子どもを独立させたあと田舎で一人暮らしをしていた。70 才の時、一人暮らしが困難となり長男夫婦と暮らすようになった。

　同居してから、何度も同じことを繰り返して話すキクの話を、傾聴する長男の嫁（私）の対応に、はじめは離婚した夫の悪口や、理不尽な結婚のことだったが、「夫は戦争に行きたくないと嫌がっていた、戦争から帰ってきたら人が変わったように気難しく、大酒飲んで、借金作って」「戦争―のせい、だったのかねえ」と話すようになったり、日中戦争時の南京大虐殺での「百人切り競争」があったことや、秘めていた「二位殿様」のことも話すようになり、「兵隊でなくて良かった」などと応ずるようになった。

　この作品は、キクの人生をたどることで、古い婚姻制度や戦争を問う作品だと思いました。また、年老いたキクに寄り添い、話を傾聴する関りによって、人は変わっていくことを伝えたかったのだと思いました。

　気になったこととして、

〇「二位殿様」の事を、姑のキクはこの六つの音を全部平たく発音した１０年以上前のことだ。と書出しており、なぜなのだろうと読んでみましたが、最後まで解りませんでした。

〇 読めない文字が多く、辞書を引きながら読んだため、その都度流れが中断してしまいました。そのため何を書きたかったのか解らなくなり、何度も読みかえしました。

〇 家族関係が複雑、解りやすい表現は出来ないものかと思いました。

 

 

　意見７　　　　　　　　　　豊村　一矢

　

いつも、期待込めて『民主文学』の創作（小説）を読み始めます。特に、巻頭の小説を。でも、ときどき、期待が裏切られます。今回も、そうでした。　いや、それは作品の所為でなく、私の認知症が進行した所為だったのかも知れません。

　支部例会の合評でも、「解りづらかった」という声が少なからずありましたが、何人かの人は何度か読み直して、自分なりの理解を深めたようでした。その内容を伺って、私は肯定も否定もできませんでした。それは当然です。自分の「理解」を持てないのですから。

　そんな認知症が進行中の私ですが、書店の立ち読みでは理解できるものもあります。

 

 

　意見８　　　　　　　　　　浅野　勝圀　　　　　　　　　　

 

１０年前に９５才で亡くなった姑キクをめぐる語り手（私）の回想が作品の中心に据えられている。キクは県境を越えて嫁いできた新妻時代以来の半生を、息子康之の嫁である私に問わず語りに話して聞かせる。私の心中にはこんな思いが去来する。

「九十五歳の今になって、キクの心の奥底にあった何かが出口を求めている、キクはそんな何かに突き動かされているようにも見える」

「誰にも言ったことのない話がどれくらい、この九十五歳の姑の胸の中に畳み込まれているのだろう」

合評会でぼくはこんな趣旨の発言をした。

（１）「出口を求めている、胸の中に畳み込まれているキクの思いに耳を傾けて、私はその長年の思いを解放する手助けをしている。」

（２）「文章が平板でメリハリに欠けているのではないか」

これらは今も変らないが、地の文や会話のくだけた口語表現の読みやすさ、「戰爭ーのせい、だったのかねえ」など、歴史的社会的視野への作者の目くばりを見落としていたようだ。

キクの問わず語りに耳を傾けながら、二人の関心はもっぱら「二位殿様」の祟りに向けられている。作者は祟りとは何かを追求せずに「一途に言い伝えを信じ、祟りを恐れて、自身に起こったことをずっと口にできなかった若いキクを思っていた」と作品を閉じる。作風といってしまえばそれまでだが、ぼくは少なからず物足りなさを感じている。

 

 

　意見９　　　　　　　　　村松　祝子

 

嫁の私は姑のキクと二十五年以上一緒に生活してきた。　

その中で九十五才迄のキクの人生が語られる。嫁と姑の関係も匂わせて明治大正頃の地方の結婚制度が語られ個人の意思など忖度なく決められていった歴史に改めて驚かされる。

二位殿様を見たら祟があるとその地方の伝説を信じていた新婚間もないキクはある日二位殿様の前を顔を背けて通り過ぎようとした瞬間、笹藪の中の蔦に足をられ転んでしまう。

その時茂みの中に兵隊さんの格好をした動くものを見た。それが神様だっと思った。

その神様を見たキクは祟があると信じて九十五才まで誰にも言わずに生きてきた。

兵隊から帰って来てから荒れ出した夫茂之から逃れるために離婚する。

最初優しかった茂之が兵隊からから帰ってきてからの荒れた生活は二位殿様の祟などではなく戦争があったからなのかと九十五才にして呟くキクの姿が印象的でした。

物語の進行がキクと私と私の夫康之の三人で引っ越しして来て間もなく以前住んでいたところを見に行こうと探索に出かける。文章で‥‥

常夜灯迄の間に「二位殿様」はある筈だった。（十一ページ上段の最後の二行目）から続く美恵子との喫茶店での会話文章から二位殿様の

探索に変わり、また、すぐキクの話に戻たりで私の頭があたふたして一寸理解するのに頭の整理が必要でした。

喫茶店でのコーヒーカップの説明で作者は何を言いたかったのかなと思いました。

 

 

　意見１０　　　　　　　　　泉　　脩

 

　夫の母キクの思い出が中心で、昔この地で行き倒れになった貴族「二位殿様」を祀る社(やしろ)をめぐって話が発展する。

　キクは、兵隊帰りの夫の暴力をこの「二位殿様」の祟りと考え、息子を連れて逃れる。やがてこの息子夫婦に引き取られ、この社の近くに戻り、九十五歳になって初めて自分の気持ちを打ち明ける。

　息子の妻はこの社を探し、真実を知ろうとするところで終る。戦時中の兵役をめぐる家族の苦しみを、昔の貴族をめぐって書いている。平安時代以来の位階一～八位を理解しなければ、何のことか解りづらい。

　戦時中での兵役が、いかに男たちを歪め、家族を苦しめたか―を表現したのだろうと思う。

 

 

　意見１１　　　　　　　　室崎　和佳子

 

八月十日に行われた例会に参加していないので、そこでどういう議論がされたか全くわからないで、以下記すことになる無礼を許していただきたい。

　私は何度か読んだのだが読解力がなくなつたようで、テーマがよくつかめない。率直に言って、青木さんがこの小説に託した思いや願いがなんなのかをつかめないのである。

　断片的には、戦争によって精神に受けた後遺症のことを言いたいのかな、と思ったり、義母のキクの茂之への認識の変化のことを言いたいのかな、それとも　“二位殿様”という言葉には私などにはわからないとんでもない意味が背後にあるのかな、などと推察はするのだが、いずれにしてもストンと落ちない。わが無能ぶりを恥じ入るばかりである。

　ただ言葉遣いには朝ドラの〝はて〟ではないが、〝はて〟の部分がある。８ページ下段２行目「傾聴ボランティアの覚悟で聞く」、９行目「一向にひるまない」、１２行目「何とも軽妙洒脱、感服だ」などの表現が義母のキクを馬鹿にしている、揶揄しているように感じられて不快である。もっとも「私」と「キク」との関係がそういう言葉を使って当たり前の関係にあるのだと言われれば、なるほど、ということになるのだが。９ページ下段１５行目「キクを引き取った」、２０行目「とうとう決心して引き取った」の表現にも同じようなことを感じる。対等平等の関係ではないことを感じる。地域の九条の会に参加しているほどの「私」なのだから、人間皆平等、の精神が根付いているかと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

投稿欄

 

 

加害と被害と

後藤　守彦

 

 

八月は戦争と平和について考える月である。『北海道新聞』八月一〇日号の、「日本では戦争の被害の話ばかりが語られる」で始まるコラム「今日の話題　市民の戦争責任」を読み、我が意を得たりと首肯した。論説委員の鄭真が書いたもので、「私が在日コリアンだということも影響しているのだろう」と慮っているが、それは私も講演などで強調してきたことである。

戦後七〇年の年に、拙著『特攻隊と北海道』（溶明社、一九九四年）で取り上げた、一九四五（昭和二〇）年四月二八日に、特攻隊員として沖縄の海に消えた、スキーのジャンパー久保登喜夫について、ＨＢＣテレビの取材を受けた。八月一五日の夕方、彼を特集する番組が放映されたが、最後の画面が、中央にアジア・太平洋戦争での日本の戦死者数三一〇万人と大書しているものだった。日本が二〇〇〇万人以上のアジアの人々を犠牲にしたこと、つまり日本の加害に全くふれていない。愕然とした。今も鮮やかな記憶である。鄭の思いをもう少し紹介したい。

 

　　　この時期、戦争を扱った映画やドラマ、そして報道の多くが悲惨な被害を受けた日本の人々の姿や声を伝えてくれる。無論、それらは語り継がなければならない。ただ日本が植民地で、または侵攻地で犯した加害の行為も忘れられてはならない。なのに被害の物語にかき消されてしまう。いつも歯がゆさを感じていた。

 

　北広島九条の会では、毎年八月、コロナ禍での中断はあったものの、戦争遺跡巡りを実施してきた。昨年までは市内にある陸軍通信所跡などを見て回ったのだが、今年は初めて、近郊三町（長沼町・由仁町・栗山町）を訪ねることにした。猛暑を避け九月にずらしたのだが。当日のガイドと配布する資料の作成を私が担当することになった。今回のメインは、日本の加害を物語る、栗山町の「中国人殉難者之墓」である。資料の該当部分を引用する。

 

　　　一九四一（昭和一六）年のアジア・太平洋戦争の開戦により戦線が拡大し、日本は大規模な兵力・労働力の動員を余儀なくされました。日本本土以外の植民地・占領地からの動員も行われます。　労働力の動員は強制連行ともいわれますが、朝鮮人は日本本土へ約七〇万人が動員されました。占領地中国からの動員は、一九四四年から始まり、全国で約四万人に達しました。そのうち、北海道は最多の約一万五〇〇〇人です。北見市の水銀鉱山イトムカが全国で初めての公式の動員先でした。栗山町にあった北炭経営の角田炭鉱には、一九四四年に二九四人の中国人が連行されてきました。中には上海で拉致された一四歳の鳳儀萍少年もいました。過酷な坑内労働と劣悪な食事による栄養失調で、一〇か月間で九八人（三三％）が亡くなりました。逃亡を図ったものの見つかり、殺された人もいました。戦後の一九四八（昭和二三）年、日出共同墓地に「中国人労務者之墓」が建立されました。傷みがひどくなったため、二〇〇七（平成一九）年には、町民の募金によって「中国人殉難者之墓」として建て替えられました。一九七二（昭和四七）年から、毎年八月七日に、中国人殉難者慰霊祭実行委員会（栗山町・栗山町日中友好協会関係者・栗山町社会福祉協議会）により追悼慰霊祭が執り行われています。二〇〇六（平成一八）年には、帰国後、高名な医師となった鳳儀萍氏が六一年ぶりに来道し、慰霊祭に参列しています（二〇〇八・二〇〇九年も参列）。なお、一八九八（明治三一）年に採掘が始まった角田炭鉱は、一九七〇（昭和四五）年に閉山しています。

　

　参考文献は、『栗山町史』、『北海道大百科事典』（北海道新聞社）、『北海道の歴史　下』（北海道新聞社）、杉原達『中国人強制連行』（岩波新書）、『強制連行中国人殉難者慰霊碑資料集』（日本僑報社）、『北海道開拓殉難者調査報告書』、鳳儀萍『仲間に守られて、僕は地獄を生き抜いた』などだが、北海道立図書館所蔵の禁帯出となっている鳳儀萍の体験記は貴重なものである。

資料中にある、今年で五二回目の追悼慰霊祭に初めて参加した。墓の建て替えの募金活動に尽力された、墓地の近くにある寺の住職の読経から始まり、町長が慰霊の言葉を述べた後、参列者が焼香した。参列は招待制によるもので、その数は町議会議長・町内会連合会長・北海道日中友好協会副理事長など二〇名ほど。墓地のある地元の町内関係者が最も多い。私も許可を得て焼香させていただいた。町長の言葉でも社会福祉協議会会長の謝辞でも、戦争体験者がいなくなる中、忘れてはならない史実をきちんと引き継いでいかなければならないと強調されていた。慰霊祭に参列しての感激を九月八日に予定されている、戦争遺跡巡りのバスツアーの参加者に伝えたいと思っている。

 

 

 

エッセー日記（七月）

友、遠方より来たる

泉　　脩

 

 

　いよいよ夏がやってきた。六月末にわが家にも、とうとうエアコンをつけた。どうなることか。

七月二日に、妻の甥の小畑暁(さとる)が、妻と息子を連れて三人で訪ねてきた。宮崎県でワイナリーの工場長になり、見事に成功して国内外に認められた。私は毎年、秋になると一ダースを送ってもらい、世話になっている方々に差し上げて喜ばれている。

　一人息子の竜太郎君が大学で醸造を学び、更にオーストラリアに留学するという。やがてはワイナリーの仕事を受け継ぐことになるかも知れない。

父親が宮崎、母親が沖縄の糸満市の勤め、そして息子が留学という家族である。暁は、工場長から社長を経て、相談役だという。現在六十六歳、永い間の苦労がやっと終わりを迎えているのである。よくやったと思う。

　私はなるべく外出せずに、原稿書きに努めている。手紙が次々と来るのがうれしい。石田・沼田・牧野・桑村そして櫻田。櫻田さんは深川西高校の卒業生で、現在は京都に住み、母校の歴史を書いた本を私に送ってくれた。

　七十年前、私は深川西高校の「あゆみ会事件」に必死に取り組んだ。この本を読んで私の努力が無駄ではなかったことが分かった。そしてこの本の評論を書き上げた。私の次の本の目玉になるかも知れない。

　クラシック音楽は、現在フランスの演奏家のＣＤを聴いている。指揮者のミンシュ、ヴァイオリニストのチボーなど、なつかしい演奏ばかりだ。次はイギリス、そしてイタリアである。

　野球は大谷がホームラン三十二号に達した。三冠王を日本中が期待している。ファイターズは好調を取り戻して、パ・リーグ二位に迫っている。トップのソフトバンクにどこまで迫れるか。八・九月の戦いが楽しみである。

　七月三〇日、京都から来札した牧野さんと、井上美香さんを交えて夕食会をした。牧野さんは石田英夫の教え子で、香港の大学で二十六年間教え、現在は京都大学の教授である。ここ三年、北大経済学部で夏の集中講義を行い、私と会ってくれる。気さくで親しみやすく、見識も優れていて、とても楽しい。井上さんとは二度目だが、年頃も同じで二人は仲がよい。二人とも高校時代にロックをしていたという。

　話が弾んで多方面に及び、私も久しぶりに深い対話が出来てうれしかった。友、遠方より来たる、また楽しからずや―である。私は三十歳も年下の若い学識豊かな二人に接して、あらためて人生とは良いものだと思った。

牧野さんは『北国の詩(うた)』をよく読んでいて、的確な評価をしてくれた。共著者の私と井上さんには、有難いことだった。しかも牧野さんも、近く自分の本を作るという。とても楽しみである。

 

 

 

鷲田小彌太・井上美香

『なぜ、北海道はミステリー作家の宝庫なのか？』

未知の世界を学ぶ

泉　　脩

 

 

　この本は、鷲田小彌太と井上美香(よしか)の最初の共著で、二〇〇九年に発行された。戦前の部と戦後の部に分かれ、実に多くのミステリー（推理小説）作家と作品が登場する。そして函館がその発祥の地であり、幕末（十九世紀中頃）の日米和親条約で、伊豆の下田と共に、函館が開港されたためだという。欧米の文化が伝わり、欧米で持てはやされていたミステリーが伝来したのである。

　函館で生れ、探偵小説・推理小説を書き、中央でも活躍した何人かの作家と作品が書かれているが、私には初めて知る人々である。子供の時に読んでいたか、忘れているのかも知れない。

そもそも私は、ミステリーをほとんど読んでいない。かつてヨーロッパの、ルパンやホームズが活躍したミステリーを読んだ。しかし、おもしろいが印象には残らなかった。

日本のミステリー作家で唯一人、松本清張の作品だけは熱中して読んだ。社会的背景が掘り下げられ、読み応えがあった。私はもともと謎解きが苦手だったし、犯罪、特に殺しは嫌だった。心温まる印象深い作品を好んで読んできた。それでなくても現実は暗くてきびしいのだから。その様なことで、この本については、戦後私が読んだことのある道内の作家の作品を選んで紹介したい。

戦後の「ミステリーも手掛けた作家」として、伊藤整・井上靖に続いて、三浦綾子が書かれている。一九六四年の朝日新聞懸賞小説で入選した『氷点』である。

旭川の人妻が不倫の外出をしている間に、幼い娘が家の近くの林の中で殺された。犯人が捕まり、孤児になった殺人犯の娘を夫が引き取り、殺された娘の代わりに女の子が欲しいとねだる妻に、そのことを秘密にして育てさせる。成長した娘が自分をめぐる秘密を知り、養母と対立する話しである。

筆者（井上）は、作者のキリスト教信仰に基づく解決を「御都合主義」と、きびしく批判している。私はこれを読んで、ハッとした。神の愛によってすべてを許す―というのは正しくないのかも知れない。

三浦綾子の作品はすべてキリスト教の信仰を伝えるために書かれていて、私も違和感があると感じた。しかし、きびしい罰だけが正しいのかどうかは解からない。

次に佐々木譲(じょう)の『エトロフ発緊急電』（一九八九）。アメリカの日系二世の主人公が、日本にスパイとして送り込まれ、千島のエトロフ島に渡り、沖に集結する大艦隊を見て、アメリカに無線電信で通報する。一九四一年末のことで、間もなく日本海軍のハワイ攻撃が行われる。主人公は見つかって殺され、彼の緊急電はアメリカ政府に黙殺される。日本の先制攻撃が必要だったからである。筆者（鷲田）は、この作品は「けれん味がない」と高く評価している。佐々木譲は警察の不正を批判する北海道警察シリーズも書き、多方面で大活躍し、遅くに直木賞を得ている。

三人目は渡辺淳一で、作品はデビュー作『小説　心臓移植』（一九六九）である。札幌医大の和田教授が、日本で最初の心臓移植に失敗した経緯を書いた。当時同大学の整形外科講師だった渡辺淳一が、批判的な内部告発をしたのである。身近にいた者でなければ知り得ない内容と、生々しいリアルな文章で、権力者の誤りを明らかにした素晴らしい作品である。

渡辺淳一の作品では、高校時代の恋人の自殺の原因を究明した『阿寒に果つ』がある。この作品も、ミステリーと言ってよいだろう。

 

おわりに

　この本の二人の著者は文学の師弟であり、師の二百冊もの著書をデジタル化（パソコン入力）をしてきた井上美香が、師と初めて共作した本で、実に詳しく書かれている。「なぜ、北海道はミステリーの宝庫なのか？」と主張し、しかし北海道内の読者は少ないため、この本で系統的に紹介したという。

　ミステリーの苦手な私も、よく知った作家と作品に出会い、また知らなかった作品にも触れることができて、とてもうれしい。そして二人の著者の博識と努力には頭が下がる思いである。ミステリーも芸術であると思うようになった。

　北海道は、美しい自然と因習に捉われない住民によって、芸術においても魅力のある天地なのだと思う。私自身も戦争から逃れて東京から疎開して八十年、及ばずながら教育と文学に力いっぱい打ち込むことができて、幸せな人生だったと思っている。多くの優れた人に出会い、幸運だった。この本の著者井上美香さんも、その一人である。

 

 

 

 

 

 

 

 

『月と六ペンス』の魅力

　　　　　　　　　　　　　　　松木　新

 

塩田武士の新作『存在のすべてを』（朝日新聞出版　２０２３年９月）は、『罪の声』に劣らぬ力作です。

『存在のすべてを』は、写実画家貴彦の数奇な運命を描いた作品ですが、作中で、サマセット・モームの『月と六ペンス』が、重要は役割を果たしています。

モームについては、学生時代に、『人間の絆』を読んだきりで、平凡な内容のためか、あまり関心を持つことのできない作家でした。というわけで、初めて『月と六ペンス』を読んで見ました。

主人公のイギリス人ストリックランドは、死後「天才」と呼ばれるようになった画家です。

株式仲買人のストリックランドは、四〇歳を過ぎた頃、突然、家族を捨ててパリに向かい、絵を描くことに心血を注ぎます。その後、放浪の果てにタヒチにたどり着き、数々の絵を描きますが、ハンセン病で亡くなります。

ストリックランドは、ゴーギャンをモデルとする人物と目されていますが、〈実際には、ストリックランドとゴーギャンの間には類似点より相違点のほうが多く、この小説に描かれた芸術家像は、モーム独自の創作であると考えるほうが適切らしい〉、と光文社古典新訳文庫版の解説者松本朗が書いています。

『月と六ペンス』の中に、次の文章があります。

〈思うに、ストリックランドが作品を見せたがらないのは、描いてしまった絵などもうどうでもいいからではなかろうか。夢の世界に生きているストリックランドに、現実はほとんど意味を持たない。心の目に見えている何かをとらえようとし、すべてを忘れて激しい個性をカンバスにぶつけるが、終わったとたん、作品への関心は失せる。ストリックランドが一枚の絵を完成させることはめったになく、彼にとって「終わる」とは、絵を描き終えるというより、自分を突き動かした一瞬の情熱を燃やし尽くすというのが正確かもしれない。描いた作品など、心に宿っている幻に比べれば無にも等しく、だから決して満足することがなかった〉

『存在のすべてを』の次の文章が、この『月と六ペンス』の文章と響き合っています。

〈貴彦もそのダ・ヴィンチの言葉が好きだった。「芸術に完成はない。諦めただけだ」――自分が進んだのは一生懸けても極められない道。余計なことに気を取られている場合ではない〉

〈情熱を燃やし尽くす〉と〈諦め〉とは、表現上は異なっていますが、創作に向かう心の動きに、何処かで線を引く、という行為では共通だと思いました。願わくは、諦めの線を引く、その何処かが、締め切り日でないことを期待したい心境です。

なお、〈知恵と感性と想像力〉についての次の言説も参考になりました。

〈「美は、この世で最も貴重なものだ、浜辺にころがっている石ころとは違う。通りがかりの人が何気なく拾い上げるようなものじゃない。美というのはね、不思議ですばらしいもの、芸術家が心で苦しみ抜いて、この世の混沌の中から生み出すものなんだよ。でもね、生み出されたからと言って、誰もが見て、すぐに美とわかるわけじゃない。それが美だとわかるためには、芸術家の苦しみを自分の心でも繰り返さなくちゃ･･････。美は、芸術家が君に歌ってくれるメロディだ。それを自分の心でもう一度聞くためには、知恵と感性と想像力がいる」〉

 

「希望の未来を語らなければならないー」

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　松木　新

 

 

先日、ネットでサルトルの文章を見つけました。

 

〈世界は醜く　不正で　

　希望がないように見える

　だが私はこれに抵抗する

　希望の未来を

　語らなければならないー〉

 

初めて目にする文章だったので、出典を捜してみました。読んで見たのが、サルトルとペニイ・レヴィとの対談『いまこそ、希望を』（光文社古典新訳文庫　２０１９年）です。訳者が大江健三郎の学友・海老坂武で、〈この国でのサルトルの最良の受容者でありながら最もねばり強い批判者〉（大江健三郎『親密な手紙』）です。

海老坂の「解説」によると、この対談は１９８０年におこなわれ、同年の『朝日ジャーナル』に、同氏の訳で掲載されたとのことです。サルトルはこの対談の一ヶ月後に亡くなりました。享年７５歳。葬儀の日、パリには五万人の人々が街頭に出て、別れを惜しんだそうです。

該当する文章が、対談の最後にありました。

 

〈とにかく、世界は醜く、不正で、希望がないように見える。といったことが、こうした世界のなかで死のうとしている老人の、静かな絶望さ。

だが、まさしくね、わたしはこれに抵抗し、自分ではわかっているのだが、希望のなかで死んでいくだろう。ただ、この希望、これを根拠付けなければね。

説明を試みる必要がある。なぜ今日の世界、恐るべき世界が、歴史の長い発展の一契機にすぎないのかを、希望がつねに、革命と反乱の主要な力の一つであったということを。それから、わたしがどういうふうに、自分の未来観として、まだ希望を感じていけるのかを〉

 

サルトルは別のところで、〈希望というものを抒情的幻影とみなしたことなど、一度もないよ。希望というのは、自分で定める目的を、実現可能なものとしてとらえる仕方だと、いつでも考えていた〉と、語っています。〈抒情的幻影〉というのは、アンドレ・マルローが、スペイン市民戦争を題材に『希望』を書きましたが、第一編のタイトルが「抒情的幻影」（岩崎力訳では「抒情的幻想」）でした。

別のところでは、希望について、次のように言っています。

 

〈希望という言葉の意味するところは、行動を企てればかならず行動の実現を期待する、ということだ。（略）行動がかならず目的を実現するに違いない、ということではない。そうではなく、未来における目的の実現という形をとるに違いない、ということだ。しかも、希望そのもののなかに、一種の必然性がある〉

 

ときには、ソ連への妄信や、毛沢派に与するなど、揺れ動く時期もありましたが、サルトルはいつの場合も、知識人としての社会的参加、アンガージュマンを信条にしてきました。その結果として、〈行動の実現を期待する〉ものとしての〈希望〉というとらえかたが生まれたのだと思います。

〈希望〉は〈行動〉を前提にしていることの重要性を、あらためて確認しました。

この対談で、サルトルが　〈老い〉について、面白い見方をしていますので、紹介します。

 

〈みなわたしを年寄り扱いする。わたしは屁とも思わないがね。なぜかって？　年寄りは年寄りだということを、自分では決して感じないからだ。老いを外から眺めている人において、老いが何を意味するか、これは他人をとおしてわたしにもわかるが、自分の老いは感じられない。だからわたしの老いとは、それ自体でわたしに何かを教えるといったものじゃない。

わたしに何かを教えるのは、わたしに対する他の人々の態度だ。言いかえれば、わたしが他人に対して年を取っているというので、ものすごく年を取っているということになる。老いとは、他人が感じ取るわたしの現実であって、彼らはわたしを見て「あのじいさん」と言っている。もうじき死ぬということで親切にしてくれるし、うやうやしくもしてくれる。つまり、わたしの老いとは他人のことなのさ〉

 

〈老いとは、他人が感じ取るわたしの現実〉、〈わたしの老いとは他人のこと〉というサルトルの言明は、なんとなく開き直りの感じもしますが、いわゆる「後期高齢者」へのエールにもなっているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

札幌民主文学通信

二〇二四年七月〇一日　３０８号

 

 

 

七月例会誌上合評

合評作品　　

　風見梢太郎

　　「助け人」

（『民主文学』７月号）

　

 

 

 

 

　

意見１　　　　　　北野　あかり

　

書き出しが特別なことではなく、高齢者の日常生活場面なので、気軽に読めました。タイトルの助け人というのも、合唱団への出演依頼と職場の現役研究者の中に党員を組織するための「助っ人」、ということがテーマなのだとわかりました。

　私は、退職後労働組合でボランティアで働いており、そこの合唱団にも属していて、毎年ストレートに加入を呼びかけているのですが、なかなか成果はあがりません。要求アンケート調査を行い、要望記載覧に指名を記入してこられた方を中心に面談を行いながら加入を呼びかけて来ました。

　作品の中で、職場に組織をつくる手段として合唱団の繋がりを絶好のチャンスという表現がありますが、職場の労働者が、どのような状況に置かれているのかが出ていません。社会変革という視点だけでは、助っ人にはなってくれないと思いました。

　また、最近、コンサートに出場しましたが、作品の中の「リハーサルなしで演奏し、聴衆からお義理でない本気の猛烈な拍手が来た」とありますが、ぶつけ本番で、しかも、助っ人が入った「カルテットで」といことで、信じられませんでした。

レベルが高い合唱団ならリハーサルなしでも実際に出来るのか、聞いてみたいと思いました。

 

 

 

 

意見２　　　　　　後藤　守彦

 

誌上発言に参加したりしなかったりと、姿勢が一貫していませんでした。エッセイなどを書くより、誌上発言は重たいですね。

今回の対象作品について、例会の冒頭で、比喩・擬人法・体言止めのない的確な文体、綻のない安定した構成・展開、初志・初心と引き継ぐがキーワー

ドで真面目・誠実が基調、と発言しました。その後は、発言しませんでしたが、作品の基調にやさしさを加えたいと思います。乙骨や坂崎へのまなざしに

感じました。

腹が立ったという意見には、あり得ると思ったものの、正直驚きました。違和感があると指摘された「絶好のチャンス」という表現には、作者の率直な

思いと真面目が現れていたと思います。この作品世界が一般の人に理解されるのかという懸念については、むしろこうした生き方、生きる姿があることを

知ってもらいたいと思いました。乙骨が初心を貫くことができたのはなぜか議論されましたが、主人公の波多野がそうできた理由も知りたいと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

　意見３　　　　　　松木　新

 

乙骨の人物形象に興味を持ちました。大企業の管理職経験者が、退職後も初志をつらぬくことができたことの理由として、〈あの新聞だけは読まなくてはいけない、と思って努力しました〉、と書いていることは納得です。あらためて、この新聞の威力を感じました。

〈現職の研究者と接触する機会を狙っていたのだが、坂崎たちの誘いは、私には絶好のチャンスだった〉という文章について、論議が集中しました。

ぼくも他の人たちの意見と同様、この表現は風見さんらしくない、不用意な表現だと思いました。なぜなら、この記述からは、「共産党員が大衆組織に参加するのはマヌーバーだ」と、誤解される可能性があるからです。大衆組織への参加は、あくまでのその組織の目的実現のために、参加者と手を携えて努力することが、共産党員の本来のあるべき姿だと思うのです。

 

 

　意見４　　　　　　豊村　一矢

　

七月号の巻頭作品『助け人』を一読して、数年前、関西に住む妹から貰ったハガキのことを想い出した。

ハガキには、「ゴメン、お兄ちゃん。『民主文学』止めたから……。今までの誌代は払ってあるよ…」とあり、理由は、端的に言えば「面白くないから」、ということだった。

　私が民主文学会に入り立てのころ、妹に『民主文学』の定期購読を勧めた。妹は快諾してくれた。

　私は、妹が面白くないと思うのも、何となく理解できたので、再考を促したりせず、年賀状に「長らくの購読、深謝」と添え書きしただけだった。

　私は、合評作品「助け人」を「面白くない小説」だと思った。読者が共産党員・熱烈な支持者であろうとなかろうと、「合唱団に助っ人として加入するのを、共産党員を増やすを絶好の機会とする」という趣旨のことを臆面も無く書かれれば、釈然としないだろう。これが面白くない小説とする理由だ。

　

 

　意見５　　　　　　村松　祝子

 

Ｄ通信会社の研究所に就職して以来退職するまで反共の中で挫けず共産党員として戦ってきた波多野は退職してからも赤旗の集金をする七十半ばの老人である。妻を亡くして現在独り者である。その彼が趣味のコーラスを通して世の中を少しでもよくしたと思う人々を増やしたいと常に心がけて生活している中で乙骨という人物と知り合う。

彼も党員だが会社の上層部で仕事してきた関係上表だった活動をしてこなかった。

その後ろめたさを抱えて、退職後もう少し積極的な活動を心掛けなければと思う中で波多野に出会い自分の気持ちを披瀝するのだった。

波多野は積極的に乙骨は控えめと躊躇を見せながら指揮者の坂崎に自分たちの想いを伝えようとするところで完結する。

最初読み終えて捉えどころにない小説だなあと思ったが党員として生きていく真面目さと精神の葛藤も覗かれる作品なのかと思った。この作品が関係者以外の多くの読者の心にどう響いて行くのか知りたいと思った。

人に自分たちの思いを理解して一緒に歩んで行こうということは簡単な話ではない。そこにこの物語の中心があるのではと思うが、そこはあまり詳しく描かれてはいないように思う。乙骨の職場での悩みや彼自身赤旗新聞だけは毎日欠かさず読むようにしていたという。その時の彼の心情などもっと知りたいと思った。

「助け人」とは波多野のことだと思っていたが、それは乙骨のことなのか？と思うと、この小説が一段とスケールが大きく感じられた。

 

 

　意見６　　　　　　　泉　　脩

 

　大企業の研究所を退職して十数年経った主人公が、現役の後輩の職場合唱団の指揮者から、本社のＯＢ合唱団の助っ人（すけっと）を頼まれる。シューベルトのミサ曲のソロ四重奏の一人になることである。

　彼は学生時代からの共産党員で、就職してからも組合運動や合唱活動に参加し、差別と攻撃を受けてきた。現役の指揮者はそのことを知りながらも彼を推薦し、本社のＯＢ合唱団の指揮者と「話が合うだろう」と言ったのである。

　コンサートは成功し、終了後に主人公は指揮者の乙骨と話し合い、彼も学生時代からの活動家で、本社の管理職にされても、志しを持ち続けていたことを知った。二人は、二人を引き合わせた研究所の現役指揮者に働きかけ、職場に灯をともし続けようと決心する。

　私も同じ経験をしてきた。職場で組合を作り、文学読者会を続け、横暴な経営者に勝利したが、職場に灯を残すことはできなかった。むずかしいことである。

　この作品は、大企業における共産党員の困難な闘いをよく書いている。しかも合唱という素晴らしい活動を書いている。私には身につまされる見事な作品である。作者の実践を取り上げているようだが、貴重なドキュメントに近い作品なのかもしれない。

　民主主義文学会前会長の田島一さんの作品にも、同じような長篇小説があった。日立の工場の個室に一人隔離され、止む無くそこで小説を書くのである。作者の実体験のようである。

芸術の創造で、非人間的な差別・攻撃と闘い、仲間を作っていくのである。

私は職場の文学読書会を、退職後に市民サークルに発展させ、併せて六十二年間も続けた。職場の文学仲間七人と共に。

 

 

　意見７　　　　　室崎　和佳子

 

大企業の研究所という困難な環境の中でも、次代を担う若い層に現実の日本のどうしようもない社会を変革する、人間が人間として大切にされる職場に変える、そういう意識を持ってもらいたくて、七十代真ん中くらいの「私」(波多野)が合唱を通じて力を尽くしている話である。波多野さんは精神がかなり柔軟なのだと推察される。「私」の肩肘張らない語り口や態度が若い坂崎(合唱団指揮者)にも好かれる所以であろう。

　現代は万事において若い世代には「軽く、薄く」当たらなければ恐れられる時代である、と私(室崎)はこの年齢になって認識するに至った。

まともにぶち当たっては成功しない率が高いからだ。面倒なことではある。

　例会の中での発言で、「共産党員でなければ立派な人間とは言えないというように感じさせる文章表現に抵抗を感ずる」「共産党と全く関係のない人がこの小説を理解、納得できるだろうか」というような意見があったが、なるほどである。どんな生き方も認められなければならない。民主主義とはそういうものだからである。だからというのではないが、『助け人』という小説もまたあり、なのだ。

『助け人』の合評とは関係のないことであるが、私は四年半ぶりに対面の合評会に参加した。人工透析をしている夫の病気がコロナの致死率五〇パーセントと言われている面倒な病気なので、私が感染して殺人者になりたくなかったからである。

会議室での合評はともかくとしても、江別〜札幌間のJR内と駅内、札幌駅〜高教組センターまでの地下歩行者空間での雑踏ぶり(私はいつもこの間を歩いて往復していた)を思うと、たくさんの人との接触は免れず、なかなか決心がつかなかったのだ。　

なにせ、あのラブレターをくれた相手なのだから。

　というわけで、四年半のご無沙汰でした。

みなさん、またよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

意見８　　　　　　　泉　恵子

いつもながら、作者風見さんの端正な文体、しっかりした構成を感じさせられ、お人柄の誠実さ、真面目さが滲みでている作品だ。

大企業の研究所に勤務しながら、社会変革の志を曲げずに公然と名乗りを上げて闘ってきた波多野。

それ故に、所属していた会社の合唱団の活動を停止させられるという不当な差別にもあってきた。そんな過去を持ちながら、定年退職数年後も、若い後輩たちの合唱団で歌うことができ、志を受け継ぐ人を見つけたいという思いも繋いでいた。

ある時、本社の合唱団からの依頼で「助け人」として歌い、その中の一人「乙(おっ)骨(こつ)」という人が、管理職にあって公然化できずに過ごしながら、志を持ち続けてきたことを知る。

コンサートの後、乙骨に誘われて話す中で、今度はOB合唱団に波多野を推薦した若い坂崎と三人で話そうということになり、志を繋ぐ萌芽が垣間見えきたか。

かつての職場の中に、何とか人間らしい働き方の芽を育てようとする小さいけれども、静かな闘志を感じさせる話。

例会で「助け人」とは誰か、という問題が提起された。波多野が歌の「助っ人」というだけでなく、社会の「助け人」にもなっていると思うが、乙骨もまたその一人であり、もしかしたら坂崎もそうなるかもしれない、という含みを持たせているのではないか、と。

ここでは、乙骨が後日波多野を誘ったことから、そうした話に発展した。だが、三人で会いましょうという話に持っていったのは波多野である。二人の協同が、やがて芽を吹くことを祈らずにはいられな　い。

こうした一粒一粒の小さな「助け人」が、やがて大きな輪の一つとなって、社会の正義が守られてゆくのだと思う。そんなことを考えさせられた作品だった。

 

 

意見９　　　　　　山田　孝子　

企業での序列（同期でなければ、言葉遣いが違うなど）意識に驚いた。そういう中での活動は、凄く気を遣うものであったろうと感じた。

　大勢で歌うのではなく、たった四人で歌うのに、ぶっつけ本番はあり得ないだろうと鼻白んだのだが、もしかしたら、作者はそれほどの力量であると示したかったのかもしれない。

それほどの力量の人なのに、共産党員というだけ

で合唱団を活動停止にした異様さを際立たせたかったのだろうか？

　それにしても、その時に、他の部員たちは唯々諾々と廃部を飲んでしまったのが、説明されてないのでもどかしく思った。

　主人公は、合唱だけでなく、世の「助け人」という意味なのだろうか？

　文章が滑らかで、何度も読み返すことが出来た。

 

 

 

 

 

意見１０　　　　　　石川　節子

 

私には、この作品には、不愉快なところが、ありました。

７ページ下段の７行目。

　　　　　私が坂崎たちの合唱団に加わったのは、もちろん、音楽が好きであったからだが、それとは違う目的もあった。職場の若い人たちに闘いの火を受け継いでもらいたい、と思ったのだ。私は長くこの研究所に共産党の組織をつくることに努力してきた。勤めているときは、様々な年齢層の研究者と接する機会があり、私の勤めで共産党に入ってくれる人もいた。しかし、私と同じ年代の党員が相次いで退職し、頻繁な組織再編あったので、私の知る限り、今、この研究所に党員はいなかった。後継者を作りたいという願いは退職してからも変わらなかった。現職の研究者と接触する機会を狙っていたのだが、坂崎たちの誘いは、私には絶好のチャンスだった。

「助け人」を請われて、それに応えるために行くのに、「このチャンスに党員を増やそう」などという、野心を抱いて乗り込むのは、実にけしからん。

｢助け人｣と、いうものは、純粋にそれに応えるだけのものであります。

 

 

 

 

 

　意見１１　　　　　　柏原　竜

　　

　波多野は７０才の半ばを過ぎた一人暮らしの共産党員である。妻を亡くしてから、脳梗塞を患い左半身に軽い麻痺がのこっている。Ｄ通信会社の研究所に４０数年勤め、若い頃研究所の合唱団に所属していたが、共産党員である波多野が所属している事により解散させられ、その後再開されることはなかった。しかし、定年後ひょんな事から元の職場に作られた小規模な男声合唱団に加わるようになった。指揮者の坂崎、坂崎の年の離れた大学の先輩乙骨と合唱を通じて知り合いになった。乙骨は学生時代に社会の変革に自分の人生をささげる決意をして就職後も思いは変わらなかったが表立った活動は出来なかった。大勢の学生運動の仲間が大企業に入っていったが、初心を貫くことができた人は少ない。『赤旗』だけは読まなくてはと頑張ってきた。そして、企業の中で身体を張って闘っておられる方々にはいつもコンプレックスのようなものがあった。乙骨は自分も苦労して初心を守ったことを波多野に解ってほしかったのだろう。学生時代申し分のない活動家だったが企業の資本家の思想に取り囲まれ自滅してしまった人達は数多くいる。　

　波多野は元いた研究所に消えてしまった党の灯を再びともしたいと思っている。坂崎に期待していたので先輩の乙骨と共に声を掛けていきたかったが、身近な人を仲間に誘うという活動を長い間やってこなかったせいか乙骨は戸惑っていた。そうだろうな。

　大企業の中での党活動がどんなに大変な事か、想像以上のものなのでしょう。徹底的に差別して退職に追いこもうとする会社の中で、『赤旗』だけは苦労して読み続けてきた乙骨。そして大多数は会社に呑み込まれていってしまった。日本はかって世界第２位の経済大国だったが、今はどうなのでしょう。「日本経済の失われた３０年」と言われているが、これは自民党だけではなく大企業が引き起こしたものだから、その大企業の中枢にいた乙骨達はどう考えていただろう。日本の５年先、１０年、２０年先を見据えていたのだろうから、落下していく事を、ある程度想定していたのではないか。　　　　　　

乙骨が、「私は、人を見る目は自信があるんですよ」との言葉に、苦労して培ってきた強さを感じた。人と人の繋がりは大事であり難しい。　

　人物の描写が細かく奥深い。とくに共に合唱した白川、村山について。　

読んでいて、リンカーンが言っていたことを思い出した。「人は４０歳をすぎたら、自分の顔に責任がある」。小学校の教科書に載っていたように思う。人間は正直に真面目に一生懸命生ることが大切なのだと、当時強く思った。

 

 

 

 

 

 

投稿欄

 

 

続「北の国から来た猫」

後藤　守彦

 

　　　　

　昨年、「北の国から来た猫」の最終章を書いたのに、性懲りもなく、また書くことにする。こう入力したところで、パソコン台のすぐ横の壁にかかっている九条カレンダーに目をやったら、愛くるしい二匹の子猫が並んで座っているではないか。それも亡きミーコと同じキジトラである。涙腺がゆるんでしまった。

飼い猫ミーコが旅立ってから一年以上経つが、まだ死を受容しきれていない。ペットロスを乗り越える一番の方法は、またペットを飼うことだといわれるが、そう簡単に実行できるものでもない。遺骨は居間の棚にまつったまま。毎日、手を添えながら、起床時に「おはよう」、就寝時に「おやすみ」と声かけしている。時々、ドアのかげなどに気配を感じてもいる。夢には水を飲んでいる姿で出てきた。

そうそう、本の前に、とても心に沁みた、新聞に載ったエッセイについて述べたいと思う。『しんぶん赤旗』三月一二日号に、絵本・舞台美術・文筆などで活躍している篠原勝之が、「古都の庵から　一陽来復」で飼い猫の死について書いていた。飼い猫の二代目ガラが最近亡くなったのだが、初代ガラの「死にぎわはかわいそうなことをしてしまった」と悔いている。猫は「死への恐怖などではなく、身体におきた異変を実感しながら何かを待ち続けている」のに、飼い主の篠原は、点滴などして「ただただオレの願望だけで生き延びさせていた」。六年後、生き写しのような黒猫と出会う。二代目ガラである。今年の節分の早朝に、一二歳で逝ったが、今度は延命措置を途中で打ち切る。二代目ガラは、「弱ったスフィンクスみたいな格好で、誇り高く死を迎え入れた」。篠原は思う。

 

　　　この世で誰しも「生老病死」の苦しみを背負い、一生を過ごしていくヒトは同じようにはいかない。初代も二代目もオレに同じ「死」というお仕舞いのイベントを披露してくれたのだ。

 

次は近刊のネコ本の話題。漫画家ヤマザキマリの『猫がいれば、そこが我が家』（河出書房新社、二〇二三年）は次のように結ばれている。

 

　　仕事場で作業をする私を見つめるベレンの目はまるで「これまでいろいろあったけど、絵を描き続けてこられてよかったね」とでも伝えたがっているようだ。おおらかな大地のような、太陽の神のような、私のこれまでのあらゆる時間を包み込む寛大な包容力に「小さいのに大きいね」という言葉がつい出てしまう。これまでの猫たちと同じように、今はベレンという小さな存在の大きな魂に私は常に守られている。

 

ベレンはベンガル猫で、生まれはポルトガル。飼

い主の引っ越しで、イタリア、シリア、アメリカと移動し、今は東京でヤマザキと暮らす。ヤマザキと常に密着しているわけではなく、膝に乗ったりはしない。撫でられるのは嫌がらないのだが。ヤマザキを「付かず離れずの位置からそっとサポート」しているのである。

　『赤旗日曜版』に連載された漫画『銀河鉄道の夜　四次稿編』が全四巻の単行本として新潟県の出版社風呂敷より刊行され、昨年完結した。作画はますむらひろし、彩色は妻の増村昭子。一九八三年、一九八五年に続いてまた『銀河鉄道の夜』を映像化した。宮沢賢治の残した謎を、研究書を読むだけでなく、天沢退二郎などの研究者や宮沢賢治の弟清六を訪ねたりして、必死に解こうとした。それも、文章で表現されたこと、のみならず表現されなかったことを画像にするという、特有の難しさにチャレンジしたのである。白黒だけでなくカラーのページもあるが、特にカラーは素晴らしい。細密画のようである。ますむらは、『銀河鉄道の夜』は、「お盆に還ってくる二年前死んだ妹の魂を、まるで迎えに行くように乗りこんでいきたい気持ちの果てに誕生した〈祈りの固まり〉なのだ」と考える（『イーハトーブ乱入記―僕の宮沢賢治体験』ちくま新書、一九九八年）。

ジョバンニ、カムパネルラをはじめ登場人物は、すべて猫の姿をしている。宮沢賢治の研究者などから反対の声があがったのに、ますむらはなぜ人ではなく猫としたのか。ますむらには、明確な理由があった。前掲『イーハトーブ乱入記』をのぞいてみよう。

 

　　　水俣病実験の猫から始まる猫という自然と人との対立。そしてアタゴオルでの猫と人の共存。そうした道へと導き、そして何より僕に、「猫＝人である」と気づかせたのは宮沢賢治その人なのだ。

 

　ますむらは、ＴＶ番組で水俣病の実験に使われた猫が苦しんで飛び跳ねる姿を見て、人間中心主義に怒りを覚える。東京の愛宕で野良猫とふれあいながら宮沢賢治の作品を読みまくる。そうしてますむらは猫派になっていく。

一七年前に出版された、夏川草介の『本を守ろうとする猫の話』（小学館、二〇一七年）の続編である『君を守ろうとする猫の話』（小学館、二〇二四年）が出た。『本を守ろうとする猫の話』はロングセラーとなり、世界四〇か国以上で翻訳されている。本の話だから当然だが、文学作品の名前と引用が散りばめられている。引用の最初はサン・テグジュペリの『星の王子さま』の有名なフレーズ「物事は、心で見なくてはよく見えない。一番大切なことは目には見えない」である。主人公は、古書店を経営する祖父と暮らす、引きこもりがちな高校生夏木林太郎。本の世界に逃避する林太郎に、祖父は「お前は物知りになりたいのか」と静かに問う。そして「本には力がある。けれどもそれは、あくまでも本の力であって、お前の力ではない」「どれほど多くの知識を詰め込んでも、お前が自分の頭で考え、自分の足で歩かなければ、すべては空虚な借り物でしかない」と語りかける。祖父が亡くなった後に、人間の言葉を喋るトラ猫が出現し、本を守る旅に林太郎を連れ出した。迷宮の旅を終え、「〈人を思う心〉、それを教えてくれる力が、本の力だ」と確信した林太郎は、足を一歩踏み出していく。帯封に「二一世紀版『銀河鉄道の夜』」とあったように、本好きを喜ばせてくれるファンタジーである。        

『君を守ろうとする猫の話』で人間の言葉を喋るトラ猫と旅するのは、中学二年の女の子ナナミ。持病の喘息のため、あちこち出歩くこともできず、下校後は図書館に通い本の世界にひたっている。その図書館で最近本が無くなっていることに気づき、館内を探り始めたナオミは、青白く輝く書棚の前でトラ猫に声をかけられる。壁が消え、どこまでも続く本棚の通路を辿って、失われた本を取り戻しにトラ猫と歩んでいく。城に遭遇するが、そこでは本が焼かれていた。危険とみなされる本、時代を越えて多くの人に読まれている、「ありふれた知識を羅列しただけの無害な本」でなく、人間と社会を深く考えさせる本が。本を燃やすといえば、歴史上有名なのが、秦の始皇帝による焚書坑儒とナチスの蛮行である。ナオミは本を取り返し、通路を戻ってきて、夏木林太郎と出会う。本が教えてくれる大事なことについて、ナオミに語る。

 

　　困っている人がいたら手を差し伸べること、悩んでいる人がいれば耳を傾けてあげること、お金より大事なものがあること。そういった理屈では説明できないことを、教えてくれる。

 

『君を守ろうとする猫の話』でも、サン・テグジュペリの言葉、「物事は、心で見なくてはよく見えない。一番大切なことは目には見えない」が、終わりころにまた引用されている。

 

『谷から来た女』

――アイヌを描いた新しい文学

　　　　　　　　　　松木　新

 

６月２５日の道新で、桜木紫乃『谷から来た女』（文藝春秋６月１０日）を知りました。主人公はアイヌ文様デザイナー赤城ミワで、貝澤珠美さんをモデルにした作品、とあったので早速読んで見ました。

貝澤珠美さんは、北海道ウタリ協会の副理事長を務めた貝澤正さんの孫娘で、貝澤正『あいぬ　わが人生』（岩波書店１９９３年）は、愛読書の一冊です。

道新には貝澤さんも登場し、この本の装幀も手がけたこと、〈紫乃さんの世界観の中でミワはたまたまアイヌでデザインしている。でも、ミワの後にあるもの、生き方が表現され、今までにない新しい物語〉、と話していました。

『谷から来た女』は、赤城ミワを主人公にした６編の連作小説です。赤城ミワの顧客は、外資系ホテルの建築デザイナー、商社、出版社などです。フォトグラフアワード優秀賞を受賞し、作品がルーブル美術館に展示されることが決まるなど、赤城ミワはトップデザイナーです。

アイヌの作家・鳩沢佐美夫が、かつて、〈とにかく、僕は、ことさらに差別という視点と、貧困という対策の枠のなかでのみ、アイヌ問題を論じないでくれ、と叫びたい！　〉と語っていました（「対談・アイヌ」-『若きアイヌの魂　鳩沢佐美夫遺稿集』）。

アイヌを描いた小説の多くは、これまでどちらかというと、〈差別という視点と、貧困という対策の枠のなかで〉描かれてきました。それだけに、トップデザイナーを主人公にすえたところに、この小説の新しさがあります。

赤城ミワが語るアイヌについての言説も、納得できるものでした。

メディアの取材に応じた意図を次のように語っています。

〈「谷に生まれ谷で育ったことを公表している人間の、義務だからです。出自を隠して生きなくてはいけない人がひとりでも減るよう、祈りながらやっています。わたしは、民族の代表でもなんでもないし、どちらかといえばシサムに対して負の感情は薄いほうなんです。自分が何者であるかは、この手から生み出したものが後々語ってくれることだから、自己表現とも違う」〉

〈――アイヌの娘として、古き良きものを残す使命もありながら、それだけでは時代と離ればなれになってしまう。若いときに背伸びをしてでもブランドを立ち上げたのは、現代にどれだけ自然にアイヌの歴史をまぶしていけるかという挑戦でもありました。分断はある種の興味と尊敬を生むけれど、分断によって与えられる情報っていうのは、必ず飽きられると思うから〉

〈「民族という重荷はこの時代、アイヌに限らずこの国の誰もが持っているものだと思うんです」（略）

新たな戦前と言われている世界情勢を、ここまで平易な言葉で伝えてくれるミワに、ぐらりと心をつかまれ、同時に何かに試されているのだと実感する〉

〈「オヒョウの木の皮を剥いで煮込んで繊維を作り、織り上げて、刺繍をするんです。どんなに急いでも一年がかり。今回わたし、なぜ女たちがこんなに時間をかけて装束を作るのか、わかった気がしたんです」

時間をかけて美しく仕上げることで、装束に血の染みを作らぬよう精いっぱいの祈りを込めて、女たちは布を織り魔除けの刺繍を凝らす〉

赤城ミワの発言のなかにある、〈分断はある種の興味と尊敬を生むけれど、分断によって与えられる情報っていうのは、必ず飽きられると思う〉という一節に注目しました。

この作品には、赤城ミワと関わりを持つ何人かの男性が登場します。この場面は、桜木ワールド全開といったところです。彼らは、最後には全員がミワから去っていきます。いろいろな理由がありますが、共通しているは、自分たちがマジョリティとして、マイノリティにたいして優位さ（特権）を持っていることへの無自覚です。赤城ミワがアイヌであることについて、〈「そんなこと、気にしちゃいない」〉と、シサム（和人）として、先住民族アイヌと向き合うことを放棄しているのです。

北大アイヌ共生推進本部が発行したフライヤー「北海道大学はアイヌ差別を許しません」のなかに、「『マジョリティ』とは」という設問があり、自分に当てはまる項目が多いほど、マジョリティ性が高いとされています。以下、その項目を紹介します。

□自分の民族的出自を隠さなくてよい、気にしたことがない。

□出身地を聞かれない。そこにいることを不思議がられない。

□国内のどこでも、自分の言語で生活できる。新聞、雑誌、テレビ、標識、地図などに自言語が使われている。

□学校・地域で自分の民族語（国語）、民族史（日本史）、民族文化（日本文化）を教わった。

□幼少期から、先生の多くは自分と同じ民族だった。

□企業などのトップ、政治家、メディアに登場する人物の多くが、自分と同じ民族である。

□家族が差別を受ける心配をしたことがない。

 

　この作品の底流には、貝澤正さんがたたかった二風谷ダム裁判がすえられていることで、作品世界は重みを増しています。１９９７年３月の札幌地裁判決は、はじめてアイヌを先住民族と認定しました。このことが、２０１９年５月に施行された「アイヌ施策推進法」で、アイヌが「日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族」であると宣言したことに繋がりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エッセー日記（六月）

イズミファミリー

泉　　脩

 

　六月が終ろうとしている。昼が長くなって、いつまでも明るい。世の中もこうなれば良いのだが。

　石田英夫から手紙が来て、体調が悪いので六月の来札が出来なくなったという。心待ちにしていたので残念だが、時間ができて暇になった。その埋め合わせに、伊勢さんと石狩市にドライブに行くことにした。六月十五日土曜日、午前中に原稿の仕上げとデータ送信の仕事を終え、石狩鍋のランチに出掛けたのだ。

　この日も晴天に恵まれ、広い石狩市の海辺に行って、まず石狩灯台に行った。目が悪いので海を眺めることができなかったが、さわやかな海風を感じてきた。それからすぐ近くの金大亭という料亭に行った。古びた平屋の建物だが、店内は立派で趣きがあった。鮭尽くしの料理が次々と出て、石狩鍋で締めになった。どの料理も美味しかった。石狩鍋は上品な味で、昨年の小樽の野性的な石狩鍋とは対照的だった。石狩鍋発祥の店とのことだった。帰りがけに佐藤水産に寄って、買い物をして帰った。

　六月十八日は、井上美香（よしか）さんと会って、次の本の打ち合わせをした。松浦映子さんの娘婿のレストランで、おいしいパスタのランチをとり、他のお客がいなかった店内で、ゆっくりと話し合うことができた。

井上さんは次回、新しい原稿を書きたいとのこと。他に石田英夫と沼田陽紅の二人にも参加してもらって、にぎやかな本になりそうである。また、これまで十冊の本を作ってもらったアイワードの竹島さんに、序文を書いてもらうことにした。これも楽しみである。

なお、松浦映子さんと井上さんは、この日に初めて顔合わせをした。井上さんと話し合い、お互いに認識を深めたようである。松浦さんは五月の誕生日パーティの出席と合わせて、イズミファミリーとほぼ知り合ったことになる。また松浦さんは、六月八日の札幌民主文学会の例会に初めて出席し、新人賞佳作を受賞した自身の作品の討議に参加した。充分に納得したようである。

私も最後の締めくくりとして、心して原稿を書きたい。序章に載せる「私の文学理論」をしっかり書いて、パソコン入力にまわした。「私の文章作法」、「私の文学作法」と共に、私の文学論の完成である。あとは評論とエッセーを今年いっぱい掛けて、ゆっくりと丁寧に書いていこう。身が引き締まる思いである。

　私の長い人生は、多くの優れた人々との出会いと協力の連続である。九〇歳になって、この出会いが完結しようとしている。私はなんと幸運な人生だったのだろうと、今更ながら噛みしめている。あと何年続くことだろう。差し当たっては、もう五年が目標だが、欲張りだろうか。

相変わらず楽しみは野球である。大リーグの大谷が好調になり、ホームランを連発している。六月までに二十六本。ケガをせず、このままの活躍を祈るのみである。

ファイターズはセ・パ交流戦を負け越したが、それでもリーグ戦ではパ・リーグ三位である。なんとかＡクラスを続けてほしいものだ。

 

　

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

櫻田忠衛　

『高校生たちの「自由の学園」』

　　　胸をうつ母校の歴史

泉　　脩

 

　「北海道深川西高校の自由・自治・民主主義・仲間」というサブタイトルをもつこの本は、今年（二〇二四）四月に発行された本で、格調の高い胸をうつ内容である。

　著者の櫻田忠衛（ただえ）さんは、一九六七年に深川西高校を卒業し、立命館大学で学び、京都大学経済学部で講師を勤めた。母校の深川西高校の歴史を深く調べ、本著を書いた。民主教育で名高い母校への愛と、この民主教育を押し潰そうとした数々の策謀を、怒りを込めて糾弾している。

　私自身、深川西高校の最初の策謀である「あゆみ会事件」（一九五四）のたたかいに、深く関わっていたので、胸をつまされる思いでこの本を読んだ。警察・新聞と結んだ田村校長、毅然として闘った岡部教頭。生徒と共に闘い抜いた森谷先生（あゆみ会顧問）。当時私は、森田科二（さだじ）君の、新聞社の一方的な虚偽の記事への抗議の自殺を知り、北大学生調査団に参加し、岡部・森谷両先生を始め、多くの教師・生徒と話し合った。そして北海道新聞深川支局・深川警察署に抗議した。

札幌に戻り、私を含めた北大生三人で、北海道新聞本社に抗議した。社説室に行って平松社説委員と話し合った。数日後、社説であゆみ会事件が取り上げられ、校長と警察を批判した。道新空知版の誤りには触れず、新聞社の限界を示したが、事件の山場を越えたことは明らかだった。私たち三人は十二月に、『真実と平和を求めて』という八十六ページの小冊子を作り、全道・全国に拡めた。なんとも生々しい、迫力のあるパンフレットだった。私は約半年、心血を注いで闘った。生れて初めての社会問題への参加だった。この本を読み、このような自分の体験が思い起こされた。

　深川は旭川に近い北空知の人口二万人程の農村地域の町（現在は市）である。深川西高校は戦後に旧制中学から新制高校になり、一九五〇年代になって、民主教育を確立した。三島校長が「教え子を再び戦場に送るな」という合言葉通り、日本の再軍備・日米安保条約に反対し、新設された保安大学校（後の防衛大学校）への生徒の進学に反対した。そのため一九五四年三月に、宮城県の中学校に飛ばされた。そして後任の田村校長が、あゆみ会事件を引き起こしたのである。全国に沸き上がっていた「わだつみ運動」の高校版ともいうべきあゆみ会（生徒の平和サークル活動）を、警察と共謀して二つの新聞深川支局に流し、「日共の触手高校生へ」とか、「日共の軍事教練に高校生参加」といったおよそ有り得ない見出しで報じたのである。結局全道・全国からの抗議の中、道教委が十一月に「偏向教育なし」と発表して事件は治まったのである。

　この本は、その後の深川西高校の民主教育の目覚ましい発展を、詳しく書いている。かつて三島校長が掲げた、「無処罰の教育」が実現し、暴力などの校内の事件を、クラス討議・全校討議で解決するなど、すべてが生徒の自由と自治によって進められるのである。生徒会・各種委員会・クラス討議・全校集会が大きな力を発揮し、教師集団がこれを支え、導いていくのである。

　ところが一九六〇年代後半、道教委が文部省の人作り政策にのって、この深川西高校の自由と自治を潰しにかかったのである。まず、教師集団の中心だった岡部教頭を上磯に転勤させ、三浦校長を送り込んだ。彼は一年後の一九六六年三月、森谷・熊坂ら六人の活動的教師を強制配転した。いわゆるミサイル人事である。代わりに六人の腹心の部下を着任させ、この新人会を手足のように使って、生徒の自由と自治を壊していった。

　この本の大詰めは、著者の櫻田忠衛さん自身の体験である。

　一九六七年の卒業式の時、櫻田さんは生徒会長（三年前期）だったので、卒業生答辞を任された。生徒会卒業式委員会に草案を提出して承認され、三月の卒業式に読み上げるのである。ところが、卒業式委員会の顧問Ｕが、この答辞の全面的書き換えを要求してきた。彼は新人会のメンバーであり、三浦校長の指示で反対したのである。

この頃、櫻田さんは病気になり、入院して三学期の定期試験も受けられない程の状態だった。Ｕは毎日病院に来て、しつこく書き換えを求めた。同室の入院患者が呆れる程である。櫻田さんは仕方なく、部分的に訂正したが、基本的な部分は譲らなかった。ベトナム戦争反対、ミサイル人事批判、深川西高校の自由と自治の主張などである。

卒業式前日、櫻田さんは無理を押して退院し、自宅に帰った。すると夜になってＵがやってきて、なおも書き換えを要求した。心配して集まった何人かの友人が隣の部屋で見守り、母親が付き添う中で、最後まで櫻田さんは拒み抜いた。

翌朝七時に三浦校長は職員会議を開き、卒業式の中止を主張したが、さすがにこれは通らなかった。卒業式で櫻田さんは、最初の内容よりもトーンが弱まった答辞を、それでも堂々と読み上げた。読み終わると、卒業生の中から拍手が上がり、続いて在校生、父母・教師と続き、満場の拍手の中で卒業式が終った。

父母や来賓が退席しようとすると、三浦校長が答辞の内容について詫びる挨拶を始めた。彼は惨めな敗北をし、この年度をもって退職をした。後のことは簡潔に書かれ、まとめられている。

　この本が私に届いたのは、文学の友の松浦映子さんからである。櫻田さんの友人と知り合いで、私のことが櫻田さんに伝わったのである。私はこの本を読んで、ほぼ同時期に札幌の私立高校の教員だったので、痛く反省をした。自分の学校と深川西高校とは較べようがなかったからである。

この本をもらって、私はすぐ私の本を四冊、櫻田さんに送り、さらに七〇年前に私が心血を注いで作った『真実と平和を求めて』も送った。十七歳の森田科二君の七通の遺書を載せているのだ。現在九〇歳の私は、この貴重な小冊子を委ねる最高の人物を見つけたのである。そして櫻田さんから立派な手紙をもらった。若い新しい友人を得た思いである。

今更ながら、本の力はすごいと痛感している。この評論を、私は次の本の第一章に載せたいと思う。

 

おわりに

この本の中に、三浦校長が退職後に書いて自費出版した『ふだん着の校長』の内容が引用されている。民主教育をつぶしてきた自慢話で、読んでいて胸がむかついてくる。毎日新人会のメンバーを酒場と自宅に集めて、酒を飲みながら気勢を上げるのである。いわば作戦会議である。時々札幌に連れて行って料亭などで道教委の幹部と引き合わせ、顔つなぎをする。後に新人会全員が校長になっている。

こんな酒と出世しか関心のない教師が、どんな教育をするのだろう。

私も自分の職場で、このような連中といつも対立してきた。彼等にとって私は天敵だったようだ。だからこの本の内容がよく解かり、ミサイル人事で飛ばされた教師の無念もよく理解できるのである。

そして、万感の思いで抗議の死を選んだ森田科二君の苦しみが。

 

札幌民主文学通信　

二〇二四年六月〇一日　３０７号

六月例会誌上合評

合評作品

山波おど女

「『平和工房』の一週間」

『民主文学』６月号

 

意見１　　　　　　　　　　　泉　恵子

 

　とにかく軽妙な会話が面白くて、楽しく一気に読んだ。

　ウクライナ支援のためにバッグ作りに集まった三人の老女。

　北海道弁？の巧みさで、北方領土からの引き揚げを語るフキさんの歴史、樺太から移住した樺太アイヌの血を引く勝子さんの歴史は、軽く話しているようで重たいものを考えさせる。

　選者の多くが、会話の巧みさを指摘する中に、「偏りすぎ」の声もあるが、それ程うるさくは感じなく、それこそこの作品の醍醐味と思う。

　最後に、ロシアの悪口言ってても駄目だ、「平和」に向かって行動しなければと連帯の意志を示し、支援のバックに「平和工房」とタグをつける。まさしく、シスターフッド（女性の連帯）の物語（『しんぶん赤旗』「文芸時評」）だ。

　

　なぜ、新人賞入賞作品とならなかったか？の疑問が何人かから出された。「会話での進行に頼りすぎ」て「作品全体を軽薄なものにしている」（『民主文学』九月号「文芸時評」）ということだろうか？また、語り手の中心「和子さん」を「さん」付けすることの是非も。

　私は、第三者の眼を感じさせて、違和感を持たなかったが。

　戦争の傷跡、そして今もまたそのさ中にあるウクライナと重ねて、重い内容を三人の老婆の軽妙洒脱さと逞しさで語る。作者の想像力と構成力（創造力）に感心した。

　合評では「言葉の表現」の芸術である文学作品のことが話題になった。

　確かに安易な表現は慎まなければならないが、内容を伴っての言語表現作品ということを、改めて確認し合った。

　

 

意見２　　　　　　　　　　石川　節子

 

久しぶりに痛快な作品の登場で、とても嬉しく思いました。

一番通快に想ったのは、フキさんの浜言葉でした。

作者は、「道東の浜言葉を使いこなせる人」かと思ったら、そうでも無いようで、ちょっとガッカリしました。

三十年間の、こもんじょ学習からでは、知り得なかった、

「一人乗り手漕ぎ舟での日常の生活圏の範囲」のことが、少し、分かりました。歯舞ではシボツ島が中心となっていたらしいことです。

フキさんの、セリフから感じ取りました。

普通、小説には、作り話が混じって居るので、鵜呑みにはしないのですが、フキさんの言葉は本物の「道東の浜言葉」と信じて、「実話として採用する」ことにしました。

色丹島は少し遠くて「一人乗りの手漕ぎ舟」では、危なかったのでしょう。勿論、集荷船もありますから、行く必要もないでしょう。日常の生活圏には、入らなかったようですね。

もし、フキさんが、今現在実在の人であれば、どうしても「お合いしたかった」と、つくづく思います。

勝子さんは、実在の人とはおもえません。

 

 

意見３　　　　　　　　　宮内　文恵

 

　そういえば近所に「わっち」と自分のことを言う女性がいる。目に浮かぶその人がフキさんと重なる。北海道弁で展開される日々が、まるで親戚の集まりに顔を出した時のように私を迎えてくれたので、一気に引きこまれた。

　直後、千葉県「研究集会」会場で山波さんご本人に会った。おど女＝乙女と思っていたし、「新人賞」というのが何かもわかっていない私。表彰式のご挨拶を聴いて私の勝手な思い込みは覆され、おど女さんのバイタリティーに圧倒された。

　6月例会に向けてさらにじっくり読んだ。いよいよ面白いのは作者ご本人と会ったからなのか。ウクライナの子どもたちを思い、女性たちが行動することは特別なことではないと共感する。近所でおしゃべりしながら手を動かすのは、世界中の女性たちが連帯していることを感じさせてくれる。

 

　例会合評会は初めてで、みなさんと噛み合わない発言をしたかもしれませんが、お許しください。

　問題提起や様々な意見を聞いて、初めて知ることも多く、新しい着眼点があった。一人で『民主文学を』読むだけでは勿体ないと知る。そして山波おど女さんご自身のエピソードや思いを聴くことができて感激した。あの3人の女性たちが生きいきして、これからも「平和工房」がなにかやってくれそうだと期待している。そうだ、私もリアルタイムであるいはＳＮＳで、パレスチナのこと、共同親権のこと、大学の学費値上げ反対の署名のこと、語り合い行動しているのも「世直し工房」なのだ。フキさん、勝子さん、和子さんたちとエール交換だ。連帯して未来に絶望ではなく希望がみえるような工房を老若男女問わずめざしたいと思う。6月例会に出席してそう思っている。

 

 

　　意見４　　　　　　　　　　　豊村　一矢

 

　新人賞佳作ということで、私も文学会に入りたてのころこの賞を頂いたこともあり、特別の関心をもって読み始めた。そして、すぐに、選者の「選評」に目を通した。その結果、自分の感想は宮本阿伎さんに近いと思った。宮本さんは一番に「源流へ」を推したらしいが、選評では、「平和工房…」に多くの言葉を使っている。

 

　この作品は、主題が明確、構想が綿密、多くの個性的な人物が登場し、とにかく、一気に読ませてくれた。登場人物と一緒に語りあっているような気分になれた。

一方、これはマズいのではないか、と思うところもあった。差別語である「ロスケ」の多用だ。　

プーチンは極悪人であるが、ロシア人を一緒くたにするのは、マズい。そして、新たに国家・民族間の戦争を含む抗争の火種をつくることになりはしないか。

満州から引き揚げ時のソ連兵による蛮行の話は、子どものころ、散々、聴かされた。

　聴いた話の中で、妙に、鮮明に記憶しているものがある。それは、戦時中「満鉄」の職員だった伯父が見た光景。男女のロシア兵が、日本人の見ている前で、停車した貨物列車にもたれながら立ったまま性行為をしていたという。

伯父は、「日本人を人間と見做してないからそんなことができる」言っていた。

満州に来たソ連兵はどんなレベルだったのか、と思う。

第二次世界大戦は連合国（アメリカ、ソ連、中華民国、イギリス、フランス等）と枢軸国（ドイツ、日本、イタリア）との戦争だったが、これらの中で、戦死者数は桁違いにソ連が多い。その大半が独ソでの戦死だ。

ナチスドイツに一方的に攻め込まれ、犠牲者を出しながら退却に継ぐ退却、シベリアの奥地に追い詰められた。冬になってやっと反転攻勢、ベルリンまで攻め込んでヒトラーとその愛人の自決死を見届ける。ナチスドイツの敗北により、第二次世界大戦の戦局は連合国優位に傾く。

しかし、ソ連が失ったもの大はきい。この独ソ戰を他の連合国は傍観していた。

満州でのソ連軍には、「恩赦」で牢から出された者なども含まれていたといわれている。

 

 

意見５　　　　　　　　　　　　泉　　脩

 

　私の二十年来の文学友達、松浦えいこさんの短編小説。ほとんど実話とのことで、ドキュメント（実践記録）に近い。

　二年前のロシアのウクライナ侵略に怒った三人の高齢の女性が、バッグをたくさん作って売り、ウクライナに送る。その一週間、三人はそれぞれの生涯を語り、特にロシア人との関わりを話す。

　とてもおもしろく、楽しい内容で、読んでいて惹き込まれる。三人の北海道弁と持ち寄った食べ物が印象的なアクセントになっている。

日本民主主義文学の作品は、小林多喜二以来、現実の矛盾・苦しみをリアルに書き、天皇制専制支配と侵略戦争に反対してきた。それだけに迫力があり、心を打つ作品が多い。反面、本を読む楽しさと喜びが、やや薄いところがある。その点では日本の大衆小説、特に歴史小説・時代小説は大きな力を持っている。

　作者は幼児教育に生涯打ち込んできた方で、それだけにウクライナの逃げ惑う子どもたちへの思いは強く激しい。札幌市立幼稚園で最後の十年は園長を務め、見学者の絶えない理想の幼稚園を作り上げた。退職後は札幌のいくつかの大学で、幼児教育の講師をした。生々しい迫力のある話に、学生たちは身じろぎもせず聴き入ったという。

　そして七十歳からは小説の執筆である。四年間で四冊、とても興味深い本を作り、そして五年目に今回の作品であり、見事に「民主文学」の新人賞佳作になった。なぜ新人賞にならなかったのか不思議なほど、素晴らしい作品である。

　松浦さんは歴史小説・時代小説が大好きで、私の家にある本をたくさん読んできた。

そして今回の見事な作品である。この作品が佳作に選ばれたのは、民主主義文学に新風を入れようとしているのかも知れない。ロシアのウクライナ侵略という現代の最大の問題と、楽しいユーモラスな作風との結合ある。この道が今後発展することを願ってやまない。

 

 

意見６　　　　　　　　　　松木　新

 

ロシアのウクライナ侵略から二年、『民主文学』誌上に、ウクライナ支援を主題にした小説の掲載は皆無でした。それだけに、「『平和工房』の一日」が『民主文学』誌上に掲載されたことの意義は大きいとおもいます。プロレタリア文学時代、「主題の積極性」について論議されましたが、今あらためて、そのことを思い返しています。

この作品は、上質なユーモアにあふれた作品で、ぼくが選者ならば、間違いなく「入選」に推しています。「和子さん」という表現方法は、この作品の場合、作者の和子さんへの親近感の表れと理解できました。

「世界婆さんサミットの開催」に象徴されるパワーには、圧倒されました。

この作品では、ロシアの非道の例として、ウクライナ・満洲・樺太アイヌが取り上げられています。そのうち、樺太アイヌについては、「開拓使の黒田清隆は樺太アイヌを集団移住させることを決めた。強制移住で対雁(ついしかり)に連行された八百人を越える樺太アイヌ」とありますが、若干、正確さを欠いています。

一八七五年（明治八年）の樺太千島交換条約により、ロシアが樺太を領有すると、樺太のアイヌ約２０００人のうち、８４１人が宗谷へ移住し、その翌年には対雁（現在の江別市）へと強制移住させられました。

樺太アイヌが、国籍を日本にするかロシアにするかの選択は自由でしたので、８４１人の宗谷への移住は、強制ではありません。彼らと和人漁業家との結びつきが強かったことが、アイヌが日本への移住を決断した理由だと思われます。

開拓使は、道央の開拓のための労働力として樺太アイヌの活用を考え、道央への移住を提案しましたが、アイヌはこれを拒否し、故郷を遠望できる宗谷への移住を望み、それが実現したのです。

道央での開拓を諦め切れない開拓使は、翌年、宗谷のアイヌを対雁へ強制移住させましたが、約３５０人が疫病により死亡、ほかのアイヌも１８９０年代までに樺太へ戻りました。

４５年８月８日、日本に宣戦布告したソ連は、樺太に上陸作戦をおこない、多くの日本人が苛酷な逃避行を余儀なくされました。樺太に居住するほぼ全員にあたる約１２００人のアイヌも、日本へ逃れました。

この作品で、樺太アイヌに言及するのであれば、むしろこの事実がふさわしいと思いました。

 

 

意見７　　　　　　　　　　　室崎　和佳子

 

山岡フキ、松浦和子、稲村勝子という十歳ずつ歳の違う三人の女たちの歯に衣着せぬ物言いが小気味良い。そのままぐいぐいと突き進み引っ張り続けて完走する。気づいたら小説が終わっていた、という具合だ。

　選考委員の選評を読むといろいろ書いてあるが、読者をして息をもつかせず読み終えさせる、ということは、すごい小説だということだ。

　面白かった。

　気分をスッキリさせてくれた。

札幌市在住とのことなので、ぜひ民主文学会の仲間に迎えたいと思った。

 

 

 

 

 

意見８　　　　　　　　　　柏原　竜

　

　ウクライナを支援したいと思っている人は沢山いると思うが、このようにすぐ行動に移れる事はすばらしいと思った。企画した和子さんは７５才、戦争体験はないが親や周りの人達から聞いているので、戦争はいやだという気持ちは醸成されている。一緒にバッグ作りをしている８５才のフキ子さんは歯舞群島の引揚者で、６５才の勝子さんは樺太アイヌの末裔で、それぞれ戦争で翻弄され苦労してきた人達だ。４５個のバックを作って、売上金をカンパしようと１週間頑張った。

　ウクライナを助けたいと支援活動が広がったらいいね。皆、なにか支援したい，意志表示をしたいと思っているが日常生活の忙しさや、行動することの照れくささなどがありなかなかできない。年配者だから、婆さんだから出来るのかもしれない。婆さんの首相総選挙の立候補はいいね。会話が楽しい。北海道の方言がいい。こんなふうに話す人がいる。

　この作品から、小説を書きたいと思う人が増えるのではないだろうか。身近な題材でチャレンジしてみようと思う人がいそうな気がした。

沖縄と歯舞群島は第２次世界大戦でアメリカ、ソ連にそれぞれ占領されたが、現在、沖縄は日本に復帰したが、なぜ歯舞群島はまだ帰されてないのか。不思議だと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

意見９　　　　　　　　　北野　あかり

 

主人公の和子さんは、ウクライナの子どもたちを支援するために、暇を利用してなにかできないかと考え、着物や帯の端切れを利用して手作りバックをつくり、その売り上金を送ることを決めて実行。

７５才なのにユーチューブでバックの作り方を検索して、何年も使っていないミシンを引っ張り出して一心に作るパワーがすごい人だと思いました。また、作中の3人もそれぞれ個性的で、その会話が面白く一気に読んでしまいました。会話で繋いでいく小説もいいのではないかと感じました。

例会には作者の山波さんも参加され、実際にバックを７５個手作りして売り、７万円を郵便局からウクライナに送金したとのお話に、思いだけでなく行動力も伴っている方で素晴らしい方だと思い、自分も出来ることを見つけて行動しなければならないと感じました。

 

意見１０　　　　　　　　　村松　祝子

 

着物の帯で小物のバックを作りそれを売ってウクライナで戦禍に追われている子供達へカンパをしたいと三人の女が集まった。

六十五歳、七十五歳、八十五歳の年齢を重ねてきた三人はミシンを踏みながらそれぞれの戦争体験を語り合う。

とても読みやすくわかりやすい小説であった。

この様に日常生活を通して身近に起きている政治のことを題材にして描くことは貴重な作品だと思う。

主人公と見る和子さんを「さん」付けで表現することについて私も考えてみました。「和子さん」と表現して読むのと「和子」として読む時の文章の訴えてくるニュアンスが違ってくる感じがしました。

「和子さん」と表現されると作者自身つまり「和子さん」は高い上から俯瞰して傍観者の立場で見ている様に思えました。

「和子」と表現すると文章が締まって他の二人とは違うこのプランの立案者の「和子」像が鮮明になって「和子」自身の真剣さが伝わってくる感じでした。

会話文が続くのですが事件の流れとしては理解できるのですが、細かな心の動きが見えない感じでした。

しかし北海道弁も余すことなく縦横に駆使して北海道のカヲリが色濃くでている感じよかったと思います。

私たちの身近にこんな良い作品を描く仲間がいることに驚きと嬉しさと共に励まされています。

これからも山波さん自身の作品を楽しみにしております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

投稿欄

 

エッセー日記（五月）

九〇歳の誕生日をむかえて

泉　　脩

 

　五月九日は、私の九〇歳の誕生日である。こんなに長生きできたのは、多くの人の支援のおかげである。そこで特に身近な四人、山本國光さん、松浦映子さん、伊勢佐知子さん、そして忍さん（息子の妻）を招いて、感謝のランチパーティを開いた。

　朝九時過ぎから次々と私の家に来てもらって、私の得意料理の串カツを協力して八十本作った。さらにサラダとスープとビールで、誕生日パーティをしたのである。一人で作るのは無理なので、何人かの流れ作業で作るのである。

　串カツの評判はとてもよく、話もはずんで楽しく過ごした。八十本も作ったのは、参加者の家族の夕食用も含めてであり、どこの家庭でも喜んでくれたそうである。

串カツは、私がかつて母の料理を手伝って覚え、結婚してからは家族と来客のために、数十回も作ってきた私の十八番（オハコ）なのである。

パーティの席上、「体の調子がいいので、次は九十五歳を目標にする。本をもう一冊作る！」と私は宣言した。皆は賛成してくれた。これまで私は、このような高い目標を掲げて、自分を励ましてきたのである。そして次々と協力者が現れ、私を助けてくれたのだ。

五月十八日、アイワードの竹島さんとライターの井上さんが、誕生祝いをしてくれた。話しがはずみ、私の決意表明を支持してくれた。竹島さんは私の本を十冊作ってくれた敏腕の営業マンで、この十年で営業部長から営業担当兼重役になった。校正までしてくれた。今度は自分も寄稿したいという。

井上美香（よしか）さんは、『北国の詩（うた）』の共著者で、読者からとても好評である。本のタイトルにピッタリの北海道の自然・産業・歴史・文化などの読み出のある文章ばかりだった。今回は旧稿を使わせてもらったが、今度は新しい文章を書いて出したいという。願ってもないことだ。

五月二十三日、伊勢佐知子さんと恒例の春のドライブに出掛けた。いつもは六月だが、今年は六月に石田英夫が来札するので、一ヶ月早めたのだ。そして、いつもの裏洞爺をやめて真狩村に向かい、「マッカリーナ」でランチをとることにした。羊蹄山に近いフレンチレストランだ。家から往復三時間なので、今までの半分の時間でとても楽である。

今回も快晴に恵まれ、まずルスツの道の駅でアスパラガスとキノコを買った。お世話になっている人へのお土産である。「マッカリーナ」のランチは素晴らしかった。一カ月前に訪れた「イルドフランス」のディナーと共に、今年はフランス料理を堪能することができた。店はウィークディなのでお客が少なく、静かで充実した時間だった。

帰りは羊蹄山の伏流水で作った豆腐を買い、中山峠では揚げ芋を買った。伊勢さんも大満足してくれた。パソコンと車で今年も助けてもらおう。

こうして楽しい思いをしたが、世界と国内は大変である。三年目のウクライナ戦争は、依然として一進一退である。最大のウクライナ支援国のアメリカでは、トランプの共和党が支援に反対し、西欧諸国にも極右が力を増して「自国本位」を主張し出した。

開戦して半年のパレスチナのガザ地区では、イスラエルの攻撃で死者が四万人に達し、多くの建物がガレキになっている。ハマース全滅まで攻撃を続けるようだ。

岡真理『ガザとは何か』を読んで、私は自分の不明を恥じた。ガザの人々の戦いは、無惨な植民地支配＝占領に対する民族独立の正当な戦いなのである。イスラム過激派のテロではないのだ。

世界中で「即時停戦」の声が強まり、国連安保理ではアメリカだけの反対で、停戦決議を阻止している。そのアメリカでは良識派ユダヤ人や各地の大学で停戦の運動が起きている。十一月の大統領選挙もあって、アメリカ政府は揺れている。

私は文学活動を続けながら、野球を楽しんでいる。一人暮らし十九年目となり、長年酒やゴルフ・ギャンブルなどをせず、音楽とプロ野球で紛らわしてきたのである。

大リーグの大谷は、不振をくり返しながらも、ホームラン十四本、打率三割強である。六月にはもっと活躍するだろう。ファイターズは好調である。投打がかみ合い、パ・リーグ二位。トップのソフトバンクにジリジリと迫っている。いつ追い付くか？セ・パ交流戦になり、昨シーズン日本一のタイガースに大差で二連勝した。信じられない思いだ。若手が中心の全員野球になっている。優勝も夢ではないのだ。

先日思いがけない嬉しいことが起きた。私の文学友だちの松浦映子さんが、『民主文学』の第二十一回新人賞佳作（今年は佳作のみ三名）を受賞したのである。大ヒットだ。すごい筆力の持ち主になった。

 

 

 

岡真理『ガザとは何か　パレスチナを知るための緊急講義』

植民地支配への民族的抵抗

泉　　脩

　

　二〇二三年十月七日、西アジア地中海沿岸のパレスチナで戦いが始まった。ユダヤ人国家イスラエルによって、十六年も封鎖されてきたガザ地区のパレスチナ人（アラブ人）の、ハマース主導の反攻の開始である。

　この本は、十月中旬に京都大学と早稲田大学で二回行われた緊急講演会の記録である。主要なマスコミの「イスラム過激派のテロ」とか、「どっちもどっちだ」といった論調に対し、真実を歴史的に明らかにした、見事な本である。十二月三十一日に発行され、真実を一日も早く読者に届けようとした。

　まず、最初に書かれている年表は、十九世紀末にフランスで起きたドレフュス事件が書かれている。フランス軍のユダヤ人将校ドレフュスが、無実のスパイ容疑で流罪になった事件である。反対の大運動により無実が明らかになるが、根強い反ユダヤ主義が明らかになった。そして直後からシオニズム運動が起こる。それは二千年も前、ユダヤ人王国があったパレスチナに、ユダヤ人国家を再建しようとする運動である。

　第一次世界大戦（一九一四～一八）の最中、イギリスのバルフォア外相が、ユダヤ人のパレスチナ建国を認め（バルフォア宣言）、ユダヤ人が力を持つ中立国アメリカの参戦を実現し、ドイツへの勝利を成し遂げる。当時、ドイツ側のオスマントルコ帝国が西アジアを支配していたが、大戦後イギリスとフランスの支配（国際連盟の委任統治）になり、パレスチナはイギリスが支配する。やがてナチスドイツが成立し、ユダヤ人迫害が始まると、多くのユダヤ人がパレスチナに逃れ、第二次世界大戦（一九三九～四五）の後、ユダヤ人のイスラエル建国が実現する。

　イスラエルはアメリカなどの西欧諸国の支援の下、周辺のアラブ諸国との四回の中東戦争に勝利した。そしてパレスチナ人（アラブ人）を迫害し、民族浄化として虐殺や追放を繰り返す。この中で、パレスチナ避難民の抵抗組織が次々と生まれ、その一つのハマースがガザ地区を支配し、イスラエルは完全封鎖とジェノサイド（集団虐殺）を強行してきた。

　ガザはイスラエル・エジプト・ヨルダンに囲まれた狭い海岸の土地で、東京二十三区より狭い土地に三百万人以上の人が押し込められた。その七割がパレスチナ避難難民で、失業率五〇％で、人々は国連などの人道支援に頼って暮らしている。

　著者の岡真理は、一九六〇年に生まれ、東京外国語大学でアラビア語を学び、カイロ大学に留学した。京都大学を経て、現在は早稲田大学で教えている。アラブ文学を専攻し、ガザにも訪れている。著者は一九四七年の国連によるパレスチナ分割は誤りだ、と主張している。翌一九四八年にユダヤ人がイスラエル建国を宣言し、民族浄化としてパレスチナ人（イスラム系アラブ人）の集団虐殺と追放が始まった。

一九七三年のオスロ合意により、ガザ地区とヨルダン川西岸地区の二つの地域は自治が認められ、民主的選挙で暫定自治政府が生れた。しかし、このオスロ合意を行なったイスラエルのラビン首相は暗殺され、イスラエルには右派政権が続き、二つの地区の自治は踏みにじられ、ジェノサイドが繰り返され植民化が進んだ。

アメリカと西欧諸国のイスラエル支援が一貫して続き、国連のいかなる決議も無視されてきた。今回のガザのハマース（イスラム系民族抵抗組織）主導の蜂起は、まさに正当な民族独立の戦いなのである。かつてのベトナム・アルジェリアなどの戦いと同じだと、著者は力強く主張している。

今年（二〇二四）になって五ヶ月、ガザはイスラエルの攻撃にさらされ、死者は四万人にも達し、その大半が女性と子供である。世界中で停戦の声が強まり、イスラエル国内でも起こっている。エジプト・カタールの仲介で、停戦交渉が行われているが、イスラエルはハマース指導部の殺害を目指して強硬な姿勢を崩さない。ハマース側もイスラエル軍の撤退を主張してやまない。

ウクライナと共に、戦いはどこまでも続き、犠牲者は増え続けるだろう。イスラエルの最大の後ろ盾のアメリカでは、十一月の大統領選挙もあって、政府は揺れ動いている。

この本を読んで、私は自分の不明を痛く思い知らされた。「憎しみの連鎖」ではなく、植民地支配への民族独立の正義の戦いなのである。ハマースがんばれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遅れ馳せながらの『同志少女よ、敵を撃て』

松木　新　

 

一年前に中央図書館に予約していた逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』（早川書房２０２２年）が手元に届いたので、早速読んでみました。読後感としては、ロシア文学者の沼野恭子が、「推薦のことば」に次のように書いていることにまったく同感でした。

〈第二次大戦時、最前線の極限状態に抛りこまれたソ連の女性狙撃手セラフィマの怒り、逡巡、悲しみ、慟哭、愛が手に取るように描かれ、戰爭のリアルを戦慄とともに感じさせる傑作である。（略）百万人近くもの女性が従軍したソ連の女性史への哀惜の念と深い洞察に支えられた感動の書である〉

三十代の作家が、資料と想像力で独ソ戰を描くという荒技にすっかり感心してしまいましたが、そうはいっても、二十代の多喜二が、資料と取材と想像力だけで『蟹工船』を書いているのですから、感心するのもどうかと思いますが。

物語の展開はさておき、歴史と向き合う作者の姿勢には共感しました。

➀女性兵士

〈女性も男性を同じく国家に心身を、生命を献げることができる。国家としてのソ連への立派に貢献することで国力を上昇させ、そこで価値を認められ女性は輝くことができる。

確かにそれは、ファシズムが性差別を背景に戦地から女性を遠ざける思想の対極ではあろうし、「男の兵士」のチアリーダーにするアメリカの発想とも異なるが、より同質性を強いる思想ではないのか〉

②ソ連の民族政策

〈セラフィマと同世代で、共にソ連成立後に産まれたアヤ（カザフ人―引用者）は、独語のように続けた。

「ソ連にとってその生き方、あり方は無知蒙昧であり、故に啓蒙の対象となる。･･････ソ連に組み込まれてから、カザフ・ソヴィエト社会主義共和国は近代化され、教育されたよ。町ができて、工業化が推進され、遊牧で生きることなく、コルホーズとソフホーズが生きる術となった。そして私も学校へ通い、教育を受け、そうだ、近代的な人間として生きてきた。移住も進み･･････私の家族は去年スモレンスクへ越してきたばかりだった･･････私だけがモスクワへ逃れた」（略）「私はもう、国家だのの都合に振り回されるのはうんざりだ。自由になりたい。ソ連とか、近代化とか、社会主義とか、戦友愛だの軍隊だの、そういう観念からは、全て離れて」〉

③大テロル

〈将校を失うことは、その頭脳が蓄積し展開した戦術理論と、装備運用のためのノウハウを失うことであり、軍隊にとっての組織的脳死をもたらす。

火を見るより明らかな論理であったが、猜疑に駆られたスターリンは、それが義務であるかのように、ひたすら将校たちを抹殺し続けた〉

 

不破哲三は『スターリン秘史１』で、次のように解明しています。

〈「大テロル」が〝世代の絶滅〟という言葉で表現されることがよくありますが、私は、この言葉は、この蛮行にかけたスターリンの企図を実に適切に表現したものだと思います。

ここでは、個々の有害な人々を排除することではなく、文字通り世代的な絶滅、スターリンが危険性をもつと考える世代層そのものの排除が意図され、追求されたのでした〉

④イリヤ・エレンブルグ

〈紙面はまるで、赤軍がまったくの無傷で勝ったような書きぶりだった。

そのなかに、詩人、イリヤ・エレンブルグの短い作品が載っていた（略）。

ドイツ人は人間ではない。我々は話してはならない。殺すのだ。もしドイツ人を一人も殺さなければ一日を無駄にしたことになる。もしドイツ人を殺さなければ、彼に殺される。

ドイツ人を殺せ。ドイツ人を生かしておけば、奴らはロシア人の男を殺し、ロシア人の女を犯すだろう。あなたがドイツ人を殺したなら、もう一人のドイツ人も殺せ。費やした日数を数えるな。歩いた距離を数えるな。殺したドイツ人を数えろ。ドイツ人を殺せ。母なる祖国はそう叫んでいる。弾を外すな。見逃すな。殺せ！

なんだこれは。セラフィマは眉をひそめた。詩人が書いたとも思えない幼稚で露骨なプロパガンダであり、憎悪以外のなにもない。男のエレンブルグが危機感を煽るのに敵が「ロシア人の女を犯す」と言うのも、女がロシアの所有物だと言われているようで腹が立つ。新聞をそっと閉じて腕で顔を覆った〉

〈イリーナにプラウダが渡された。ソ連赤軍兵士にたいする鼓舞をし続ける、かの詩人イリヤ・エレンブルグが新聞に掲載した記事はこれであった。

いま、ドイツの街を攻撃している兵士たちは、レニングラードの母親たちが死んだ自分の子供たちをソリに載せて運んだことを決して忘れないだろう。レニングラードの勇姿はすでに報われた。けれどもレニングラードの被った苦難に、ベルリンはまだ報いていない。

ベルリンはじきにすべてに報いることになるだろう。（略）

誰が私たちを止められるだろう？（略）　

否、もう止められない。せいぜい逃げ惑い、身を焦がし、死の叫びをあげるがいい――天罰が下る時がきたのだ。

どこをどう考えても両立する内容ではない。（略）

外部に向けてはナチとドイツ市民を区分して後者を保護すると言いつつ、内部向けの文章では「ナチと一体となったドイツ」への復讐心を煽っている〉

〈兵力枯渇を穴埋めすべく、素人に銃を握らせて「国民突撃隊」と命名し、赤軍はドイツ人を皆殺しにやってくるから、全国民が武器を取って戦うしかなのだ！　と叫び続けるゲッペルスやヒトラーにとって、エレンブルグの攻撃的アジテーションは、自らの主張に大変説得力を与えてくれたので、ドイツはその作品を引用するのみならず、彼の作品として「ドイツ人の血を飲み干せ」だの、「ブロンドの女は戦利品だ」だなどの架空のプロパガンダ作品を捏造し、ドイツへ迫る赤軍の恐ろしさをせっせと伝えた。エレンブルグの憎悪キャンペーンは、ナチ・ドイツの戦意を支えるものとして有用されていた〉

⑤女性の性被害

〈「だから、赤軍の兵士がドイツの女性に乱暴してるとかいうの。明らかに軍紀違反だし、ナチと戦うソ連兵士がドイツ人民の女性を傷つけるなんて、嘘でしょう？」（略）

「残念ながら本当なんだ」

セラフィマは衝撃を受けた。その様子に気付いたのか、ミハイルは視線をそらした。

「僕らもポーランド国境で戦ったとき、ドイツ人入植地に突入した兵士たちから似たような話を聞いた。金目当ての掠奪と、特に女性への乱暴がひどかったそうだ。ＮＫＶＤ（内務人民委員部―引用者）も敵前逃亡と違って、それほど熱心に取り締まるわけじゃない。どこでも占領の初日はひどいもんだよ」

 

不破哲三は『スターリン秘史５』で、「満洲」におけるソ連兵の暴行に言及しています。

〈一九四五年八月八日、ソ連軍が攻め込んだ「満洲」（中国東北部）では、何が起こったでしょうか。個々では、三つの異常な大惨事が、日本の軍隊と居住の日本人を襲いました。

第一の惨害は、ソ連軍が、各地で起こした掠奪・強姦・殺戮の惨劇でした。ソ連軍は、東ヨーロッパやドイツにおけると同様、社会主義の軍隊であるどころか、人間性を欠いた無法で野蛮な武装部隊―少なくともその部隊を有力な部分として含む軍隊であることを、満洲でも実証しました。

第二の惨害は、関東軍の数十万の将兵がポツダム宣言の条項を無視して、シベリアに抑留され、長期にわたって強制労働で使役されたこと、

第三の惨害は、当時、満洲にいた百数十万の一般日本人が、満洲に遺棄されたこと、です〉

⑥ソ連・ドイツ両国の戦争犯罪にたいする態度

〈ドイツは国際社会へ復帰する過程で、空襲と暴行に表象される自らの被害に対して口をつむぐことを覚えた。虐殺されたユダヤ人への哀悼と謝罪を口にし、自らの被害を内面に留保することで、彼らは自らの尊厳を取り戻したようだった。

彼らにより語られるドイツの「加害」とは、専らユダヤ人に対する大量虐殺であり、国防軍が東欧で働いた虐殺ではなく、ましてソ連女性への暴行でもなかった。

そしてソ連でもドイツでも、戦時性犯罪の被害者たちは、口をつぐんだ。

それは女性たちの被った多大な精神的苦痛と、性犯罪の被害者が被害のありようを語ることに嫌悪を覚える、それぞれの社会の要請が合成された結果であった。

まるで交換条件が成立したかのように、ソ連におけるドイツ国防軍の女性への性暴力と、ソ連軍によるドイツ人への性暴力は、互いに口をつぐみ、互いを責めもしなくなった。

心地よい英雄的な物語。美しい祖国の物語。

いたましい悲劇の物語、恐ろしい独裁の物語。

そしてそれは、独ソのどちらでも、男たちの物語だった〉

 

女性狙撃手セラフィマが戦場から学びとったことは、〈命の意味〉だという結末に、この作品の平和思想が結実していると思いました。

〈セラフィマが戰爭から学び取ったことは、八百メートル向こうの敵を撃つ技術でも、戦場であらわになる究極の心理でも、拷問の耐え方でも、敵との駆け引きでもない。

命の意味だった。

失った命は元に戻ることはなく、代わりになる命もまた存在しない。

学んだことがあるならば、ただこの率直な事実、それだけを学んだ〉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

　小説脳と評論脳のこと

泉　恵子

 

　今年の民主主義文学会の「第２８回全国研究集会への問題提起」の一つに、文学会会長の能島龍三さんと、副会長の宮本阿伎さんの対談として、「いま、民主主義文学における創造と理論の関係を考える」という問題提起があった。

　私は集会に参加していないので、どんな話し合いがあったかは分からないが、『民主文学』五月号の、能島さんの提起文の中の「小説脳」と「評論脳」というネーミングや、「モヤモヤ」と「概念崩し」という内容が興味深かった。

　自分の中に知らず知らずのうちにつくられている既成概念を打ち破り、素の眼で人間を見つめる。「それはとりもなおさず書き手の自己凝視そのもの」という。

　大した作品も書いていない私だが、何となくわかる気がした。小説が書けない理由が言い当てられたように思った。

　

　宮本百合子の「伸子」時代の日記を読んでいると、先の問題提起に重なるような表現があった。後年は小説を書きながら、同時並行でに評論もこなしていた百合子だが、若い時はやはり同じ様な悩みを感じていたらしい。

　百合子が、久し振りに新しい小説を書き始めた日の日記に、次のように記している。

　「スーラーブ。やっと一がとにかくまとまった。書いて居て、額がかきたいように感じては決して良いものはできないと思う。心広く、体ゆたかに、ゆっくり心から、糸を繰り出すようにしてゆかねばいけない。頭と筆との連絡より、筆と心がしっくりすることが大切である。暫く小説を書かないと、その息がうまくいかず、心と筆、気分と文字が生硬にはなればなれになろうとする。」（１９２３年６月１９日）

　「スーラーブ」とは、後に「古き小画」と題された中編作品の主人公の名前で、題が決まらないうちは専ら「スーラーブ」と言っている。

　書き始めからずいぶん呻吟している様が、日記に読み取れる。

　「手の付け初めだから、例によって苦しく、やっと一枚と少し行く。」（６月１５日）

　「スーラーブ。久しく書かなかったため、なか（ママ）むづかし。ばつと思う。」（６月１６日）

　「スーラーブやっと一回でき、読んでみれば奇もなくこれであんなにうなったのかと思われる。」（６月１７日）

　「スーラーブ。なんだかすらりと自分の調子にならず、どこか堅苦しい、うまくしようとしてならないような不調和を感じる。それに、題材が現実的でないため、具体的にし難いという欠点がある。僅かの点だが、モデルがないということだ。」（６月１８日）

　この作品の脱稿は、一九二三年の一二月二一日となっていて、約半年にわたって書かれ、『小樽新聞』に翌一九二四年一月一四日から三月九日まで、五二回にわたって連載されたとのこと。（『全集』第二巻「解題」より）

　この時、小説を書くときと、論文を書く時の違いを認識したようで、次のように記している。

　少し長いが、引用する。

 

　「小説を書くことと、論文を書くことの違いを非常に悟る。小説を書く心持は、心にまるで底がないほど落ちきり、どん底で自在に動かなければならない。よいわるいではなく、よい、わるいと論じえる根底の心を描くのだ。自分の感じでは棚がなく、泉のような感。

　論文では、或る地盤の上に、材料を、配列させ、その間を頭で、連絡させ、比較し、或るディシジョンを下す。これは底なしではいけない。小説を書くに、論文に用いるＢｒａｉｎの力の入用なのは、総体のコンストラクションを定める場合と、深い感情に、適宜な言葉を持ってくる場合。

　元、物を書いて居た時、一時に、相当の量が書けたのは、頭のリズムによって、今の自分で考えれば、論文式にやっていったからだ。

　心持の必然の発展をトレースせず、ある筋を主にたどり、人間の心持はこれに適合させていく。故に単純で、一から二へうつるのは筋の広がりのみを意味したのだ。

　自分が論文を書くことを恐れ、且つそれだけで満足できないのは、前に言った、論文には、棚がいるという一点にある。

　自分は、よいわるいを絶した人間の心に打たれる。従って、近頃婦人の書く人の一部にはやるように、簡単に、片方に決められず、彼方此方から見、考え、同感することになる。その間から、人間の、絶えない、ある望み、生活意志、神の美と力とを示していこうとするのだ。」（１９２３年６月２０日）

 

　これは、まだ「伸子」を書く前の百合子の言葉だが、その後、「伸子」を二年余りの歳月をかけて全身全霊で書き、革命後十年余のソヴィエトと第一次大戦後の資本主義ヨーロッパの矛盾を約三年にわたって見聞し、帰国してから参加したプロレタリア文学運動の中で、創造と理論活動の両輪を獲得していった。そこには並々ならぬ努力があったのだろうと推測するばかりだが、あれ程の評論を書く原動力を何処で養ったかを追究したのが、不破哲三さんの『宮本百合子と十二年』である。

 

老探偵の奮闘

　　　　　　　　　　　　　　後藤守彦

後

　老いについて意識しながら日々過ごしているので、史上最高齢の探偵が活躍するミステリ、といったキャッチフレーズに出合うと、すぐに飛びついてしまう。Ｌ・Ａ・モースの『オールド・ディック』（ハヤカワ・ミステリ文庫、一九八一年）の主人公は、私立探偵ジェイク・スパナー、私と同年齢の七八歳である。ジェイクは、毎日、老いぼれた、役立たずの人間だと思い知らされるような扱いを受けてきた。これを克服するのは大変で、「世間のひとびとの偏見に合わせて生活するようになり、結局はその偏見が正しいものとされてしまう」。だが、こうなってはならないと、ジェイクは一五年ぶりに事件に取り組む。依頼主はほぼ同年齢の、ジェイクのせいで三〇年間刑務所生活を送ることになった元ギャングで、彼の孫が誘拐されたのだった。ついに、ジェイクは「世界でもっとも老齢の私立探偵」となったのである。元刑事のオブライエンは、癌にかかり余命三カ月であることを隠して、ジェイクと行動を共にし亡くなる。悔いるジェイクに対して、オブライエンの息子は「彼はこの人生の最後になにかやりたいと思ったんだろうな、自分の意志によってなにか意味のあることをやりとげ、生きているという実感を味わいたかったんだ。あんたがそのチャンスをあたえた」と感謝する。

老刑事が登場するのが、ダニエル・フリードマンの『もう年はとれない』（創元推理文庫、二〇一四年）である。ミシシッピ川東岸に位置するメンフィスにある警察署の殺人課の、伝説となっている辣腕刑事であったバック・シャツ。今は八七歳となり、体力は落ち、認知症の初期と疑われるように記憶もあやしくなっている。しかし、ラッキーストライクをいつも銜えるヘビースモーカーであることや、皮肉な物言いは相変わらずである。そして、闘争心も。バックは第二次世界大戦中、ノルマンディー上陸作戦に参加するが、その際アイゼンハワー将軍から激励されている。しかし、バックはドイツの捕虜となり、ユダヤ人であることもあって、収容所で虐待される。そこでバックを痛めつけた親衛隊将校が、戦後、略奪した金塊とともにドイツを脱出し、名前を変え生きていることがわかる。これがストーリーの始まりだが、背景になっている、ナチスによるユダヤ人虐殺や人種差別の問題が作品に重みをもたせている。また、記憶に不安をかかえるバックの、備忘録のような断片が、「忘れたくないこと」と題され、一三も織り込まれている。その一つに次の一文が載っている。

 

つまずいたときには起こしてくださるイエス・キリストがいらっしゃることに、永遠に感謝する。だが、バックが最期を迎えるときには、一人きりで深淵と向かいあうことになるのではないかと、わたしは心配している。

 

バックの活躍は、『もう過去はいらない』（創元推理文庫、二〇一五年）でも見ることができる。八八歳になったバックが対決するのは、銀行強盗のイライジャ。彼はバックと同じユダヤ人。一三歳でアウシュビッツに送られ家族を奪われる。彼は、「社会にとってわれわれは永遠にアウトサイダーだ。だから、社会の安定がどうだというんだ？たとえ規則に従っていても、われわれは投獄され、処刑される。だから、法をおかしたところでかまうことはないじゃないか？」と犯罪を正当化する。このように第二作でも、ユダヤ人虐殺やユダヤ教について繰り返し論じられている。バックは歩行器に頼らざるをえなくなっても、愛妻ローズの制止を振り切って闘う。

 

健康を失い、仕事を失い、息子を失った。そして、近いうちに、自分の記憶と過去も失うだろう。喪失に対処できないときみは言うが、おれはこうやって対処しているんだ。できるかぎり長く、自分自身でいることで。ほかになにもなくなったとき、おれには誠実さが、そして信条が残されていた。そして、おれはものごとを中途半端に終わらせたりはしないんだ。

 

探偵でも刑事でもないが、ヨハン・テオリンの、『黄昏に眠る秋』（早川書房、二〇一一年）に始まるエーランド島シリーズ四部作で、探偵役を務めているのは、八〇歳を越えている元船長のイェローフである。エーランド島は、スウェーデン最南部の、バルト海に浮かぶ南北に長い島で、本土とはエーランド橋でつながっており、東側の対岸にはバルト三国がある。

これまでに登場したのは、海外の、それもすべて男性である。日本にも目を向け、謎を解き犯人を突きとめる高齢女性を取り上げよう。吉永南央の『紅雲町ものがたり』（文藝春秋、二〇〇八年）では、コーヒー豆と和食器の店を営む七六歳の杉浦草がおばあちゃん探偵として活躍する。杉浦草のシリーズは一一回を数える。中山七里の『静おばあちゃんにおまかせに』（文藝春秋、二〇一二年）では、元裁判官の高遠寺静が孫娘円を通して、孫娘の交際相手である刑事に協力して難事件を解決する。八〇歳の静は、この後も車椅子の男性と事件の解決に奔走する（『静おばあちゃんと要介護探偵』文藝春秋、二〇一八年）。松尾由美の『ハートブレイク・レストラン』（光文社、二〇〇五年）にもおばちゃん探偵の幸田ハルが安楽椅子探偵として登場する。

　こうしたフィクションの世界でではなく、現実世界で輝く高齢者として生きた二人の言葉にも耳を傾けてみたい。一〇一歳で亡くなった精神科医の秋元波留夫は、八八歳で初めてパソコンを手にしてから毎年のように専門書を書き続けた。平均寿命が世界一である日本、「その原因は民族性とか食事がよいとかいうこともあるかもしれないけれど、しかしいちばん大事なことは、やっぱりわたしは平和憲法のおかげだと思う」（『九九歳精神科医の挑戦　好奇心と正義感』岩波書店、二〇〇五年）と断言し、九条の会の活動に加わっていた。長寿国日本と憲法九条との関連を指摘した言説に初めて出合った。二〇一七年七月に一〇五歳で亡くなった日野原重明医師は、一〇〇歳になった時でも、「まだまだ、僕にとって新しいことはたくさんある」「自分の可能性を信じていきいきと生きようではありませんか」と語っていた（『老いて、若返る』小学館、二〇一一年）。私にも、知りたいこと、知らなければならないこと、やりたいこと、やらなければならないことがまだまだある。

 

 

 

札幌民主文学通信　

二〇二四年〇五月〇一日　３０６号

 

　

五月例会誌上合評

　合評作品

　　　仙洞田一彦「不知(しらず)不識(しらず)」

　　　　　　　　　　『民主文学』５月号

 

 

意見１　　　　　　　　　　

　松木　新

 

作品中の次の文章に着目して、「文芸時評」の評価になりました。

〈風景の変化に言いたいこともあるが、言わなくても我が生活に変わりがあるわけじゃなし、ものを言って人付き合いを波立たせては、かえって煩わしい。その煩わしさを考えたら、黙っていたほうがいい〉

こういう状態に陥らないために、この作品を読む者は何をするべきなのか――それを作者は問いかけているのだと思います。

意見２　　　　　　　　　　

　泉　恵子

 

身近なところにあるちょっとした違和感に対して、周囲との軋轢を産み出さないために声を上げないでいると、知らず識らずのうちに大きな罠に嵌っていく･･････。

そんな日常に忍び込んでいる権力の小さな罠を、軽妙な表現で見事に描写している。団地に住む一人暮らしの男性高齢者の私。周囲の植え込みに、草むしりの手間が省けるからと「防草シート」が張られたことに、「息が詰まります」というボヤ氏に同調して「団地が廃墟になった気がする」とまで言っていた。

にもかかわらず、月一回の掃除の日には、シート賛成派の姉御や生徒会長と綽名した女性たちの声の大きさに「反対」と言えない。

異をとなえるボヤ氏に「勝ち目のない戦はするな、皆に合わせることも大事だよ」と腹の中で言い、「ものを言って人付き合いを波立たせてはかえって煩わしい。その煩わしさを考えたら黙っていた方がいい」と思う。

防犯パトロールの折には、遊んでいた中学生達の慇懃な挨拶を怪しみ、町内会、隣組が戦争動員に大きな役割を果たしたことがふとよぎる。

ボヤ氏とふざけ合う「あ、不審人物」の言葉は、生徒会長おばさんの暗闇での貼紙行為を導き出す。そこに書かれたたくさんの「...... しないでください」の文句は当たり前のことの羅列だが、ベタベタ貼り付けられると「手足を縛られるような感じを受けた」

しかし、そのことを町内会長に言おうか迷った挙句、「まあ、貼り紙くらいで目くじら立てることはない」と、見過ごしてしまう。

私なる人物は、ごく普通の「事なかれ主義」？的な人間で、ボヤ氏は大勢順応に僅かに抵抗するが「浮いてしまう」人。姉御や生徒会長おばさんは、「正しい」と思ったことを率先して行う「行動派？」だが、戦前の隣組おばさんを彷彿させる。

「新しい戦前」と言われる今日の社会にあって、無意識のうちに(知らず識らず)体制に順応してしまう危険を、ユーモア交えて潜ませた好作品と

思う。

 

 

 

　　意見３　　　　　　　

　山田　孝子

　

最初に読み終わった時の感想は（わあ、こんな事も小説になるんだなあ～）だったが、二度三度と読んでいるうちに、ジワジワと恐ろしさがこみ上げてきた。

私にも身に覚えがあるな～と。（ま、いいか）と人との交流の煩わしさを避ける気持ちを指摘されている感じなのだ。

　知らず知らずの間に流されていく恐さ。何度も読み返すうちに、こうやってジワジワと、いつの間にかある方向に世の中が向かって行く恐ろしさを感じさせられた。

　最後、迷った末に自治会長に報告に行くのをやめた（面倒を回避した）のだが、こういう人が大多数であれば、生徒会長のおばさんの暴走は、もっともっとエスカレートするかもしれない・・・。そのうち誰も止められなくなるかもしれない。何だか今の世の中を反映していて、ゾ～ッとしてきた。

　どこにでもありそうな日常の一断面なのだが筆力のせいで読み進んでいるうちに、書いていない結末を読者に投げかけてきたと感じた。

『こんな風に生きてていいのですか？』と。

 

意見４　　　　　　　　　

石川　節子

 

山も無く、谷も無く、知らず知らずのうちにサラリと読み終えてしまってから、色々、思い巡らす事が、後から後から滲みでてくる、「やちみず」のような作品だと思いました。

私も、平素、「周りに、波風、たてない、大人しいタイプの人」として、ふるまっている。その方が、らくなのです。

しかし、「いざ」というときは、「ノウ」を声高に、「表明できるのだぞ」と言う自負があります。

それなのに、この作品は、「そんな、のんきな考えでいる内に、『黙っていることは、イエス』と決めつけられて、しまうのだぞ。それは、何も声を揚げなかった、戦前の多くの『大人しい人々』と、同じでことなのだよ」と、ささやきかけて、くるのです。

読めば読むほど味が出る「するめ」みたいな作品だなと思ったのは、合評のために、くり返し読みかえしたためでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意見５　　　　　　　　　

村松　祝子

 

不知不識はしらずしらずと読むらしい。作者の造語かなと思う。そしてこの物語は題名から始まっていると思った。

一度読んでこれが小説か？。物語なのか？と思ったが二度目で世の中を痛烈に批判していること、そして世間（我々読者に対して）に向かってこれでいいのかと問うているのだと思う。

確かに私の本心をのぞいているようでもあり、日本人のかつての第二次世界大戦もこのようにして始まったのかもしれない。

今同じことが起きますよ。そ言う気持ちでいると！‥と警告と批判を発している小説なのだと理解した。

我関せず、過ぎた事に頓着しないは一見綺麗事に見えるが、何もかもそうであっては困る。今日本では見過ごされて行く事件が多過ぎはしないだろうか。

安易に日常を過ごしている日本人の一人になっていないかとふと思う。

作品は文章も丁寧に団地の様子を描写しており、あだ名をつけてその人を表現しているが、あだ名自体がその人物の性格を表していたり、また随所に苦笑いを誘う箇所があったり皮肉の笑をも感じた。

賞味期限の切れたカップ麺を捨てに行くなんてもったいないなぁ‥‥少々の期限を過ぎている位なら捨てはしないなと思った、主婦であれば。

彼の経済状態はあまり書かれてはいないが、年金生活者であってもまぁまぁ生活していける状態なのであろう。

しっかり読まないと何を言わんとしているかすぐに理解し難かった。

よく読むと心に応える小説だと思う。

 

 

 

意見６　　　　　　　　　　

泉　　脩

 

ふしぎなタイトルである。団地に住む、高齢の男が団地の行事に出て、多くの人々と接する話しである。彼は人の名前を忘れるので、適当な仇名を付け、適当に接する。波風を立てないために、知らず知らずの内に曖昧な言動をしてしまう。

団地にもマンションにも住んだことがない私には、よく解からないことである。一軒家に住み、仕事も忙しかったので、隣り近所の人々と殆ど接してこなかった。そのため近所の人々の名前も、家族事情も知らないのである。ただ右隣の家族だけは、妻の実家の土地を売った関係で少し知っているが、その後は話したこともない、といった具合である。

こうして知らず知らずの間に、地域の人々と疎遠になり、近くに誰が住んでいるのかも知らず、関心もない。自分の住む市町村、国、世界に深い関心を持たなくなってしまう。これは民主主義の国としては、危ないことである。気が付いたら、引き返せない泥沼に入り込んでいるかも知れない。

この作品は一見、平凡で単純な作品に見えるが、深い意味を持って警鐘を鳴らしているのかも知れない。討議の中で、だんだんとこんなことに気が付いてきた。

 

 

 

 

 

意見７　　　　　　　　

　室崎　和佳子

 

年金生活者で単身生活を送っている「私」と、「私」から見れば何を言っても全てボヤキに聞こえる多分五十代の「ボヤ氏」との会話を通して、次第次第に無気力になり、長いものに巻かれて生きた方が楽、という生き方になっていく「私」を描いている。

　歴代自民党政権の国民貧乏化政策によって大半の日本国民は日々生きることに汲々としている。「私」も「ボヤ氏」も例外ではない。そんな中でも、「ボヤ氏」はボヤキ続けることによって少しでも人間らしく生きたいと思っていて、ボヤキ相手を「私」に求めている。しかし、私はそれに十分に応えてはいない。

　応えられない「私」の心のうちとボヤ氏との応答が綴られる。

「防草シート張られたら、芽も出せない。だから花も咲かない。思うだけで息苦しいですよ。草の気持ちがわかりますよ。廃墟ですよねえ」(P11下段9行目)と言う「ボヤ氏」のセリフは胸に迫る。防草シートは侵略者であり、芽も出せず花も咲かせられないのは侵略される側である。

　そう考えたら、この小説が言わんとしていることが見えてきた。

　日々積み重ねられていく何と言うこともない事象を見逃してはいけない、黙っていてはいけないのだ、と。

 

 

 

 

 

 

意見８　　　　　　　　　　

豊村　一矢

　

私は、この作品が好きでない。不愉快だった。

この作品は、民（もろもろの「たみ」、角川国語辞典にあるように普通のひとびと…といったらいいのかな）を見下している。また、「たみ」を見つめる視線に親愛感がない。

しかし、私は、「普通のひとびと」は個人として、自分の世界観、信条を、右であろうと左であろうと、持っていると思っている。それを、作品は、不知(しらず)不識(しらず)にもたらされたものだと言っている。傲慢すぎる。

 

 

 

意見９　　　　　　　　　　

北野　あかり

 

自分に必要なこと以外に関わらないで生活しているような団地住まいの人たちが描かれている。団地には収入が少ない人や中国、台湾、ベトナム、　　

フィリピン人出身らしい人が住んでいる。

草むしりが大変だという理由で芝生に敷かれた防草シート、それが突然無くなり、かわりに、日常当然のこととして行っていることを張り紙にして掲示されている。手足を縛られたような不快感を抱き、誰が行ったか解っていても、最終的に波風立てないで見過ごしていく…そのような内容なのだが、なぜか身の回りを見るとそういう人が多いことに気づかされました。

作品の中で、昭和史の本の一説として、町内会、隣組が戦争動員に大きな役割を果たしたことを連想したことが描かれており、知らず知らずのうちに体制に取り込まれていき、権力の思いのままになっていくことを示唆しており、作者は伝えたかったことなのだと思いました。

 

 

 

意見１０　　　　　　　　

柏原　竜

　　

　題名「不知不織」の意味が解らなかった。調べたら「それとは意識せずに、いつのまにかある行動をしたり、ある状態になっていたりすること」と書いてあった。

　所得制限のある団地に４０年を超えて住み続けている１人暮らしの男性の、体の老いを感じながら団地の人々との生活や暮らしぶりが綴られている。

　月に一回の草刈りが大変なので防草シートを張り巡らしたが、雨音がうるさく苦情が出ている。更に月一回の草取りは今年も無くならず続けられている。長年見慣れた風景と違う防草シートが張られた団地の周囲を眺めていると、息の根を止められた草の気持ちが伝わってきて、団地が「廃墟」になったように見える。ボヤ氏も同じ考えだが、自分は防草シートを進めている姉御や生徒会長には面と向かっては言えない。ボヤ氏は自分の事をはがゆく見ている事を知っている。

町内会の役員会の時、生徒会長がかってに植え込みに草花を植えている話が出た。自分は「勝手な人だ。防草シートも張ったりして、もう役員ではないのだから植えるのは辞めてほしい」と興奮していったが、みんなからは「そうだ」という反応がなかった。

夜回りで団地の植え込みで動いている生徒会長をみて挨拶をした。それをボヤ氏に見られた。彼は自分を防草シート推進側と見ているのだろう。　町内の役員を来年３月で終わるが、波風立てないで終わりたい。　

次の月曜日の朝、団地の道路の金網、植木にＡ４版の紙が３メートル間隔で貼られていた。「不審人物見たら１１０番」とか、書かれた張り紙が。自分は自治会長に連絡しようか迷ったが連絡せずに自宅に戻った。

隣近所との付き合いは、出過ぎてもだめ、無関心でもだめとむつかしい。付かず離れず上手に付き合うことが大切かな。ここの生徒会長のような人は周りに結構いるが本人は皆のために善い事をしていると思っている。世の中にはいろんな人がいる。きちんとルールを守れなかったり失敗したりしても周りでカバーしたり助けあったりしたら、貼り紙せずにいいのだが。

私の近所に防草シートを貼ってある所があるが、今年春になって、一斉に草木が芽生えてきたら、防草シートの隙間や綻びの所から青々とした草が生えて来た。生物はたくましいと思った。防草シートは景観を壊し、何年か後には朽ち果ていき後片づけが大変になりそうです。

生徒会長の貼り紙には驚いたが、本人は良い事をしていると思ってるだろうが、貼り紙は雨風に晒され其のうち紙屑になるだろう。

ボヤ氏のように思ったことを言うことは大事だと思う。周りを気にして何も言わないのではなく。それによって去っていく人は去れば良い。また、いいと言って近づく人もいるだろう。去る者は追わず、来る者は拒まず。自分を抑え込むのは辞めよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

投稿欄

　

 

 

Ｇ・オーウェル『あなたと原爆』のこと

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　松木　新

 

十年ぶりに発行された旭川支部の「通信」に、支部長の細野ひとふみさんがエッセイを書いています。その中で、ジョージ・オーウェルの『あなたと原爆　オーウェル評論集』（光文社古典新訳文庫）を紹介していました。オーウェルには『カタロニア讃歌』いらい関心があったので、早速読んで見ました。なんと、その中に、「右であれ左であれ私の国」が収録されているではありませんか。

李恢成が、「北であれ南であれ　わが祖国」の中で、オーウェルのエッセイについて、次のように言及していました。

〈一九七二年―引用者）六月十三日から十五日間、私は韓国にいた（当時の韓国は朴正煕政権―引用者）。ほぼ二年ぶりの訪韓であった。（略）そのときの印象を私はどこにも書いていない。私なりに考えてのことだったが、いまは自分の考えをのべてみたい気持になっている。この仕事に取りかかるとき、私は最近出版されたＧ・オーエルの評論集にあったタイトルを思いうかべた。その題名は「右であれ左であれ、わが祖国」となっている。書店で見かけて、このタイトルに心を惹かれた。そして、そのとき以来、「北であれ南であれ、わが祖国」という言葉をどこかに生かしてみたくなっていたが、この原稿に用いてみるのがもっともふさわしいにちがいないと思いこんだのである〉（『文藝春秋』一九七二年九月号）

この李恢成の文章を読んで以来、オーウェルの文章が気にかかっていましたが、いつの間にか、そのままになっていました。それが目の前にあるのですから、ビックリです。

オーウェルはこのエッセイで、スペイン市民戦争で戦死した若きコミュニストが、戦死する少し前に書いた詩と、愛国的な詩で第一次大戦前のイギリスで人気を博していた詩人の詩に共通している祖国愛に注目して、このエッセイのタイトルを決めたようです。

李恢成の考えは、次のように明確です。

〈私にとっての民族とは、二十二万平方キロの面積にすむ、五千万同胞のことである。つまり、北であれ南であれ、私の祖国であり、民族は一つなのだ。現実をみると、三十八度線を境に二つの異なる制度をもつ国家が事実上存在してはいるものの、民族は一つなのである（略）民族と国家との関係は、前者が自然存在とすれば、後者は人為的な要素をもつものである。言葉をかえると、民族は永久的存在であり国家は時間的存在といえる。これは普遍的真理である〉

オーウェルの評論集に収録されている「あなたと原爆」は、オーウェルが一九四五年に書いたものですが、この時点で、当時の国際情勢を、オーウェルが「冷戦」と表現していることには感心しました。

なお、オーウェルが文章の書き方について、貴重な提言をしていますので、以前に「札幌民主文学通信」に書きましたが、再掲します。

〈直観で事足りない時にたよれる規則が必要である。たいていの場合に次の規則で間に合うだろう――

一、印刷物の上で見なれている隠喩や直喩やその他の修辞をけっして使うな。

二、短い語で十分な時はけっして長い語を使うな。

三、一語削ることが可能な場合にはつねに削除せよ。

四、能動態を使える時はけっして受動態を使うな。

五、相当する英語の日常語を思いつける場合には、外来の句や科学用語や専門語をけっして使うな。

六、野卑むき出しの言葉づかいをするくらいなら、これらの規則のどれでも破れ。〉（「政治と英語」）

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ガザのジェノサイドにどう言葉を発するか」を読んで

泉　恵子

 

『民主文学』五月号の、岡真理さんへのインタビューは、とても刺激的で、大変教えられた。

イスラエルのパレスチナに対するあまりにもひどい攻撃は、「ジェノサイド」と呼ばれるここにきて、各国で若者を中心にイスラエルにたいする反対運動が起こり、国際社会を揺さぶっている。詳しいことがわからなくても、ひどすぎる反人道的な仕打ちに、誰もがそのむごさにＮ０と言わざるを得ない状況だと思う。

　

　初めは「ハマス」（岡さんは「ハマース」という）について、メディアがいうように「ガザを実効支配しているイスラム組織」と聞いて、武力にものを言わせて暴力的に統治している組織なのかと私も誤解していた。

　そうではなく、イスラム主義を掲げてパレスチナの解放を目指す、占領に対して抵抗する解放組織なのだということだ。「テロ」組織のように言うイスラエルのプロパガンダに、踊らされていたことを知らされて衝撃だった。

　イスラエルの建国からして、パレスチナへの植民地支配であること。それを欧米西側諸国の多くが支持してきたこと。また、そもそものユダヤ人の歴史もー紀元前から各国に分散していたなどーよく知らなかったことを教えられた。

中東において、紛争が絶えないこのパレスチナ、イスラエル問題は、シオニズムとか、レイシズム（人種差別主義）などという言葉とともに、聞くことはあっても、どう理解してよいのかよくわからなかった。遠い国のことでもあり、直接自身の生活に関係することでもないと思うと、それを深く理解しようとする努力もしなかった。

　今（５月９日時点）、３万５千人に近い無辜の人々が殺され、（そのうち７割が女性や子供で、それも遺体がはっきりしている数で、実際は４万人に近いのではという）ジェノサイドばかりでなく、ドミサイドという建物の大規模破壊も行っている。一般の住宅や宗教的文化的な施設ばかりでなく病院、学校、大学までも破壊し去って、ジャーナリスト、医師、研究者をも殺害し、民族そのものを根絶やしにしようとしているようだ。

　あまりにむごい惨劇に、世界がやっと目を向けざるを得ない状況になったということか。

　そこに住む人々の気持はどんなだろう、計り知れない思いを小説化することが求められている。と岡さんは言い、しかし、当事者にそんな余裕はないとして、実験的に岡さん自身が一人の戦闘員の青年に仮託して描いたのが「小説　その十月の朝に」（『現代思想』２月号）である。

「１　訳者前書き」「２　その十月の朝に　アフラーム・ガッザーウィー作（岡真理訳）」「３　訳者解題」というこの三部からなる作品を読んで、最初は私も当事者の作品を岡さんが訳したのかと誤解した。この三部全てが「小説」なのだと断っているのにも拘わらず。

　それほど、この一人の戦闘員「ぼく」の独白は生々しく真に迫ってくる。

　ジャーナリストや研究者の文章は、知識として知らされるが、魂を揺さぶる文章はやはりこうした文学や文芸作品によってしかないということを、「現代アラブ文学」研究者の岡さんは力説する。しかしその渦中にいる当事者は今は書けない、小説は常に時間がたってから書かれるということは、たしかに過去に書かれたいくつかの作品が物語っている。

この小説の主人公「ぼく」は、今、死を覚悟して、一解放戦士としてやむにやまれず仲間とともにガザ地区を飛び立った。パラグライダーで空から赴いた彼は、今初めて自分たちの故郷を眼下に見ている。そして、ここに至った経緯を回想しながら、愛する家族や友人に思いをはせて独白する。その一言一言が傍観者だった読者に突き刺さってくるようだ。

「母さん、ガザのみんな、許してくれ。占領された故郷を解放するために、ぼくたちパレスチナ人が、この七十五年間、否定されてきた自由と権利、人間としての尊厳をもって生きるために、愛するみなにおびただしい犠牲をもたらす僕たちをどうか許してほしい。

　ぼくらパレスチナ難民の故郷帰還も、ぼくらが独立国家を持つことも、パレスチナ人の正当な権利だと言いながら、世界はその実現のために指一本動かすわけでもない。いや、それどころか、このガザという小さな檻の中に閉じ込められて、ぼくらが窒息状態になりながら、何度も何度も、繰り返し虐殺されていても、世界はただ横目で眺めているだけだった。」

「すべては一九四七年、国連が、ナチによるジェノサイドの結果、ヨーロッパで難民になっていたユダヤ人の問題を解決するために、不当にもーそうだ、不当にも、だー、パレスチナの地に彼らの国を建設すると認めたことが原因であるというのに。そうやって、七十五年も流血の続く紛争の種を自ら蒔いておきながら、国際社会は、ぼくらパレスチナ人を何重もの不正の中に打ち棄ててきた。」

　続く「ぼく」の独白は、多くの犠牲を伴うかもしれない今度の行動は、こうでもしなければ、次第しだいにまるで真綿で首をしめられていく様を黙って堪えつつ、民族としてのパレスチナ人が殺されてゆくのを見ていられなかったということを訴えているようだ。

「数時間後に僕が死ぬのだとしても、母さん、誤解しないでほしい。ぼくは死を選んだのではない。（中略）

　ぼくは死ではなく生を選んだんだ。自分の人生をいかに生きるかを自ら決めたんだ。ぼくたちが生きるこの土地の上にはなおも、生きるに値するものがあると証明するために。ぼくたちパレスチナ人が、自らの運命を自ら切り拓いてゆく、その新たな一頁を歴史に刻むために。

　ああ、母さん、ぼくは今、限りなく自由だ。」

　小説の最後は、

「白人国家だった南アフリカが虹の国になったように、川から海まで、パレスチナも虹の国になる。この土地の上に、ぼくたちは未来を植える。ああ、母さん、故郷が見えるよ。朝日に照らされたぼくたちの故郷が。ぼくらの娘たち、息子たちがやがて還る、虹色の故郷が。」

と、未来に希望を託して終る。

 

　これは作者の希いなのだろう。が、果たして、このような未来はいつ訪れるのだろうか。

　この小説が、この「２部」の翻訳とされる部分だけではなく、１部の「訳者前書き」、３部の「訳者解題」と３部建てにしたのは、小説の主人公戦闘員の「ぼく」の視点からだけしか描けないのを防ぐためだという。

　１部では、かねてからイスラエル滞在中だったＭという人物から、この作品を訳してほしいと頼　まれる。運よく自衛隊機で日本に帰国することができたＭから、現地での悲惨な状況ー例えば腕や足を切断された多くの子どもたちのことや、パレスチナ市民は恐くて外ではアラビア語も話せないなどーが知らされる。

　３部では、様々な事実や歴史認識から、十月七日の出来事は、植民地主義の支配からの解放を求める者たちの民族解放闘争であることを説いている。「ハマスによる反ユダヤ主義の残忍なテロ」というのはイスラエルの捏造であり、アメリカをはじめとする西側諸国（日本も含む）のメディアがこのイスラエルの言説に大いに協力していることに対峙している。

　そして小説の著者が最後に「虹の国」を希求するように、この解決は、ユダヤ人至上主義が解体されて、パレスチナに移住してきたユダヤ人を含めて、ユダヤ人とパレスチナ人とがこの地で一人一票の平等原則のもと、共生すること。いわゆる「二民族共生国家」であるという。

 

　果たしてそれはいつのことだろうか。

　アメリカをはじめとする西側諸国が、今までのイスラエル支援政策を見直し、人道的な立場にたって、イスラエルの蛮行を止めるよう国連を動かす、世論の大いなる高まりが求められている。　　　　　　　　（２４年５月９日）

　

これを投稿する五月一三日、現在死者が３万５千人を超えたと発表された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Ｂｅａｒ　Ｂｅａｒ　Ｂｅａｒ

後藤守彦

　　　　

エスコンフィールドの近くにある、福祉団体が運営するレストラン「虹のかかるところ」では、規模が小さいもののよく美術展が開かれている。四月一日から五月末まで予定されている「熊展Ｂｅａｒ　Ｂｅａｒ　Ｂｅａｒ」を四月二七日に観た。版画や木彫などの創作活動、語り部や音楽活動を通してアイヌ文化の普及に取り組んでいる結城幸司の木版画七点、美術作家小林龍一のイラスト的な絵一五点が展示されていた。結城の作品では、上にある楕円形の穴に前足を差し込んで立ち上がろうとしている熊を描いた「穴から出でよ」

がユーモラスでよかった。白抜きの熊の真っ黒な目が印象的だった。小林は、複数の熊を描く。二頭の子熊が木登りしている姿、二頭の子熊がこれから木登りしようとしているのか、根元で木にすがるように立っている姿がかわいらしい。熊はやさしいと小林が主張しているようだった。

　ところが、現実を見ると、熊は排除の対象となっている。昨年度の熊の駆除数（許可捕獲数）が全国で九二五三頭となり、史上最多を更新した。北海道でも羆の駆除数が過去最多の一四二二頭となった。すべて殺されたわけではないが、大変な数である。環境省野生生物課は、餌不足で人里に出没する熊が多くなったので、「農作物の被害や人身被害を防ぐため、自治体も積極的に駆除せざるを得なかった」と分析している（『北海道新聞』二〇二四年五月二日号）。

コロナ禍で中断したが、長く山を登り続けてきた。北海道の山では熊への警戒をおろそかにできない。熊は怖い、その感情にとらわれてしまう。幸いなことに、笹藪を通った跡や足跡、糞を見たことはあったものの、遭遇したことは一度もない。この山には熊はいないという情報を得て心穏やかに登頂したのは、島にある利尻山だけである。

熊が登場する文学作品を熊文学と呼ぶなら、第一七〇回直木賞を受賞した河﨑秋子の『ともぐい』（新潮社、二〇二三年）は、それに該当する。冒頭の「零下三〇度の冷気は鼻毛と気管を凍てつかせ、氷塊のように体の中を滑り落ちいく」からも、切れ味鋭い筆力を知ることができる。私も零下三〇度以下を何度も経験しているが、この表現に納得する。鹿の解体の場面など実に生々しい。血の臭いが伝わってくる。

主人公である本能で生きる孤高の猟師熊爪は、アイヌではないがアイヌに育てられた養父から、技を学んだ。彼が対峙した二頭の熊、阿寒方面からやって来た、冬眠を逃した、手負いの「穴持たず」と熊爪が住む白糠の山の王者「赤毛」。

 

　　赤毛に覆われた全身はお穴持たずと同じくらいだが、殊に頭が大きく、肩に太い筋肉がついている。冬眠明けにしては驚異的な太さだ。目は爛々と光って戦っている相手から決して逸らされることはない。自分の存在が必ず勝つと、生き抜くと、一分の疑いも持たない熊だ。

 

二頭の死闘に巻き込まれ熊爪は大怪我をする。やがて「穴持たず」を殺した「赤毛」を倒すのだが、熊爪は悔いる。

 

　　こいつを殺したことか。山を降りる前に赤毛を仕留めると決めたことか。或いは養父に教えられたままの生き方をしてきたことか。女の股からひり出されて以来、生き続けたことか。それとも、生まれたこと自体にか。

 

その後、蠱惑的な盲目の少女陽子とのあれこれが描かれていく。描写は詳しいのだが、なぜ、どうしてという疑問が次々とわいた。作者はどのような意図で後半を設定したのか、私は力不足でどうしても理解できない。

熊の怖さを教えててくれるのが、吉村昭の『羆嵐』（新潮社、一九七七年）である。一九一五（大正四）年一二月に、苫前村三毛別六線沢（現苫前町三渓）で、体重三四〇キロの巨大な熊に開拓民七名が殺された三毛別羆事件を描いている。

 

　　人々は、未開の地に村落を形成した。かれらは、荒地をひらいたが、土地は、逞しく張った木の根や石塊でかれらの鍬をこばもうとし、冬の寒気と積雪でその生活をおびやかした。それを当然のこととしてかれらは苦痛に堪え、自然にさからうこともなく生きてきた。しかし、自然はかれらに大きな代償を強いた。先住者である羆を擁護する立場に立ち、村落の者たちを容赦なく死におとし入れた。

 

五月三日の憲法記念日には、北広島九条の会主催の行事、平和の歌声喫茶やパネル展に

事務局員として参加する。翌日一泊の温泉旅行に出かけるのが恒例となっている。ここ数年は、道北の日本海岸にある苫前温泉ふぁっとを利用している。そこから山に向かって約三〇キロ、車で約一時間かかる、天塩山脈の麓で事件が起こった。

『羆嵐』にも、前掲『ともぐい』と同様、孤高の猟師が登場する。宗谷の山岳地帯で執拗に羆を追い、年に二、三頭の熊を仕留めており、宗谷の銀とあだ名されていた山岡銀四郎である。警察などの力ではどうにもならず、一対一で向き合った銀四郎が仕留めた。銀四郎を注視していた、被害を受けた集落の区長は思う。

 

　　銀四郎が熊に対して非力な存在であることを自覚しながら、銃一挺を頼りに羆を斃して生きてきたことに気づき、銀四郎に物悲しさも感じた。銀四郎が酒を飲んで荒れるのは、胸を胸に巣食う悲哀をいやすためにちがいない。

 

 

『潮の音、空の青、海の詩』（ＮＨＫ出版、二〇一五年）などで三・一一を真摯に描いた熊谷達也のデビュー作『ウエンカムイの爪』（集英社、一九九八年）も羆と人間との絡み合いを描いている。初めに題名にあるウエンカムイの意味を最近刊行された『アイヌ文化史辞典』（吉川弘文館、二〇二二年）の「悪神」の項で確認しよう。

 

　　カムイのなかでも、アイヌ（人間）の命を奪ったり危害を加えたりするものを、ウェンカムイ（悪いカムイ）という。〈中略〉「悪神」のほか「化け物」「魔物」と訳されることもある。例えば、人間を殺して食べたカムイは「ウェンカムイ」とされ、多くの伝承が残されている。

 

　窒息しそうな都会を逃れて動物写真家を目指す吉本は、夏の北海道の山中で金毛の羆に遭遇する。絶体絶命の状況に追い込まれ死を覚悟した吉本は、羆を催眠術をかけるように追い払った女性に救われた。正体も明かさず、その場を去った女性に、一年後、吉本は再会する。道南の大千軒岳一体で行われている羆の生態調査の取材に入ったところ、調査隊のリーダーがその女性だった。北大農学部森林科学科の講師小田玲子である。玲子は生態調査の意義について語る。

 

　　　北海道のエゾヒグマのように、生態系の食物連鎖上の上位に位置する大型動物をアンブレラ・スピーシーズと言うのですが、そのような種が十分に繁殖し、維持されていれば、その生態系は多くの種の維持の可能性を持っている。つまり、自然のバランスがうまくとれている生態系なのです。ですから、北海道におけるヒグマは、生態系がどれだけ生物多様性を保持しているかを判定する指標ともなっているわけです。

 

　ある日、調査隊の一人が、金毛の羆に襲われ傷を負う。吉本を襲った羆のようだった。

実はこの羆は、アイヌを祖父にもつ玲子が子熊の時に育てたらしい。銃弾を受け、手負い

となった金毛の羆を、猟師を伴って二人は追う。羆と人間との壮絶なバトルが展開する。

　私は、作品の舞台となっている大千軒岳を、二〇〇五年七月に登っている。曇天だった

こともあり、羆が姿を見せそうな雰囲気がずっとあった。ガイドに案内されての団体行動

だったので、それほど不安を感ずることなく下山できたのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エッセー日記（四月）

春らんまんに

泉　　脩

 

　四月に入って雪が消え、道路が歩きやすくなった。年寄りには何よりの幸せだ。スーパーに買い物に行ける。好きな店に食事に行ける。病院・郵便局にも楽に行ける。まだ四月なのに気温が２５度の日もあり、桜が咲いた。春らんまんである。

　三月末に百人余りに送った新著の読者から、心のこもった電話や手紙が来て、とても嬉しい。最後の本なので、反応が大きい。井上美香さんとの共著が成功し、二人の持ち味がマッチしたらしい。

　「九十代もしっかり生きろ」、「文筆活動を続けろ」など、励ましの言葉をたくさんもらって、何か力が湧いてくる思いである。まったく予想しなかった九十代という高齢を、生き続けようという気力が湧いてくる。文学を通じての交友はいいものだ。

　カバーの装画に、夫人の画を使わせてもらった石田英夫に、七冊送った。すると、更に五冊追加の注文が来た。本の出来栄えが気に入ったようである。しかも、六月に二年振りの来札をしたいとのことである。楽しみなことだ。

　高知と千葉の年下の友人から、心を打つ長い手紙と共に、美味しいお菓子が送られてきた。横浜に住む、かつての妻のクラスメート（小学校！）から、「デコポン」という甘い九州のミカンが一箱送られてきた。一人では食べきれないので、身近で世話になっている方にお裾分けをして喜ばれている。返事を書くのに忙しいが、嬉しい忙しさである。

　内外の激動は続いている。ウクライナとパレスチナの戦争は長引いている。かつての戦時中を思い出し、渦中にいる人々の苦しみが思いやられる。痛ましいことだ。

　国内では、石川県の大地震からの復興が、ゆっくりとしたペースで続いている。私の退職（一九九五）の後、阪神・東北・九州・北陸と日本中で大地震が起こっている。この間、北海道の胆振でも起きた。不気味なことである。今後予測されている太平洋の大地震が恐ろしい。長生きをすると、困った事にも遭遇するのだ。人生とは一筋縄ではいかないのだ。

　つい最近、東京・島根・長崎の三区で、衆議院議員の補欠選挙があった。すべて立憲民主党が勝利し、自民党が全敗した。裏金問題と物価高騰への国民の怒りの現れだろう。これからどうなるだろう。

　私の楽しみは相変わらず文学、音楽、野球である。中でも野球はとても興味深い。アメリカ大リーグで、ドジャースの大谷が元気を取り戻し、ホームラン七本、打率三割四分と好調である。日本中が注目し、一般ニュースに交じって報道されている。打っても打たなくても注目され、かつてのイチローと同じだ。日本のプロ野球では、ファイターズが好発進をしている。現在パ・リーグ二位で、貯金を増やしている。一位ソフトバンクは強いが、いつかは追い付くかも知れない。投打がかみ合うようになり、接戦をものにするのである。清宮、野村そしてアメリカから新加入した選手はまだ本調子ではないが、いずれは活躍するようになるだろう。

　五月から七月にかけて楽しみが多い。併行してしっかり仕事をしながら、充分に楽しんでいきたい。本作りは十五冊という目標を達成したので、今年は休養と遊びの年にするつもりである。ずっと走り続けてきたのだから。

今年の夏は、昨年を上回る暑さの様だ。思い切って家に無かったエアコンを付けて、何とか切り抜けたいと考えている。どうなることか。

九月末に兵庫県赤穂市に住む、姪の西山博子さんが来札するという。忍さんに頼んで定山渓温泉のホテルふる川を予約してもらった。およそ十年振りの再会であり、とても楽しみである。妻が可愛がっていた姪である。

 

 

 

鷲田小彌太・井上美香(よしか)

『イノベーションの大地　北海道　変革をもたらす人・発想・現場』

　二十一世紀のパラダイスか

泉　　脩

 

　二〇一八年に発行された共著。北海道をパラダイス（楽園）とするための、道民による数々のイノベーション（技術革新）を列挙している。

　私は小四の時に北海道に移り住み、それから七〇年以上も北海道に住んできた。私にとっては思い当たることが多く、興味深い。歴史・自然・産業・文化・スポーツそして政治と、あらゆる分野について明確に解析し、とても説得力がある。

　北海道に生まれ、札幌大学で哲学を教えてきた鷲田さんは、鋭い分析の中にも郷土愛がうかがわれて、うれしい。私は特に文学の部分に惹き込まれた。若くして殺された小林多喜二を、北海道の作家の先駆者の一人として挙げていて、びっくりした。私の好きな船山馨と佐々木譲を、高く評価しているのもうれしい。いわゆる純文学ではないが、この二人の多くの作品は、とても読み出のある奥深い作品だと思う。

　第二部を受け持っている井上さんは、札幌で生まれ育ち、一貫して札幌で働いてきた秀れた女性ライターである。師である鷲田さんの元で働き、師から多くを学び成長してきた。抒情に流されず、冷静に的確な分析をしている。彼女は二冊の共著の他に、自分の著作も三冊作り、どれもおもしろい。

　第二部では、イノベーションの現場として、八つの注目すべき分野を書いている。

　第一は、日本海に面する寿都町の風力発電についてである。風の強い自然状況を利用して、早くから風力発電に努めて街の貴重な財源にしている。

　第二は、旭川が生んだ家具職人・デザイナーが、硬い道産ナラ材を使って、世界的な家具メーカーを作り上げた功績である。

　第三は、太平洋側から札幌に通じる道路開拓であり、特に難関の中山峠に、見事な観光道路を作った。長い困難な大事業だった。

　第四は、世界的豪雪都市、札幌の開発である。大規模な融雪機能を作り、暖房・冷房に使った。また地下鉄と地下遊歩道を作った。札幌は世界的な観光都市になった。この中で、車のスパイクタイヤによる粉じん公害が起こり、私の友人の山科北大教授を中心にした反対の大運動があった。そしてスタッドレスタイヤが普及した。

　第五は、「白いダイヤ」たる、雪の活用である。早くから雪の研究が進み、雪を蓄蔵して、多くの分野で活用する。食物の冷蔵・コンピューターの冷却・夏の冷房などである。雪は邪魔物ではなく資源となった。

　第六は、風景である。美瑛の丘、富良野のラベンダー畑など、次々と大ブームになる。

　第七は、スイーツ王国の誕生である。六花亭のホワイトチョコレートや石屋製菓の「白い恋人」。北菓楼の「夕張メロンゼリー」などである。

　第八は酒である。特に池田町のワインと厚岸町のウィスキーが注目されている。そして上川町では道産米による清酒を作り始めた。

　このように画期的なイノベーションが続き、北海道は全国的に注目され、人々のあこがれの地になってきている。

　私の好きな分野では、プロ野球の日本ハムファイターズが北広島市に、大規模なボールパークを作り、全国から注目されている。今季こそファイターズのリーグ優勝を期待している。どうなることか。

　この本は六年前に発行された本であり、この後もイノベーションは進んでいる。しかし全国的な少子高齢化、それに伴う人口減と労働力不足は、北海道でも進んでいる。気候の温暖化も進んでいる。これらはまさに政治の問題であり、北海道も一貫して努力していかなければならないだろう。

　鷲田さんの著書紹介で、若き日の著書『ヘーゲル「法哲学」研究序論』がある。ドイツ観念論哲学を集大成したヘーゲルは偉大な哲学者で、マルクスがそれを継承し、今日の科学的社会主義の基を創設したのである。鷲田さんはヘーゲルの思考法を取り入れて自分の哲学を作り上げ、すべての現象を自在に分析している。

私の学生時代の友であり師であった村上嘉隆さんも、ヘーゲルの精神現象学を学び、見事に多くの著作を書いた。そのため私にとっては、鷲田さんの論理はよく解かるのである。

　この本の共著者井上美香さんは、鷲田さんの下で十二年働いた。毎年十冊以上の著作をデジタル化したという。つまり膨大な肉筆原稿をパソコンに打ち込んだのである。この体験の中で、井上さんは多くを学び、そして格調高い文体を身に付けるようになったのだと思う。この師にしてこの弟子あり―である。学ぶとは師を真似ぶことから始まるのである。

 

 

札幌民主文学通信　

二〇二四年〇四月〇一日　３０５号

 

　

四月例会誌上合評

　合評作品　

　　能島龍三「母の短剣」

　　　　　　　　『民主文学』四月号

　

 意見１　　　　　　　　　　松木　新

 

この作品のポイントは、（六）に登場する蓮の姿とあわせて、蓮の涙の意味をどのようにとらえるか、にあると思いました。そこで、連の涙の淵源に、短剣と十三人の少年の死があると考え、「文芸時評」のような評価になりました。

 

 

　意見２　　　　　　　　　　　　泉　　脩

　

自衛隊の高校があることを、この作品で初めて知った。毎月の給与の支給・年二回のボーナス・大学進学の可能性などで、貧しい中学生を惹き付けるのである。実態は早めの実戦訓練であり、秀れた兵士の養成である。

　アメリカでも除隊後の大学進学を約束し、志願兵を集めて猛特訓をして、第一線に送り込んできた。ベトナム帰りの若者が社会生活に戻れず、ヒッピーになる者が多かったという。中三の少女が祖父に訴え、大人たちが協力して、同じ中三の少年を思い留まらせた。最後は母親の必死の説得だった。母の祖父が、かつて海軍士官だった時に身に付けた短剣を、母親は抜身で息子に差し出し、殺し殺される世界に入ることを、必死に止めたのである。

　人にとって最も大切なのは命であり、かけがえのないものであることを息子に解らせたのである。

　私の家にも、かつて日本刀があった。殿中差しという短めの日本刀だった。医師だった父が軍医としての招集を覚悟して、日本刀を集めていた父親（私の祖父）から譲り受けたものである。幸い父は招集されなかったが、敗戦の翌年に患者から天然痘が感染して死んでしまった。

私は残された日本刀を、おもちゃにして遊んだ。美術品として返されてきたからである。しかし時々警察官がその存在を確かめに来た。この日本刀は、次姉が息子の大学の授業料に困った時に、母が売ってしまった。五十万円だった。戦争に使われなくてよかった。

　この作品は、作者の反戦の思想を示した、好短篇だと思う。それにしても貧しい家庭の若者はつらい。私も同じだった。

 

 

意見３　　　　　　　　　　石川　節子

 

能島龍三さんの母の探検、短剣に意義を感じませんでした。

こう言うときの短剣は、「敵から勝ちとった象徴で、祖父も父もこれを身につけて戦ったのよ。だから、貴方もこれを持って行って、存分に働いてきなさい」という、励ましの方に働き、「ゆくのをやめろ」と言う暗示の方向には、働かないだろうと、私は思います。

蓮がおもい留まったのは、短剣に関係なく「母が、本気で反対している」と、いうことが、解ったからだと思います。

問題提起が明快なだけに、それに対する名案が出せないことに、何とも言えない「空しさ」が残る作品です。

 

 

意見４　　　　　　　　　泉　恵子

 

かなり前から「新しい戦前」と言われ(ある人はもはや「新しい戦中」ではないかという)、平和憲法もそっちのけで、戦争できる国づくりが着々と進められている。

日常の中にじわじわと忍び寄ってくるその魔の手は、純真な中学生にも「自衛隊への勧誘」という形で伸びてきていることを、身近な話として上手く描出している。

憲造の犬の散歩のときに、いつも走ってきて犬と遊んでくれる中学三年生の長沼蓮が、今朝は現れない。そんなちょっとした異変には、実は一人の少年の運命を左右する自衛隊勧誘の罠に嵌るかもしれないという危機が潜んでいた。

憲造の孫娘の彩香と蓮が同じ中学の同学年であり、蓮が「陸上自衛隊高等工科学校」へ入りたがっているとの問題を「じいじ」である憲造に相談する、というところから話は始まる。

孫がこの問題を両親より先にじいじに相談するのは、それだけ親密な関係ということだろう。祖父(父)から娘へ、そして孫へと伝わる平和運動の思想が、中学生の彩香の行動を促している。この利発な孫と祖父の関係は好ましい家族の姿を示してもいる。

そんなことから母子家庭の蓮の母が、息子の自衛隊工科学校への進学希望を知って、蓮と対峙する場面はとても緊迫している。家の経済を考えて、自衛隊学校から防衛医科大学に進みたいという健気な願いを母は全力で反対する。

母親が自身の祖父の海軍兵学校時代の「短剣」を持ち出して、「これを持って勝手にゆけばいい」ということから、母の必死の反対の意思を汲み取る蓮の葛藤は察して余りある。

この母が、これ程までに「自衛隊学校」に反対するということは、自衛隊の本質を見抜いたからだろう。母は非正規の地方公務員で、身体が丈夫ではないという説明だけで、日常の生活態度はわからない。が、憲造の調べた資料ー過去にこの学校の前身の生徒が敵前渡河訓練で十三人が死亡しているーを見たということで、自衛隊の本質を知ったという事らしく、聡明な母ということだろう。

ここでは様々な連係プレーが効を奏しているが(ちょっと話が上手くいきすぎる感もするが)、一般的には、それほどまでに息子が願うならと折れてしまうことが多いのではないだろうか。

この母親の決死の覚悟を促した背景をもう少し描いてほしい気がした。

文中、アメリカのロック歌手の歌の歌詞は初めて知ったが、効果的に使われていると思った。

(補足訂正)

前回『通信』、「ジージョ!」についての合評の中で、「余談」として「源氏物語」の猫の鳴き声の訳について書きましたが、誤りがあったので訂正いたします。

「若菜下」のなかに、猫の鳴き声を「ねうねう」として書かれているのを、「寝う寝う」ととる訳者が多い中、林望さんは「ニョウニョウ」と

とって、「匂う匂う」とも取れると言ったのを、そのように訳していると書いてしまったのは誤りでした。

ラジオ講座では「そのようにもとれる」と言った(らしい)のですが、訳は、

「『ネョウ、ネョウ』とたいそういじらしく鳴く。すると督(衛門の督)は、これを掻き撫でながら、〈寝よう、寝よう、と鳴くか...... これでは

いよいよ思いが進むことよな〉と思って、つい苦笑が漏れる。」

となっている。よく確かめずに書いたことをお詫びして訂正いたします。

ついでに角田光代訳を見ると、

「『ねうねう』とそれはかわいい声で鳴くので、

撫でまわし「寝む寝む」と鳴くなんて、やけに積極的なやつだ、と顔がほころぶ」

となっていました。

 

　

　意見５　　　　　　　　　　山田　孝子

　

小説を創作する事は、大変な仕事と想像できるし、一体どうやって書いていくのだろう・・・？との疑問がくすぶっていたのだが、この作品を読んで、なぜかおぼろげながら、端緒を掴めたように感じました。

　作者は、最近問題になっている『経済的徴兵制』（中学卒業生や高校卒業生へ自衛隊が入隊を勧めるなど）をテーマとして、この小説を立ち上げたのではないでしょうか？

　ここからが凄いなあと思うのは、主人公の中学生を取り巻く人々の輪が、何重にも作られて交差している事で、最終的には、母親とのやり取りの中で結末を迎えるわけですが、少年を心配して祖父に相談する同級生とか、母親が相談に行くのが「子ども食堂」の店主とかで、最終的に全体の繋ぎの役となる主人公が、朝の犬の散歩で蓮君と交流があるという設定が、良く出来ている事です。

　多くの人達の輪に囲まれていた蓮君が、危険な選択を回避できた結末にホッとしました。

　ただ、母親が短剣を置いて、言った短い言葉だけで、蓮君が深く感じ取って自分の選択を断念したクライマックスが、私には良く理解できませんでした。母が話した内容だけでは、蓮君が断念するには弱い気がしたのです。

もちろん、きっと渡河訓練の犠牲者の話などをした後だとは思いますが・・・。

　題を「祖父の短剣」ではなく「母の短剣」としたのは、母の堅い決意を表しているのでしょうか？「殺し殺されの世界」を強く拒否する彼女にとって、短剣は戦争の象徴だったのでしょうか？母としての揺るぎない決意を短剣に込めた行為だったのでしょうか？

そこの場面の理解が、私には、スーッと入って来ない為、蓮君がどう感じて進路をあきらめる決断をしたのかが、伝わって来ずもどかしかったです。

　周りの大人達の「進路だけは、本人が誰かに押しつけられたと感じたら最悪ですからね」という見守りの姿勢が素晴らしいと思いました。

 

 

　意見６　　　　　　　　　　　村松　祝子

 

読み終えてとても爽やかな印象を持った。

蓮の進学の悩みは何一つ解決しないのだが前向きに生きていこうとする蓮の気持ちが伝わってくる。

起承転結の形を持った小説であると思った。（一）の起では途上人物の紹介に始まり事件が起こりそうな予感を与える。

（二）の承では主人公蓮の「陸上自衛隊高等工科学校」へ入ろうとする悩みが見えてくる。（三）（四）では承の部分がさらに詳しく展開して過去の「工科学校」の水死事故も暴かれる。自衛隊本来の戦争するための訓練に明け暮れ勉強などおぼつかない現実が見えて来る。

（五）で鮮やかに転開される。母親と蓮との葛藤、祖父の「海軍兵学校」時代の形見の短剣の出現などで最高潮に盛り上がって（六）で結を迎えている。

わかりやすい筋立てでまさに今の時代の問題を取り上げている。中学三年生の卒業予定者の名簿を市町村は本人の承諾もなく自衛隊へ提供してる。京都のある中学生が両親と一緒に無断で自衛隊への名簿提出を中止するよう裁判所へ訴えた新聞記事を読んだ。

まさに時代に即応した題材だと思う。

そして貧乏人はいつも貧乏くじを引く現実がある。

「‥‥それは俺じゃねえ。将軍の息子は俺じゃねえ。大金持ちの息子は俺じゃねえ。上院議員の息子は俺じゃねえ。幸運を授かるのは俺じゃねえ‥‥」。しかし蓮と一緒に私も前を向いて歩かなくちゃと思った。

蓮が使う若者言葉も新鮮で若さを感じさせてくれた。

しかし短剣にまつわる説明がもう少しあったほうが読み手の心に響くのではと思った。

 

 

　意見７　　　　　　　　　　豊村　一矢

　

私は、毎月、紙上合評作品と対面する際に、作者の肩書きを気にすることはあまりない。作品は個人のものだからだ。

しかし、今回は、民主文学会の会長だったので気になった。「創作」の欄の最初の作品であったし、感覚的に、作者個人だけでなく、民主文学会代表としての意志が込められている気がしたのである。

『母の短剣』は見事な作品だった。主題が明確だし物語の展開も私を惹き付けて離さない。

強いて言えば、古風な用語や言い回しも目だったが、それなりに、独特の作品世界をつくっている。

　主人公が、「自衛隊の高等学校へ入るのを断念する至った理由・きっかけ」の描かれ方に説得力不足も感じるが、作者の気持ちが入っているのは確かだ。

　

今、この「意見７」を書いている脇に、「朝日新聞」と「北海道新聞」がある。一面トップの見出しは、ほぼ同様。

　・道内１１７市町村　消滅可能性

　・２０～３９歳代の女性人口、２０５０年までに５０％以上

『母の短剣』の意見を書きながら、こんな新聞記事も気になった。

　これらを題材にした作品を書くのは私の使命ではあるまいか……と。

 

 

意見８　　　　　　　　　　室崎　和佳子

 

蓮が抜き身の短剣を母親に差し出されて、曽祖父が海軍兵学校出身の将校だったとき腰に吊していたものだとの説明を受けて、陸上自衛隊高等工科学校の受験を断念するくだりがどうもすっきり理解できない。

　短剣と曽祖父との間に何か特別な事情があるのではないか、蓮の固い決意を翻すに値する何かの事情があるように思えてならないのである。

ただ短剣を見せられて、曽祖父のものだと説明されただけで、蓮は陸上自衛隊高等工科学校の正体を見破ることができたのだろうか、と。

あるいは、母の強い決意と見せられた短剣をどう結びつけて蓮は自衛隊高等工科学校の受験を断念するに至ったのか、と。

　曽祖父と短剣との間にある”事情”が気になるのである。

　私が教師になりたての頃、元同僚に長沼蓮が入学を希望していた陸上自衛隊高等工科学校(当時私はこの名称を知らず、自衛隊内にある高校と思っていた)出身の男性がいた。彼は毎月の給料(と彼は言った)を貯金して教育大学の費用を貯めて入学し、教師になったのだと私たちに説明した。　

当時、私はそんな学校の存在を知らなかったので、給料をもらえる高校があるなんてと非常にびっくりした覚えがある。彼は組合活動に熱心な教師だった。

 

 

意見９　　　　　　　　　　柏原　竜

　

　　

　息子に「親ガチャで外れたから、僕がそこに進学するんじゃないか」と、言われた母親の心はどんなに辛かったろう。しかし、それにめげないで「貧乏な家だから、親ガチャに外れたから、殺し殺されの世界で、給料をもらえる学校に行きたいっていうなら、その短剣を持って勝手に行けばいい」と言う、母の叫びは取り返しのつかない道を歩ませたくないという、子を思う心の底からの声だと思う。

海外派兵が始まって以降、自衛隊は入隊者が少なくて、市町村から名簿を取り寄せて勧誘の手紙を送っている。旭川でも大問題になっている。戦争がなければ自衛隊員は公務員として一生を送れるが。今までは憲法９条によって守られてきたが、今は崩されつつあり戦争へと引きずられてきている。殺し殺される最前線に送られて行きそうな状況だ。自衛隊員、その御家族は心配しているだろうと考えてしまう。

親ガチャだから親に心配かけまいと「月額十万六千九百円、年２回期末手当。大学進学も可能」の陸上自衛隊高等工科学校に入ろうとしている連君を見るのは辛い。　

　昔、我々の世代は、大学に行って学びたい人は、授業料がただ同然だったので、家が貧しくても、奨学金とバイト、そして学生寮に入って卒業できたように思う。それが今はできない。

　時代が逆行している。学びたい者が自由に学べる時代になってほしい。

　連君に明るい未来を与えてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

　　　　投稿欄

 

 

　「母の短剣」札幌支部合評に参加して

細野ひとふみ

 

道内民主文学会の方々と久しぶりにお会いし、作品「母の短剣」について語り合いました。参加者からは一様に「構成が整って読みやすかった」という発言があり、私も（１）～（６）の節ごとに主要登場人物が入れ替わる展開について、「こうやって話をつなぐんだ。勉強になった」と発言しました。また、小説の真贋をめぐっては、少年工科学校の敵前渡河訓練の事故をスマホ検索しました。これは事実です。いっぽう「三学年を修了すると防衛大学校、防衛医科大学校、航空学生等の受験が可能です」との謳い文句で生徒募集が行われているとなれば、何が本当で何がウソか？　ということになります。

ところで小説の中心は（５）漣と母親の対峙ですが、高橋篤子さんからは「どうしてこの書き方（高浜からの伝聞収録）をしたんだろうね」との感想がありました。確かにいま再読すると、母の肉声も曽祖父の経験もダイレクトには響いてきません。特別な人の、特別な経験にしないという意味で、反戦の地力を発揮しているのではないでしょうか。

 

 

 

 

山本五十六

                                          倉田　 稔　

　　

　山本五十六（１８８４－１９４３）の伝記を三冊読んだ。山本五十六は、東条英樹とならび、太平洋戦争で最も有名な日本の軍人かもしれない。なにしろ真珠湾攻撃の最高指導者で、永く連合艦隊司令長官を務めたからである。なお、その真珠湾攻撃は成功だったと当時思われた。それに山本五十六は対米戦争に反対していたので、並の将軍とは思われなかった。また対フィリピン戦争で、視察のさい、ブーゲンビル島上空で、撃墜され、悲劇の将軍とされる。彼は最もすぐれた日本の戦略家だと、アメリカから思われたとされる。山本五十六は大将だったが、戦死により、元帥になり、国葬をもって報われた。

 

　１

　私の読んだ伝記の１つは、阿川弘之 『山本五十六』（一九九四年　新潮社）、である。これは著者が有名なので、よく知られている伝記かもしれない。特徴は、山本五十六が生まれてから死ぬまでを、かなり詳しく丁寧に、あるいは豊かに描いていることである。ただし、突っ込みが足らないところがある。また一番大切なところは避けている。あるいはそれに気がつかなかったのか、思ってもみなかったのか、である。

 

　ここに出てくるいくつかのエピソードを書く。山本五十六は、大正８年に米国駐在を命じられる。二年間滞在した。夫婦離れの生活となった。ちなみに山本五十六には愛人が二人いて、とても愛した。当時の軍人としてはよい方である。ハーバード大学の英語クラスに入る。彼は。よくハーバード大に入学したというが単に英語クラスを受講しただけである。ただしアメリカ社会を実見しているので、観念的にアメリカはすごい、強いと、言う人々とは、違っている。彼は、石油と飛行機と航空母艦に着目した。先見の明がある。

　山本五十六は人間としては大変個性的で面白い人である。軍人としては無能ではない。

　千早正隆「呪われた阿波丸」によると、昭和十六年の中ごろには、部内にも部外にも、ハワイ奇襲の山本五十六構想をうすうす知った者は、かなりな数に上るようになっていた。（阿川、ｐ.272）ジョセフ・グルー駐日米国大使は、昭和十六年の一月、真珠湾奇襲を、駐日ペルー公使からきいたと、電報をうった。

　昭和十六年初頭、山本五十六が真珠湾攻撃の構想をかためた。一月七日に山本五十六は海軍大臣及川に、文書の形で初めて公式にハワイ攻撃の構想をしめした。（p.273）        海軍の軍令部がハワイ作戦を正式にみとめたのは、十月十九日であった。十一月十八日、海軍は出撃し、エトロフ島へひそかにつく。

　つまり結論として十二月八日に日本海軍はハワイ攻撃をするのだが、山本五十六はその一一ヶ月前に文書で計画案を出し、それより前に喋っている。アメリカとの交渉は攻撃の日まで続けられていたのだが、戦争はまったく無関係に勧められていた。ただし１１月八日にハワイにアメリカの艦隊の主力がいるかどうかわからなかった。

  山本五十六は、軍人は政治に口を出すなという考えであった、

 

　山本五十六は長官を辞さなかった、つまり、いかに戦うかを考えるることになった。

米内は、もし対米戦争に反対したら殺されただろうと。

 

　　　　２

　高木惣吉『山本五十六と米内光政』光人社　昭宇和５７年、  を読んだ。

　著者は、昭和２年　海大卒である。この人は軍人にもかかわらず、レアルな見方をする人である。大戦について『日記』がある。

 

  またここからいくつかのエピソードを見る。

　昭和９年ころ、親友堀悌吉が現役を退いた。彼は対日戦争反対であった。、

　友人との会食で、山本五十六は言う。「私は、日本がアメリカおよびイギリスと親善をつづけて行くことが、日本のためであるばかりでなく、世界平和のためであると確信している。」と論じた。ｐ。６４

　堀悌吉あて昭和１０年１１月手紙の、３で、「個人としての意見と性格に正反対の決意を固め、其の方角に一途邁進の外なき現在の立場は誠に変なもの也、之も命というものか。」と書く。

　山本五十六は、真珠湾への「開戦の通告は攻撃の前に届くようにキット手配してるだろうナ」と幾度も参謀に年を押していた。

 

　　　３

生出（おいで）　寿（ひさし）「凡将　山本五十六」徳間書店　１９９３版。

　著者は（１９２６　－）、海軍兵学校に学ぶ。

 

  本書でのエピソードを記す。

　山本五十六は作戦にかけてはアマチュアだった。

　近衛文麿には信念がなく、目的のためには手段を選ばない陸軍にとっては、くみしやすい人物であった（２３ページ）。

　山本五十六は、対米戦争はやめろ、しかしやるなら俺のいうとおりにやれ、といっているようなもので、真珠湾攻撃計画に熱中する。

　真珠湾攻撃の賛成者は少なかった。山本五十六は、空母六隻でゆくと。軍令部は三隻で願うと。山本五十六は辞職で脅かした。永野は山本五十六案でやらせようと。

　真珠湾攻撃をよくなかったとするのは、大西瀧治郎、中澤佑たすく「真珠湾攻撃反対論」松田千秋「真珠湾攻撃は日本敗戦の最大原因となった。」である。

　山本五十六がミッドウエー作戦をしたいと主張、これが理不尽にも通った。

　アメリカは日本外務省の暗合解読していた。海軍のも解読していた。陸軍のはまだだった。日本海軍は情報収集と暗合解読は全くだめだった。山本五十六は暗合を軽視していた。

　レーダーも遅れていた。日本海軍はミッドウエーで初めて初歩的なレーダーをつけた。アメリカ主力艦隊が真珠湾を出たという方法は、南雲部隊に入ってこなかった。後方の司令部艦隊、つまり山本五十六は、はその情報をつかんでいた。これを南雲部隊に知らせなかった。司令部部隊（山本五十六ら）の出航は無駄であった。

　昭和１８年、山本五十六撃墜される。

 

  山本五十六終括論の展望

 

  生出（おいで）　寿（ひさし）の書でいうように、山本五十六が、日本では神様扱いなのだが、凡将だというのは、ある意味であたっている。

　彼の命令した真珠湾攻撃で、太平洋戦争が始まってしまった。これで日本は敗戦までつきすすんだ。日本の攻撃はアメリカの望むところだった。日本はアメリカの罠におちた。アメリカはドイツと戦いたかった、つまり戦争で不況から脱出したかった。

　その直後のミッドウエの敗戦も山本五十六の責任が大きい。

　対英米戦争に反対だったというが、反対の行動は全くしていない。それどころか、戦争を始めたのである。真珠湾攻撃では、アメリカはほとんど痛くもかゆくもなかった。

  アメリカとの戦争をやめたいのであれば、友人の堀のように、軍役を退くほかはない。山本五十六にはその気は全くない。だから賛成論者と全くかわらないのだった。

  ここからは小説で扱うべき推理であるが、山本五十六は、おそらくこの戦争が負けるのは、自分のせいだと思ったのではないか。そこで自殺を考えたのだ。ブーゲンビル島付近ではアメリカ軍がしっかり偵察しており、山本五十六は知っていたからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

未知の作家と出会う喜び

後藤守彦

　　　　

　久しぶりに北大図書館で歴史学関係の学術誌を読んだ。その一つの、一九三二年に創立された、長い歴史を持つ歴史学研究会の月刊誌『歴史学研究』（二〇二三年九月号）の特集「歴史を書く」で、築山桂という作家を初めて知った、築山は大阪大学文学部文学研究科の博士課程で学んでおり、本名山口佳代子でいくつかの論文を発表している。その特集にある「歴史について物語る楽しみ」という論文で、築山は「研究論文では書けなかったことが、小説なら、書ける」と思ったのが、作家になった動機だと明言し、「書きたい物語に、史実を混ぜる。混ぜて、境界線を曖昧にしていく。そうなればなるほど、「本当になかったはいえない物語に」に近づく」とも述べている。

早速、「歴史について物語る楽しみ」で取り上げられていた三作を読んだ。先ず、『緒方洪庵浪華の事件帳』シリーズの二作、『禁書売り』（鳥影社、二〇〇一年）、『北前船始末帳』（鳥影社、二〇〇二年）から。主役は、大坂のある蘭学塾で学ぶ緒方章で、殺人事件の渦中で出会った、男装の美剣士東儀左近とともに事件を解決する。第一話の『禁書売り』は、緒方が蘭学の師匠に頼まれ、禁書とされている蘭書を手に入れようと苦労する過程で殺人事件に巻き込まれるところから始まる。禁書をめぐる奉行所と本屋仲間の駆け引き、本屋仲間内部の対立などを知り、最終的には禁書を入手した殺人事件の犯人も捕まえる。築山が大学院時代に研究したのは江戸時代の大坂の出版業界についてであり、それが作品には十分に生かされている。『北前船始末帳』は、「緒方章は大坂を発ち、江戸へ向かった。洪庵と名を変えた章が、大坂瓦町に適塾を開くのは、八年後、天保九年のことである」と結ばれる。

ところで、適塾は江戸時代で最も有名な私塾である。一八三八（天保九）年に開かれ、約一〇〇〇名が学んだ。そこで学んだ塾生の一人である福沢諭吉の『福翁自伝』が、自学自習スタイルを基本とする猛勉強ぶりなど、塾生たちの生き生きと姿を描写している。福沢の他に、幕末維新期に活躍した大村益次郎・橋本左内・高松凌雲などを輩出している。

『近松よろず始末処』（ポプラ社、二〇一八年）には近松門左衛門が登場する。初めのところで、近松のプロフィールが史実として叙述されている。大坂の「竹本座と縁の深い」「浄瑠璃作者」「『出世景清』『世継曽我』といった時代物浄瑠璃の大当たりで名を広めた人物」。さらに近松自身にも語らせている、「生まれは武家だが、親が浪人し、十二で故郷の越前を離れ、京で公家奉公を始めた」と。

よろず始末処とは今でいうと探偵事務所となるが、近松が営んでいる。スタッフは近松に助けられた、賭場の元用心棒虎彦と正体不明の美剣士少将、そうそう忘れてならないのが忠犬鬼王丸。失せ人捜し、生類憐みの令施行下のお犬さま騒動、井原西鶴の幽霊退治と事件が続く。最終章の『曽根崎異聞』は、経営不振の竹本座を救った世話物浄瑠璃の傑作『曽根崎心中』の誕生秘話といっていい。

 

　　うつくしい人形が演じるお初と、その恋人の徳兵衛は、互いに想い合う恋人どうし。しかし、九平次という悪辣な男の悪巧みによって追い詰められた末に、二世を契って心中する。

　――この世のなごり、夜もなごり、死にに行く身をたとふれば･･････。

　悲しい節で語られる、この世で結ばれることのなかったお初と徳兵衛の恋路に、町の者はみな同情し、我がことのように涙した。

 

前掲『歴史学研究』には、私と大学が同窓で西洋史を専攻していた作家佐藤賢一も登場している。佐藤は主に中近世のヨーロッパを舞台にした歴史小説を書いており、『王妃の離婚』（集英社、一九九九年）で直木賞を受賞した。佐藤は「嘘の多い小説、フィクション色が濃い作品ほど、史実というのは、もう本当に大切なんだということがある」と力説している。

山路文彦名で書いた拙稿『星夜』（『民主文学』二〇一四年一二月号）も植民地朝鮮を背景とした歴史小説と思っているが、築山に刺激されて、同じ系統の『赤い角帽』（『奔流』一九号）も書き直しできないものか、と思案中である。

 

　

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

福山瑛子さんを偲んで

泉　　脩

 

福山さんが亡くなったと知って、とても痛ましかった。私より年上なので、年齢では不足はないのだが。

十五年前（二〇〇九）、私の三冊目の本「人間を探求する」を出し、木村さんが文学仲間に配ってくれた時、福山さんから電話をもらった。「民主文学」を購読しないか―という誘いだった。私はかねてから気にしていたので、すぐ承諾した。それから間もなくして、札幌民主文学会に加入し、民主主義文学に親しむようになった。私の思想的発展からみて、当然の結果である。

福山さんとは毎月の例会で話し合い、彼女の文章も読むようになった。著書もすべてもらって読んだ。福山さんの作品の特長は、まず文章が上手だった。細やかな流れるような文章だった。次にどの創作も自分をモデルにしていて、波乱に富んだ生涯の一部を描いていた。そして作家としての立場の正しさである。

東京での学生時代に、科学的社会主義を受け入れ、卒業後に日本共産党の地区委員と結婚した。就職した会社で組合を結成し、委員長を引き受けて闘った。やがて「赤旗」の記者になり多くの記事を書き、海外にも赴いた。日本民主主義文学会に加入し、記者を辞めて著作に専念するようになった。

子供には恵まれず、離婚して札幌に移り住んだ。親元が旭川であり、何人かのきょうだいが北海道に住んでいた。彼女と話し合う中で、彼女の妹が私の従兄と結婚していることを知って、私はびっくりした。世の中は狭いのである。

福山さんの本は多彩な内容で、イタリア・スペイン・キューバの滞在記がおもしろく、国内でも本州と北海道各地を舞台にした読み応えのある内容だった。どの本でも、著者自身が活躍し、時には失敗や挫折をしている。常に自分自身を見つめ、反省をくり返し、そして権力の横暴とは闘った。宮本百合子の再来のようだった。

多くの点で私とよく似ていて、私にはよく理解できる渾身の生き方だった。札幌民主文学会での約十年間、私たちは理解し合い、文学仲間として支え合ってきた。

数年前、自宅で倒れてから入院を続けてきた。私たちは私生活には立ち入らず、お互いの文学活動を尊重し、実りある交友を続けてきたのである。

心から冥福を祈りたい。さようなら。

 

 

エッセー日記（二〇二四年三月）

　　　　春の兆(きざ)し

泉　　脩

 

　三月が終った。昨年より雪が多く、寒暖の差が大きかった。道路は凍ったり解けたりで、歩きづらかった。しかし病院、郵便局、スーパーなどに行くのに、外出しないわけにはいかず、視力が低く足腰の弱くなった私は、杖を突きながら必死に歩いた。

　この一ヶ月は本作りの最終校正をし、本を送るための宛名書き、そして百人近い読者へ、肉筆の手紙を書くなど大忙しだった。

　三月二十七日、遂に私の最後の本が出来上がってきた。目標の十五冊目である。八十代になってから一年に一冊のペースで十冊の本を作り、自分でもびっくりである。

　命が尽きる前に、頭がボケる前に、目がわずかに見えるうちに、一年一年必死に取り組んできたのだ。すべてが遺言書のようだった。

　前作に続いて、今回も共著である。信頼できる友人の助けを借りて、やっと本を作った。今回協力してもらった井上美香（よしか）さんは、四年前にも本作りに力を貸してくれたライターで、多くの著書を持つ立派な書き手である。創作をする女性には、数多く会ってきたが、歴史を書く女性には初めて出会った。特に北海道の歴史にくわしく、日本史に弱い私には教えられることが多かった。

　今回は私たち二人の出会いについての序文と、彼女の文筆活動の由来を書いた序論のほかは、各種新聞に掲載されたエッセーと、評論の旧稿を使わせてもらった。どれも秀れた文章で、私の本を充実した内容にしてもらった。

私の文章は評論が中心で、全力を尽くして書き上げた。そして昨年一年間のエッセー日記である。ウクライナの戦争に加え、パレスチナでも戦いが始まり、胸がえぐられるつらい思いを書き綴った。長い歴史を持つ憎しみの連鎖である。国内では自民党の根の深い裏金作りが告発され、今年に及んで決着がつけられようとしている。

こんな中で、今年になって嬉しかったのは大谷選手の結婚である。ドジャースに移り、ワールドシリーズ優勝を目指すチームの強力な一員になり、そして個人的にも素晴らしい配偶者を得たのである。ところが信頼していた通訳・秘書役の水原一平が、七億円近い使い込みをしたのだ。ギャンブル依存症だという。日本中、世界中がショックを受けた。何より大谷選手自身のショックは例えようもないだろう。

私は、「人とは妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく。」という、作家池波正太郎の言葉を思い出した。

私自身も数々の失敗をしながら、八十九歳まで生きてきた。家族、友人、知人の助けが無ければ、とうに破滅していただろう。人生にはたくさんの落とし穴があるのだ。

大谷選手は大リーグが開幕してから五試合、心なしか元気がなかった。まだホームランがなく、ヒットは打ってもチャンスに凡退している。早く立て直って、昨年のような大活躍をしてほしい。これは日本中の人々の願いだ。

ファイターズは、三月末の開幕三連戦に勝ち越し、明るいスタートを切った。若手の活躍が目立ち、これは良いことだ。四月は北広島の二期目の新球場で五連戦。これも勝ち越して、今年一年の弾みをつけてほしい。

今月、私は暖かい春の兆しを感じながら、春ニシンを三回食べた。そして大好物の菜の花のお浸しも食べた。春はもうすぐやってくる。

五月九日に私は九〇歳になる。四十代半ばで亡くなった父の二倍も、私は生きてこれたのだ。母は九十七歳まで生き、最後までボケず、しっかりしていた。考えてみると母は秀れた女性だった。ここまで来たのだから、これからも好きな本を読んで楽しみ、マイペースで執筆も続けながら、母にあやかって長寿をまっとうしたいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

百合子が登場する『ユーカラおとめ』

　　　　　　　　　　　　　　　　松木　新

 

先日、宮本阿伎さんから、「宮本百合子は知里幸惠と会ったことがあるんですか」と聞かれ、「そんな話は聞いたことがない」と応えたところ、新刊の「『ユーカラおとめ』という小説で描かれている」、とのことでした。

早速、泉ゆたか『ユーカラおとめ』（講談社　２０２４年１月）を読んで見ました。読後感としては、後味の悪いものでした。

幸惠に関するネタ元は、２００２年に出版された藤本英夫『知里幸惠　十七歳のウエペケレ』（草風館）のようです。

百合子については、幸惠が上京して金田一家に滞在した時に書き始めた日記の最初のページにある次の文章でした。

〈朝食の時、中條百合子さんの文章から、芸術と実生活、金持の人の文章に謙遜味がない事などを先生がお話しなすった。芸術と云うものは絶対高尚な物で、親の為、夫の為、子の為に身を捧げ捧げるのは極低い生活だというのが百合子さんの見解だという。「しかし芸術が高尚な尊い物であるのとおなじく、家庭の実生活も絶対に尊い物である事にまだ気がつかないのはまだ百合子さんが若いのだ、かわいそうに･･････」と先生は、若い彼の女をいじらしいものの様にしみ〲と仰る。私ハよそ事ではないと思った。胸がギクリとした。私には芸術って何だかよくわからないが･･････。それから百合子さんは、あまりに順境に育ったので、人生は戦いである事を知らずに物見遊山と心得ている･･････というお話もあったが、わかった様でわからない気がした〉（大正十一年六月一日）

幸惠の文章に百合子が登場するのは、この日記のみです。

百合子が幸惠の存在を知ったのは（これは推測の域を出ませんが）、１９１８年（大正７年）、旭川で金成マツ、幸惠などと会った金田一京助が、その報告をするために札幌のジョン・バチェラー宅を訪れた際に、ちょうど居合わせた百合子がその報告を聞いたことくらいです。金田一は、〈ユーカラ伝承者の純情〉などを、初対面の百合子に語りました。〈ユーカラ伝承者の純情〉を「幸惠の純情」と推察すると、この時に初めて百合子が幸惠の存在を知ったことになりますが、百合子が書いた物には幸惠は一度も登場していませんから、百合子にとって幸惠はその程度の存在だったようです。

この小説は、東京に滞在中の幸惠のもとに百合子が訪れ、二人の女性の出会い、葛藤、和解を主題にしています。幸惠十九歳、百合子二十三歳の５月から９月へかけての物語です。作者による大胆な仮想現実といってよいでしょう。

この小説に違和感を覚えた理由の第一は、冒頭、出版された『アイヌ神謡集』を手にした伯母の金成マツのセリフです。

〈――あの本（『アイヌ神集』―引用者）を書いたのは幸恵じゃない。

ふいに、そんな言葉が胸に渦巻く。

――私の幸恵は、あんな甘ったるいお伽噺を書いて喜んでいる〝おとめ〟なんかじゃない。

ユーカラは人が死ぬ。人と人とが憎しみ合い、人が人を殺し、嘆き、狂い、呪う〉

金成マツは、幸惠亡き後、大学ノート約二万ページにユーカラなどを記録していますから、マツが『神謡集』を〈あんな甘ったるいお伽噺〉として批判したという作者の見方は、とうてい納得できるものではありません。

また、マツが、〈ユーカラは人が死ぬ。人と人とが憎しみ合い、人が人を殺し、嘆き、狂い、呪う〉ものだとしていることには、ユーカラについての作者の理解が混乱していることの現れだと思いました。

アイヌの口承文芸には韻文で語られる物語と、散文で語られる物語があります。韻文の物語は「神のユーカラ（カムイユーカラ）」（神謡）と「人間のユーカラ」（英雄叙事詩）に分けられます。

マツが言っている、〈人が死ぬ。人と人とが憎しみ合い、人が人を殺し、嘆き、狂い、呪う〉ユーカラは、「人間のユーカラ」（英雄叙事詩）のことです。幸惠が書いたのは「神のユーカラ（カムイユーカラ）」（神謡）ですから、幸惠にたいするマツの批判は、明らかに御門違いなのです。

なお、これまで「ユーカラ」と書いてきましたが、１９９０年代後半からは、「ユカル」が使われています。「北海道新聞」では、２０１６年から紙面のアイヌ語表記に関して、「アイヌモシリ」、「ピリカ」などのように、「小書きのカナ」を使用しています。「朝日新聞」は、従来通り「ユーカラ」を使用しています。

「ユカル」の表記は、幸惠が提唱したものです。

バチェラーや金田一は、「ユーカラ」（yukara）と表記していましたが、幸惠は、アイヌは最後の「a」をほとんど発音しないので、正しくは「ユカル」（yukar）と表記しなければならないと、金田一に言っています。実際、『神謡集』のローマ字は、「yukar」です。

バチェラーや金田一は、第一音節の「yu」にアクセントがあるために、「ra」と聞こえてしまったのだとの幸惠の指摘に、金田一は驚きと興奮でそれを認めました。ただじ、「小書きのカナ」表記が一般的でないために、長い間、「ユーカラ」と表記されてきました。

本書のタイトルも、幸惠の意志を尊重するならば、『ユカルおとめ』とすべきですが、本書のネタ元が２２年前のものであるために、著者は気付かなかったのだろうと思います。

違和感を覚えた理由の第二は、百合子にたいする幸惠の人物評価です。

『貧しき人々の群』を読んだ幸惠は（読んだというのは、作者の推測です）、次のような感想を抱きます。

　〈百合子という女は、なんて嫌らしいのだろう。

百合子が描き出した〝貧しき人々〟は、幸惠が登別で、そして旭川のアイヌコタン（集落）で、いくらでも目にしていた人々だ。（略）ただ貧しくみすぼらしい暮らしをしているというだけで、自分と違う言葉を話すというだけで、愚鈍で凶暴な獣のような存在だと描かれるのは我慢がならなかった。（略）「･･････面倒くさい女。嫌な女」〉

〈自分の人生と〝貧しき者〟たちの人生は一生交わることはないと決めつけて、その上で、貧者に哀れみを注ぎ、施しを行うべきだと啓蒙する新しい時代の女性〉

幸惠の日記では、金田一の百合子批判を聞いた幸惠が、〈わかった様でわからない気がした〉と書いていますから、幸惠の『貧しき人々の群』についてのこのような感想は、金田一の意見だといえます。

金田一の意見を、幸惠の意見にすり替えるこのようは手法は、幸惠を貶める行為だといえるでしょう。

作者は、さずがに気が引けたのか、百合子が弟や妹を失ったことを知った幸惠が（中條家では９人の子どものうち、６人が生まれてすぐか幼児の時に亡くなっています）、〈弟妹の悲劇の話を聞いたせいで、今は前よりも率直に百合子の優しさを受け入れることができる気がした。この人は失う苦しみを知っている。ほんとうに私の身体の具合を心配してくれているのだ〉と、百合子にたいする見方を幸惠が変えたとしています。そして、幸惠は百合子との関係を次のように考えます。

〈ただ相手の心に寄り添い、友を傷つけようとする運命に全身全霊で立ち向かおうとする、女友達の深い愛情そのものだ〉

『神謡集』の「序」に認められるように、幸惠は聡明な女性です。その彼女が、『貧しき人々の群』をこのように理解したとするのは、幸惠を侮辱する行為以外の何物でもありません。作者は、『貧しき人々の群』が発表された当時、一部にみられた否定的な評価に便乗して、このような記述をしたのだと思いますが、『貧しき人々の群』にたいする作者の理解力が試されているのだと思いました。

参考までに、この時期の百合子を一番良く知っている、十二歳上の野上彌生子の評価を紹介します。

中條家と野上家は、歩いて１０分か１５分の所にあり、百合子は彌生子あてに頻繁に手紙を書き、また訪問しています。百合子自身は、彌生子との長い友情を、〈そこには、お互いに探究心を持っていたということ、お互いのヒューマニズムですよ〉と、語っています（「女性の眼を世界へ」―『婦人公論』５１年２月号）。

〈あの人の特色は、欠点のところにあると思ひますね。大概、人間はそうなんですが、百合子さんのがむしゃらな、子供っぽいやうなところでむきになる――あれはあの人の最もいゝ所ではないんですか。「一辺倒」といふ言葉は百合子さんの為にとつてあるやうな気がするけれども、あの人から「一辺倒」をとつてしまつたら、甚だ平凡な知識婦人になつてしまふんじゃないでせぅか〉（平林たい子との対談「人間・宮本百合子」―『文学界』５１年４月号）

〈百合子さんとの交渉は、（略）大正十二年（略）本郷の林町と渡辺町で歩いてこられる場所だったので、よく往来したもので、「あなた、そう思う」「私は思わないわ」という調子に、ほどよいことをいわない嘘のない人として、安心して物がいえた。人に妥協しない強さの反面実に優しい女らしい神経の持ち主でもあって、いつも身だしなみが良かったし、顔をレモンでこすっている位のおしゃれでもあったと憶えている〉（「宮本百合子さん」―『週刊朝日』５１年２月号）

なお、芥川龍之介が、百合子を〈とても買っていた〉、〈敬意を払っていた〉ことを、彌生子は語っています（「百合子さんのこと」―『宮本百合子全集』第２巻「月報」６）

 

札幌民主文学通信

二〇二四年〇三月〇一日　３０４号

 

三月例会誌上合評

 

合評作品（『奔流』３０号）

　

 

北野あかり「いっぽ前へ！」

　

意見１　　　　　　　　　　　泉　　　脩

　

今年（二〇二三）八月末に、札幌で行われた「日本のうたごえ祭典ｉｎ北海道」の出場体験記である。

一九五三年から絶えることなく全国各地で開かれ、歌声の力で平和を―を掲げてきた。会場になった真駒内芸術の森は、正面のステージに向かって、なだらかな傾斜の芝生が拡がっている、全国でもめずらしい野外コンサート会場である。今年も全国から一万二千人も参加したという。すごいことだ。

この祭典のために二冊の合唱曲集が作られ、北野さんはその二十曲以上をすべて暗譜して歌い抜いたという。残暑のきびしい三日間、八十三歳の北野さんが今生の思いで歌いあげ、またとない高揚感につつまれたことが、見事に表現されている。

　北野さんはナースの仕事を退職後、ボランティアで北大病院の組合事務所の灯を守り抜いてきた。かたわら大好きな合唱活動に取り組み、新たに札幌民主文学会にも加入した。主としてエッセーを書いていて、とても上達し、今回も素直で率直な文章がとても好ましい。

かつて合宿研究会で、亡くなった夫から習ったという民謡を拝聴したことがある。「南部牛追いうた」という岩手の民謡で、びっくりするほど迫力があり、上手だった。

　北野さんは、仕事と活動、芸能に文筆活動に生涯打ち込み、今や八十代の晩年を迎えているのである。

　北野さんとは文学会で十年余りいっしょに活動してきたが、北野さんの成長に感心してきた。私もエッセーが大好きなので、北野さんのエッセーをいつも楽しく読んできた。特にニセコスキー場での夫との出会いを書いた最初のエッセーは、ロマンチックで、とても気に入っている。今後も書き続け、いずれ一冊の本にまとめてほしいと思う。

 

意見２　　　　　　　　　　　松木　新　　　　　　　　　　　　

 

舟木一夫の「歌こそ、わが人生の友」を地で行ったような歌声人生に、感動しました。

印象深かったのは、次の三箇所でした。

➀１２５ページ下段

〈やっぱり暗譜で歌おう！　と決意を新たにして、名刺大に折りたたんだ歌詞カードを作り、歩きながらでも、バスの中でも常に確認できるようにしました〉

②１２６ページ上段

〈光子さんの、９６才とは思えぬ、凛と響く声と、共に舞台に立った、全国のうたごえ合唱団員２５０名の力強い大合唱、私の背中にズシン！　と響き、体中が熱くなりました〉

③１２７ページ下段

〈「♪　ピースｉｎハーモニー～」と

歌っていると、不思議に元気が湧いてきます。このメッセージ性のある曲が、うたごえの魅力で体力の続く限り歌い続けようと思っています〉

　　

　意見３　　　　　　　　　　　　泉　恵子

 

昨年夏に開催された「日本のうたごえ祭典in北海道」のステージは、二日目の午後の一ステージ̪ を鑑賞しただけの私も、とても感動しました。

その参加できるステージのすべてに立ち、歌える曲の全てを、暗譜で歌おうと決意した筆者の「奮戦記」ともいえるエッセイです。

「こんな機会は二度とない」「冥途の土産に」と、意気込んで練習に励んだ努力の日々(二九曲全てを暗譜するのは驚異的!)と、その発表ステージの様子が描かれています。

「いのち輝く大地から平和な未来(あした)を」のテーマに沿った、北海道を代表する歌の題名を聞くだけでも、その大自然と、人々の生き様や闘いが彷彿としてきます。

「大地のうた」の歌詞の一部がソロの男性の声や、合唱団のこだまのような歌声が具体的に書かれ、聞こえてくるようで、他の「矢臼別・わが故郷～北からのメッセージ」などの歌詞も、一部でも知りたかったなーと思いました。

筆者が最も感動したという「芦別の雪の中を」については、客席からの歌の主人公井尻光子さんの凛とした挨拶と、その歌詞の一部が示され、読者にもその雰囲気が伝わって感慨深い描写です。　

私もそれを聞いていましたので、「思わず涙がこみ上げてきました」という感動を共有しました。

九六歳という井尻さんの闘いの中で磨かれた凛然とした姿勢に、「冥途の土産」などと言っていた自身が「お尻をバン!と叩かれたよう」といい、「どんな苦しいことがあっても前を向いて歩き続けよう」「今できることを一生懸命やろう!」と決意し、最後に「ピースinハーモニー～」と歌いながら、体力のある限り歌い続けよう」と前を向いてゆく姿にすがすがしいものを感じました。

歌の力の素晴らしさを感じさせてくれるエッセイですが、もう少し具体的な歌詞の描写があったら、より感動的だったのではと思いました。

 

　意見４　　　　　　　　　　豊村　一矢

　

私は生まれたときから、歌うこと、歌を聴くことのない家庭で育ったのですが、ドキュメンタリー「いっぽ前へ！」を読んで、感動を覚えました。

　「うたごえは平和の力」という方向性を自覚し、自らの体力・記憶力の壁を乗り越え、一歩前へ進もうとする姿が印象的な作品でした。

 

　意見５　　　　　　　　　　石川　節子

 

うたごえは、私に取って「青春のときめき」です。しかし、今では全く縁がなくなり、こうして北野さんのドキュメントで、であえることは、最高の喜びです。

　まるで、歌っている人々と、行動を共にしているような、錯覚に陥り、久し振りに心が湧き立ちました。

ありがとう、北野さん。

 

　　意見６　　　　　　　　　　　室崎和佳子

 

北野さんの前向きな生き方が満載の文章で、とっても気持ちが良かったです。いながらにして私までうたごえ祭典に参加させてもらっている気分でした。

　”冥土の土産”という言葉遣いから、北野さんのうたごえ祭典にかける意気込みと決心がひたひたと伝わって来ました。

　ステージに立つからには暗譜で歌おう、という決意のもと、名刺大に折りたたんだ歌詞カードを作り、歩きながらでもバスの中でも常に確認して、ついに目標達成したことに感動しました。覚える量の莫大さと北野さんの並々ならぬ努力にたいしてです。

　井尻光子さんと会えて良かったですね。

 

意見７　　　　　　　　　　　村松祝子

 

二〇二三年八月二十五、二十六、二十七日の三日間札幌市で行われた「日本うたごえ祭典」に参加した作者のレポートである。

最初に野外で謳われた「大地のうた」の感動がいかに素晴らしかったか、ビシビシ伝わってくる文章だと思った。

どの合唱曲も素晴らしく人間の苦しみや喜びを歌い上げている様子がよく描かれていると思う。

北の大地で育った作者らしく「芦別の雪の中を」を歌うときは夫を励ます妻、井尻光子さんになって歌う作者の気持ちは瞼をしょぼつかせる。

これからも合唱で培ってきた元気を背に人生をあゆんでいこうと結んでいる。

「北海道うたごえ祭典」がいかに素晴らしかったか、作者の感動がよく伝わってきた。

 

意見８　　　　　　　　　　柏原　竜

　

うたごえ祭典が昨年北海道で開催されたことは知っていたが、具体的な中身は知らなかった。八十三才の北野さんが冥土の土産として参加した祭典だった。祭典に向けての過酷な練習の日々。全二十二曲暗譜するエネルギー、毎夜十九時から二十一時までの練習、体操、発声練習 、などなど。歌に関わる人たちの強いエネルギーを感じた。その中で、北野さんは冥土の土産なんて、吹っ飛ばしていった。

北野さんの頑張りと周りの人々の助けもあって、またうたごえ自体の魅力もあって、体力の続く限り歌い続けようと変化していった。

うれしい。年を取っても頑張っている人を見ると自分の励みになる。

 

 

　合評を受けて

　　　　　　　　　　　北野　　あかり

 

今回の「いっぽ前へ！」は、２０２３年８月に札幌で開催された「２０２３日本のうたごえ祭典in北海道」に、合唱で参加した体験を通して、生きる源になったことと、うたごえの魅力を伝えたいと思い、ドキュメントとして提出しました。

合評会では「エッセイとドキュメントの違いについて意見をお願いしたい」と問題提起しました。

合評が始まると、メンバーの方々が、青春時代に体験したことなど若々しく語られ、「情熱が伝わ

ってきた」「胸がときめいた」「実況中継しているような感じ」「うたごえ祭典が１万人以上も集めて開かれていること、うたごえ運動が脈々と繋いでいることを知ることができた」などの言葉をいただき、嬉しくて舞い上がってしまいました。

エッセイとドキュメントについては、どちらもに事実にもとづいて書くが、どちらかというと、自分の思いに重きをおいて書くのがエッセイ、事実に重きを置くのがドキュメントと理解することができました。

今回レポートを書くために、自分の作品を読み直して重大なことに気が付きました。それはタイ

トルの「いっぽ前へ！」でした。それは自ら新たなことに向かおうという意志を込めてつけたのでした。

ところが祭典が終わったあと、健康を自負していた自分にまさかの「大腸癌」の診断。入院、手

術、そして今は抗癌剤治療を受ける身になってしまいました。更に私の手術と前後して３カ月の間

に、夫の子供が肺炎で急逝。それに加えて一才違いの兄がこれも肺炎で急逝。喪主の立場や親族の

一員の立場で対応に追われる日々となってしまいました。

例会には出来るだけ休まないことにしたのですが、足が重く会場にやっとたどり着く状態でした。

ところが終わった後には、身体がホカホカとなり、力が漲っているのです。水を得た魚のようで

した。

 

 

 

 

 

 

 

 

　泉　脩「私の文学作法」

　

　意見１　　　　　　　　　　　松木　新

 

「あらすじ」について議論になりました。〈私の評論はまず、内容（あらすじ）から書いていく〉という泉さんの方法の重要性が解ったのは、この二、三年のことです。それまで、あらすじ紹介は評論ではない、と考えてきましたから、〝コペルニクス的転回〟です。

あらすじ紹介は、「言うは易く行うは難し」です。泉さんの日頃の努力に、頭が上がりません。

あらすじ紹介を尊重しながらも、文芸評論を書くときは、次の戸坂潤の言葉を、いつも念頭に置いています。

〈文芸評論は一種の時代(・・)の(・)評論(・・)とも呼ばれて然るべきものなのである。処が時代を最もよく描いて呉れ、時代のコピーを最もよく御膳立てして呉れるものが、他でもない文芸作品だ。そこで文芸評論というものは第一に文芸作品を取り上げる。文芸作品が最も整理された媒介物だからである。文芸作品の背景には、奥には、時代があり社会がある。この作品をつき抜けて時代と社会とに迫るのが、文芸評論の本格的な使命だ。つまり所謂作品も評論も、同じく併行してこの時代と社会を取り上げる。批評も亦作品と並ぶ作品の一ジャンルと考え得る所以だ〉（「思想としての文学」）

 

 

　

 

 

 

意見２　　　　　　　　　　石川　節子

 

とても、教えられることが、詰めこまれており、本当に有り難い、作品でありました。

ちょうど、合評をしているときに、泉恵子さん

が、泉脩さんの若かりし頃の新聞記事の切り抜きを持参してくださり、驚いたことに、私も、同じものを切り抜いていて鮮明な記憶が蘇って参りました。

未だ私が釧路に居た頃のことです。当時、私はあの記事に、ひと言，異論があったものですから、特に記憶が残っていたのです。

 

　意見３　　　　　　　　　　北野　あかり　

 

１、評論　２、エッセイ　３、ドキュメント　４、おわりに　に分けて書かれており、解かりやすくとても参考になり、合評する際や作品を書く時の指標にしたいと思いました。

〇評論を書く場合について

１　理解：作者が何を表現しようとしているのか正確につかむこと。

２　共感できることを手掛かりにして感想や評価する。

３　リスペクト：作者が自分をかけて作った作品であると思うので、尊敬・尊重すべき。

４ 　批判は見過ごすことができない場合は必要。

〇エッセイについては、自由に気ままに書けばよい。 常々考えていることを素直に書けばよい。旅行記、昔の思い出、音楽、野球、エッセイ日記、人との出会いなど…（人との出会いは間違えたら

大変なので、本人に確認してもらう）。

〇ドキュメントについては、実践記録で、自分がどう行動し、どんな結果になったのかを記録した

もの。

〇おわりについては、「マグロは泳いでいないと死んでしまう」、私は「読書と執筆をしなければ死んでしまう」、凄い言葉だと思いました。

　

　意見４　　　　　　　　　　　泉　恵子

 

高校生のころから文学に親しみ、文章に取り組んできた筆者の、自身の「文学作法」を見つめた集大成ともいえる作品である。

評論、エッセイ、ドキュメントの分野で大いに書いて、本にまとめてきた。それも十五冊目になるというからまさに、驚異的である。

どの分野でも誠実で真摯なお人柄が伺える内容で、共感を呼ぶとともに敬意を表します。

学生時代に取り組んだ「ロマン・ロラン研究会」では哲学も学び、現在の基礎ともいえる思想を身に着けたとのこと。

以来、職場における読書会、退職してからも「リラの会」そして「民主主義文学会」の中で、精力的に読み書いてきた。

視力が弱くなって活字が読めなくても、ボランティアさんに読んでもらい、拡大鏡を駆使して書いてゆく。そうした環境でも、蓄積され、鍛えられた力で次々に生み出す文章は、高い思想性と豊かな人間性が滲み出て味わい深い。その努力には頭が下がるとともに、後輩の私たちに勇気を与えてくれる。

評論を書く心構えの、「理解、共感、リスペクト」は筆者独特のもので、フランスの哲学者アランに導かれたもののようである。

この尊い心構えによる批評によって勇気づけられた人も多いだろう。時には作者の見えない点や、不足を指摘されることも書き手を鼓舞することもあるだろうと思うが。

ドキュメントの最高傑作はやはり『青春の飛翔』でしょう。荒れたクラスを見事に団結させていった実践記録は当時大変な反響を呼び、私も大いに感動した。

その時の新聞記事を偶然見つけて、拡大コピーして皆さんにお配りしたが、帰りのタクシーの中で「あれはあまり良い記事ではなかった」とポツンとおっしゃった。どうして?と思いながら、その理由を聞くことができなかったが、あまりにも真実に迫った内容が、当時の学校側の批判を呼んだらしいという噂があったことを思い出した。そんな批判とも闘ってきた筆者に、ちょっと嫌なことを思い出させてしまったかもしれない。

もしそうなら申し訳なかったと思う。

 

　意見５　　　　　　　　　　　豊村一矢

 

　高校生のころから現在に至るまで、様々な方法や動機に基づいて文学に関わってきて、その結果が「私の文学作法」と言葉に集約されている。

　文学で読む対象は実に多彩、文学で書くことも（小説・シナリオを除いて）これも多彩だ。

これらの背景に、学校教師として生徒たちのために、あるいは学校経営者の横暴な振る舞いに抵抗する闘いがある。

「文学作法」は文学に関わる際に文学作品への作者へ配慮、読み方への心構えなどが、理路整然とまとめられている。参考にしたい。

「あらすじ」のことについていえば、他者の作品の「あらすじ」を書けば、その「あらすじ」自体が、もはや評論であり、書いた人の作品であると私は考える。

 

 

 

 

　意見６　　　　　　　　　　室崎和佳子　　　　　　　　　　　

　

評論を書くときの三つの視点を改めて見て、泉さんの優しさの源泉がわかりました。いつもこの三つを大切にして書いてくださったことをありがたく思います。

　“隠れた恩人”という言葉で、かつて対立したり闘った相手のことを表現している文章がありましたが、妙に納得しました。なあるほど、そうか、と。自分を鍛えてくれた相手なのだ、と思うのと、あの馬鹿野郎め、と思うのとでは、月とすっぽんほどの違いがあると思うからです。

　泉さんが、マグロと私は同じだ、と認識するくだりが楽しかったです。十五冊もの本を作り、読書と執筆をしなければ死んでしまう、と感じる泉さんに大きな拍手をさせてください。　

　

　意見７　　　　　　　　　　　　　　　　村松祝子

 

まず感服するのは九十一才になってもなお文学と交わり評論とエッセイをこれからも書き続けるだろうと達観している姿である。

評論を書きエッセイを綴ることはもう泉氏の身体の一部となっているのに違いない。

『青春の飛翔』は泉氏のドキメント作品としての出発点であった思う。

生徒との葛藤の中で泉氏も生徒も共に成長する姿が生き生きと描かれ読む人に感動を与えてくれた。

今回の「私の文学作法」には紹介されていないが、泉氏は歴史を大学時代にに専攻していたと伺っている。そのせいか歴史についての評論も私は好印象を持って読んだ記憶がある。その他に経済についての短い文章も面白かった記憶がある。

その方面の評論でまたこれからお目にかかれた

嬉しいと思っています。

　意見８　　　　　　　　　　　　柏原　竜

　

泉さんは、「マグロは泳いでいないと死んでしまう」という話を聞いて、「私も同じだ！」と気が付いたそうだ。九十才になろうとする泉さんが人生を振り返って感じた事だろうが、凄い事だと思う。膨大な量の読書と執筆を続けてきた。それを続けさせてきたエネルギーの源は何なのだろうと思ったら、泉さんは次のように書いてあった。

　文学は「人間とは何だろう」、「自分はどう生きたらよいのだろう」という疑問から始まり、いわゆる「自分さがし」だ。私自身にその答えがみつかったのかどうか、はっきりは解らない。ただ人生を生き抜いていく力になり、「人生とは、いいものだ」という答えを，得たような気がする。

文学者とはこのような人を言うのだろう。全身全霊を打ち込む人を言うのだろう。自分は、評論もエッセイもドキュメンタリーも解るようでよく解らない。読書量が違う。読んでも深く考えない。難しいのは飛ばす。忘れる。気持ちを引きずられた時はもう少し深く考えてみる。四六時中、文学を考えている人が世の中にはいるのです。

 

 

合評を受けて

泉　　脩

　

「私の文学作法」は、近く発行する最後の本に載せるために書きました。七〇年に及ぶ文学活動のまとめです。皆さんから好意的な意見が多く、ホッとしました。

「評論」について、多くの意見を頂きました。「あらすじを書くのはいかがなものか」、「作品への批判も必要ではないか」という意見は、もっともでした。作品を読んでいない人のためには、あらすじは必要だが、書き過ぎると興ざめしてしまうことがあるため、むずかしいところです。

　私も時には批判をしますが、その前に作者の主張を充分に理解しなければなりません。批判が先走りすることは、避けたいと考えています。創作と評論は、お互いに支え合うものだと思うからです。共感という媒介が必要だと思います。

「創作をしたらどうか」という励ましがありましたが、とても心が動きます。実は三年前に骨折で入院した時、暇なので空想で創作をしました。それはかつて、どうしても出来ずに断念したことです。「もしも初恋が実っていたら」、「もしも父の跡を継いで医師になっていたら」、「もしも教師としての力が、もっとあれば」など、多くの仮説を立てて自分勝手な夢物語を作るのです。今でも時々、暇に任せ気ままに夢想し、自分勝手な創作をします。

　こんな創作で良ければ、すぐに書けます。しかしあまりにも自分勝手で、ひんしゅくを買うでしょう。やはり自分が永い間、努力してきた道を守るしかないでしょう。

 

 

　室崎和佳子「ラヴ・レター　Ⅱ」

 

　意見１　　　　　　　　　　　松木　　新

 

６０年代の初め、学生自治会から、ヘルシンキで開催された「世界青年学生平和友好祭」へ代表を派遣した経験もあって、前半部分をとても愉しく読むことができました。〈男嫌いの女闘士〉といわれた和美像がとても魅力的です。

〈「彼は皆と共に闘った。しかし、いかなる組織にも属さなかった」〉ことに、〈僕自身のもっとも僕らしい姿を見ます〉という〈孤独なゲリラにすぎない〉真志について、和美がどのように考え、対応していたのか、そのあたりをもう少し描いてほしかった。「組織と個人の問題」は、永遠の課題の一つだと思いますので。

　

 

意見２　　　　　　　　　　　泉　　恵子

 

この作品が「ラヴ・レター1」からの続きであり、そういう視点から論じなければならないことを知りつつ、大事な点を失念していた。

これは「小説」であって、このレターの筆者「谷山真志」は既に亡き人であるという設定であること完全に忘れて読んでいた。(例会での発言を訂正します)

「ラヴ・レターII」も「創作」のジャンルになっているが、私はドキュメンタリーの感覚で、つまり事実として読んでいた。それは、多分作者の夫(このレターの筆者と思われる)が現在闘病中であることを知らされていたからだと思う。そうした現実を背景に、活字として残しておきたいという作者の思いが、ひしひしと伝わってくる感動的なレター群である。

「1」は、大学生としての真志と和美の交歓で、学生運動を背景に、真志のロマンにあふれた真摯な情熱が伝わるラヴ・レターが展開されていた。

『II」は、主に和美が小学校教員として就職し、遠距離恋愛となった中での、真志の学内での闘いや、体育教師を目指して体育の理論と実践を統一しようとする情熱が熱く語られている。

柔らかい感性で、まっすぐ前を向いて、どこまでも理想を追い求めるロマンチストであり、また体育教師として生徒の力を引き出してゆく実践と統一してゆこうという頼もしい実践家でもある。

こうした青春の情熱的な精神はいつの時代にも輝く普遍的なものであろう。Ｍさんが「一九七〇年代『十二年の手紙』」と言ったのも頷ける。だか　ら、今の若者にも大いに読んでもらいたい美しい手紙と思う。

「小説」としてというと、フィクションがあるのか?と思ってしまうが、時々に入る和美の解説が如何にも本当らしい。これは事実としてそのまま発表した方がよいのではと思うのだが。

 

　意見３　　　　　　　　　　　北野あかり

 

学生時代に出合った若い二人、リーダー的な和美と、甘えん坊的な真志が、初恋から愛に変わり、愛を育み成長しあっていく過程が描かれており、青春物語と思って読みました。　

はじめ真志さんからのラヴ・レターが「愛する和美へ」が必ず出て来るので、そこにばかり気になり、内容まで深く読まないで往復書簡だったらいいのに…と思いました。しかし、これでは作者に申し訳ないと思って、ラヴ・レターの内容を要点を書き出してみました。

特に「一人の子のとり残すようなことはしない」という教育実践、政治問題、労働問題など、論理的に考えていることや、行動にも積極的に参加していく様子、和美に対して長距離恋愛についても、自分の意見を正面から主張するところなどが素晴らしいと思いました。体育論などはもっと具体的に紹介されていると、真司の目指していることが素人の私にも解かると思いました。

また、作品のかなりの部分を占めているラヴ・レターの内容がそのままのように思われ、これは小説ではないような気がしましたがどうでしょうか。

 

　意見４　　　　　　　　　　　豊村　一矢

　

二度読んだが、気合いの入った作品だと思う。だけど、どうもスッキリしない。なぜか。

一つ一つの文は理解できる。かつて聞いた言葉がたくさん登場するし懐かしく思った。

また、この作品の時代の学生運動は、豊村もやってきたことだからリアルに理解できる。

なのに、なぜスッキリしないのか？　

２０２４年の現在に、創作にあたり、半世紀以上も前のラヴレター交換を主要な題材にしたのか。どのような創作意図で書かれたのか。等々が読み切れなかった。

　例会で、直接、作品合評が出来ていれば、論議の中で、これらのことが理解できたかも知れない。

理解でなく、感覚では、「青春時代へのノスタルジャー」のようなものが伝わってきた。

 

　意見５　　　　　　　　　　村松祝子

 

冒頭に描かれれたプラハ在住の一外交官の日本への打電の文章の美しさに感心した。

プラハの街に流れるブルタバ川の流れのみが変わらないと打電する外交官の優しさと嘆きが伝わってきた。こいう外交官が今の日本の政治家の一員として活躍してくれていることを期待したい。

このプラハの街の政変の一ヶ月ほど前に「世界青年学生平和友好祭第九回大会」が行われ真山和美はそこに参加していた。

その後の世界の政変は彼女の青春の心に深い影響を与えたであろうと想像する。しかしそのことはあまり深く描かれていない。

恋人の谷山真志からのラブレターの綴りが小説の大部分を占めている。

真志から受け取ったラヴ・レターに対しての真山和美の心情も知りたいと思ったが、真山真志のラヴ・レターの文面からのみ真山和美の気持ちを想像した。

真志のラヴ・レターに対して和美からの返信があると、真志のイメージがもっと具体的に浮かんできたのではと思った。

最後の文章で次の人生の奔流へ乗り出していく二人の生き方を期待したいと思った。

真志の思いより和美（作者かな？）の芯の強さを感じさせらる小説だった。

 

 

本間たかこ「ジージョ！」

 

　意見１　　　　　　　　　　　泉　　脩

　

今回の同人誌の最後を飾るエッセー。最近加入した本間さんの作品を初めて読んだが、実に見事な胸を打つ文章である。

　本間さんが羊蹄山に近い田舎に住む娘の家を訪ね、かわいい子猫のジージョに対面する。最初から本間さんになつき、いっしょに遊び、寄り添って過ごす。なんとも活発で、家の外と中を駆け回り、夜は布団にもぐり込んでくる。最後はキツネとも友だちになったらしい。本間さんはすっかりジージョが気に入り、娘夫婦が旅行する時など喜んで留守番を引き受け、ジージョと過ごすのである。この子猫の描写が生き生きとしていて、読んでいてとても楽しくなる。

ところがジージョが、近くの国道で車に跳ねられて死んでしまう。駆け付けた本間さんは娘の家族と共に悲しみ、娘は一夜ジージョと添い寝をしたという。

ジージョが亡くなった時、大声をあげて知らせてくれたキツネが、翌朝玄関の前で、しょんぼり座っていたという。信じられない話である。

犬や猫のペットは家族の一員になり、人間より短命なので飼い主を悲しませることになる。私も猫が好きで、猫を飼っていた。猫も私になついていた。あぐらの中に入ってきたり、布団に潜り込んできたり。そして決まって亡くなる前に、こつ然と姿を隠すのである。最後まで飼い主に看病される犬と違って、猫はどこかクールなのだろうか、死に様を見られたくないのか、近くの茂みの中などでこっそりと逝くのである。私はこうして何匹かの猫と別れた。

ジージョは友だちになったキツネと遊んでいて、車に跳ねられたらしい。このエッセーは子猫をめぐる生き生きとした喜びと、突然の死別の悲しみを、見事に書いている。

本間さんの次の作品が楽しみである。

 

意見２　　　　　　　　　　松木　新

 

すぐれたエッセイだと思いました。

その理由は、次の二点にあるのではないか、と思いました。

➀ジージョと筆者との知的距離が、絶妙であることです。これは、娘が飼っている猫なので、日常的には会っていないことが原因だと思いますが、その距離感が文体に、知的な雰囲気を醸し出しています。

②〈猫の面白さ〉を、具体的な行動でリアルに描いていることです。ややもすると、〈面白さ〉を説明文で解説してしまいがちですが、そこに陥らなかったのは立派です。多分、猫の行動が、一つの情景として、脳裡に焼きついているからだと思いました。

『民主文学』４月号に、井上さんが掌編小説「旅路」を発表しています。合評での意見を参考に、「ジージョ！」に手を入れて、「掌編小説」として、投稿することをお薦めします。

 

　意見３　　　　　　　　　　泉　恵子

子猫の可愛らしさが活き活きと伝わってきます。具体的な描写によって、そのすばしっこい目まぐるしい動作があますところなく描かれ、筆力を感じさせます。

座布団の上での遊び、階段でのかくれんぼ、ネズミを咥えた姿、木登りして降りられなかったり等々、読んでいて楽しく、平和な、長閑な気分にさせられ、筆者の若々しい息遣いも伝わってきます。説明ではなく具体的描写こそ小説やエッセイの醍醐味であることを再認識しました。

「猫はこたつで丸くなる」のは、年取った猫で、子猫はこのようによく動くということを知りました。

余談ですが、この作品で猫の鳴き声は、「ニャーニャー」「ニャオン」「ニャア!」と表現されていますが、『源氏物語』では「ねうねう」と描かれています。

「若菜」の巻上・下に柏木が、女三の宮を思慕して忘れられない姿が綴られる。柏木の恋は実らず、またしても源氏に嫁してゆく女三の宮だが、宮が猫を飼っていて、せめてその猫を手に入れたいと、柏木は姑息な手段でその猫を「暫らく預かりましょう」と手に入れる。朝夕大事に育てていると次第になついてきて真実可愛いと思う。柏木が物思いに沈んでいると、傍に寄ってきて「ねうねう、といとらうたげになけば、かき撫でて、うたてもすすむかな、とほほえまる」とある。

小学館『日本古典文学全集』訳は、

「ねうねうといかにもかわいげに鳴くものだたら、かき撫でて、いやに心のはやるやつよ、とおのずから苦笑されてくる」とあるが、瀬戸内寂聴は「寝よう、寝よう、なんてずいぶん気の早いものだね、と思わずほほえみがこぼれてきます」と訳している。鳴き声を「寝う、寝う」ととる説が多いらしいが、リンボウ(林望)先生は「ニョウ、ニョウ」「匂(にお)う、匂う」ととって、女三の宮の匂いと訳している。平安の当時は日常的に香を焚きしめていて、それぞれの匂いが衣服に移っていたというから、それが猫にも漂っていたと云えるのかもしれない。

 

　意見４　　　　　　　　　　　豊村　一矢

　素晴らしい作品だ。

『奔流』に載る作品としては、かなり短い方だが、ジージョを我が子のように可愛いと思う心情が伝わってくる。

始めから「子猫」でなく「仔猫」だし、ジージョとは子どもになって遊べるし、手をガブリとかじって逃げられても「え～もっと遊びたかったな…」と未練たらしい。ジージョが事故でなくなったときのこと、その他……。一八枚に作品で、過不足なく書かれている。

 

　意見５　　　　　　　　　　　石川　節子

窓辺の白いレースのカーテンが、風に揺れるような、涼やかさ感じる美しい文章表現に、心をひかれました。

それなのに私は「犬猫が、とても怖い病」で、今日も久し振りに降った新雪の上を、白いちいさな子犬が、喜んで、飛び跳ね、飼い主を走らせている姿が、三階の窓の下の通りに見えます。

窓の外だから、安心して見ています。

ふと、「猫のジージョみたいだな」と思いました。

　意見６　　　　　　　　　　北野あかり　　　　　　　　　　　　

 

猫の年齢はよく解っていないので、子猫のジージョは、子供なら２才前後くらいなのかな…と思って読みました。何にでも興味を示し突進してい　く行動や自己主張する様子が、見えるように表現されており、その表現が見事で、はらはらしたり、ドキドキしながら読みました。

私は小学３年生の時、子猫を貰って来たのですが一緒に遊んだり寝たりしたことがなかった、また、同じころ犬に追いかけられ死に物狂いで逃げたこともあり、遠くで眺めていることはいいが、触ることができない。

作者が猫と戯れる様子や鼠を咥えてきたりする様子や、猫の性格を読み取って接していく様子は、子供を育てているようなのだと思いました。

しかし、ジージョは車にはねられて死んだ。防ぐ方法はないのだろうかと考えてしまいました。

 

　意見７　　　　　　　　　　　村松祝子　　　　　　　

　日常生活の中で作者と仔猫の関係を描いていのだが仔猫の観察が愛情を持った目でよく描かれている。しかも子猫と対等に付き合っている筆者の気持ちが読む者によく伝わってくる。布団の左右から交互に左手を出し、右手を出す遊びに仔猫が飛びついてくる遊びの描写はその場が想像されて笑ってしまいました。

猫の爪は木登りには適しているが木から降りるのは適していないとは初めて知りました。そり遊びにもついてくるし、ボートにも怖がらずに乘る仔猫なんてほんとに特異な仔猫ちゃんですね。生きていたら私も会いたっかたです。

軽いタッチでユーモアーも感じさせてくれて最後に狐が出てきて童話的でもありました。

素敵なエッセイだと思いました。

　意見８　　　　　　　　　柏原　竜

 

作品を読み進んで行くと、猫が映写機で映し出されスクリイーンの中で飛び、跳ね、動き回っているように見えてきた。猫の表情、鳴き声、動きなどの描写がきめ細やかで丁寧だからなのでしょう。どんなにか愛おしく可愛かったのでしょう。猫といっても家族の大事な一員なのですから。　

　我が家でも飼っていた猫が交通事故で亡くなった。ジージョと同じように体に傷はなく寝ているようだった。今でも猫の感触が体に残っている。抱いていた腕や胸に猫の大きさが、腰にもたれて眠っていた温かさ、足にまとわりついて転んだことなど思い出される。今、庭の木の下で眠っている。

　子猫はひと時もじっとしないで動き回るが、もう少し経って、大人になると落ち着いてすり寄ってくる。それもまた愛おしい。

 

 

合評を受けて

　　　　　　　　　　　　本間たかこ

　　　　　　　　　

初めて『奔流』に原稿を出しましたので、ドキドキしながら合評会に出席しました。「猫好きな方」「猫が嫌いな方」「どちらでもない方」がいらっしゃる中、たくさんご意見をいただき嬉しかったです。

　自分の書いたものに、大勢の方から感想を言っていただくのは初めてでしたので緊張しましたが、とてもありがたかったです。

　全部本当にあった事を淡々と記しただけでしたが、ジージョの事は書いておきたいと思っていましたので、ホッとしています。

「人に読んでもらう」事を前提に書くことで、客観的な目で自分の文章を見る経験も出来たのは、貴重な事でした。

 

「札幌民主文学通信」３０３号に追加

　　　　　　　　　　　　通信担当　豊村一矢

　説明とお詫び

　「

通信」３０３号に柏原竜さんから送信された「紙上合評」と「合評を受けて」の言葉を見落とし、紙上に載せることができませんでした。

お詫びし、追加記載させていただきます。

 

 

森本紀子「四姉妹から三姉妹へ」　　　　　

意見　　　　　　　　　　　　　柏原　竜

 

四姉妹が揃って札幌に住み、仲良く交流してきた。羨ましい。

人間は年を取る。年をとると何が起こるか解らない。覚悟しなくてはならないと、つくづく感じた。札幌に住んでいないので地理がよく解らないが、長く住んでいた大切な所を離れ高齢者マンションに入るということは、相当な決心が必要だったのだろうと思う。　

四姉妹が一人一人個性的に描かれていて解りやすい。特に亡くなった二番目の姉優子さんは、魅力的だ。更に一番上の姉康子さん、夫を若くして亡くした四番目の妹潤子さん。もっと知りたいと思った。どうかお元気でいつまでも長生きしてください。

 

豊村一矢「ある認知症患者の妄想１」　　　　

意見　　　　　　　　　　　　　柏原　竜

「認知症」この言葉が怖い、恐ろしい、ビクビクだ。　

自分の母親は七十代で認知症になり、だんだんひどくなって、パトカーにも世話になり娘の私も解らなくなって、九十二才で亡くなった。

母の兄や姉も認知症になっていた。自分も気がついていたのか認知症関係の本が、部屋に数冊置いてあった。そして、「あんたもなるから」と言われたのを思い出す。

作者はユーモアがあって強い。自分も見習おう。

医療も進んでいるので、きっと道が開かれると信じたい。

　　合評を受けて　　　　

柏原　竜　　　　　　　　　　

自分はなぜ創作活動を続けているのかよくわからないが、書くことが好きなのかもしれない。いろんな事を考えて、整理して、次への一歩なのかもしれない。

小学生の夏休みの宿題と同じで、夏休みが終了するギリギリにならないと書きはじめられない。　

とにかく、あわてて、焦って書き、やっと終わったと安堵感に浸る。　

それと同じで、もう日にちがないと解ってから、焦って焦っていつも書いている。今年は、九月締切だが、八月締切だと思って六月から取り組んだらいいと言われた。頭を切り替えたら、作品を書き終えた後、何度も読み返して、今回指摘された事を治せそうだ。　

視点が混乱。笑美と子供達との葛藤がほしい。会話の部分が説明調になっている。構成が不足。　

あらすじだけになっている。自分で読み返してみて、そうだと思った。

 

投稿欄

 

室崎和佳子『チェルノブイリ・レポート』

心をえぐるルポルタージュ

泉　　脩

 

チェルノブイリ（一九八六）と福島（二〇一一）の二つの原子力発電所の爆発。そして著者の父違いの被爆二世の妹の、ガンによる死。この中で筆者は、ウクライナとベラルーシへの旅を決意した。二〇一三年のことだった。

　この本は帰国後に書かれた四つの作品と、昨年書き下ろした論文である。札幌民主文学会の同人誌と、日本民主主義文学会の月刊誌「民主文学」に載った作品を読んで、私は心をえぐられる思いになった。事実としては知っていたが、著者の文学的表現力によって、事故の重大さを思い知らされたのである。

　これらの文章は一冊の本にまとめられ、日本中、世界中の人々に読まれなければならないと、心から思った。

　第一話「チェルノブイリよ」は、成田・モスクワ・キエフ・ミンスクの旅の報告で、キエフからチェルノブイリに車で向かい、無惨な原発の姿を間近に見た。持参の計器がピーピーと鳴り、今でも放射能が出ていることが実感された。

ベラルーシの首都ミンスクからは、南部の村々を小型バスでまわったが、多くの村が廃村になり、残った村も人口が減り、荒涼とした風景が続いた。著者が加わった一行（男四名・女三名）は、故郷を離れない人々、特に子どもたちにセシウム１３７排出促進剤を配った。どこへ行っても学校の教師たちから感謝された。

それにしても、ベラルーシ政府の無策はひどいもので、永く続く独裁政権が、「ベラルーシには放射能被害者はいない」と決め込み、国民を見殺しにしているのである。

　第二話「広島・チェルノブイリ」は、さらに内容に踏み込み、ベラルーシの人々から聞いたひどい話を紹介している。最初はガンで亡くなった被爆二世の妹との、悲しい別れの様子から始まる。続いてベラルーシの人々の話に移り、事故の後始末に動員された男たちが、帰宅後に白血病を発症し、闘病で苦しみ抜いた末、無惨な姿で亡くなっていく様子である。病院の医師も成す術がなく、家族の苦しみも限りない。一人の妻は、夫の死後に出産したが、子どもは障がいを持って生まれ、三日後に亡くなった。彼女は夫と子どもを偲び、五十代なのに老いた姿になって、もだえ続けている。

　ある学校の女性教師の話では、小さな生徒たちが病気で次々と亡くなり、中には三回目の心臓手術の直前に自死した少女もいる。年寄りが故郷での死を選ぶことは理解できるが、なぜ将来のある子どもたちが死ななければならないのか。

日本のある医師が、ベラルーシの子どもたちを日本で静養させたり、セシウム１３７排出促進剤を配ったりしてきたのである。

　第三話と第四話は、ベラルーシとウクライナと福島の被害者の話である。特に子どもたちの被害が悲惨で、体が小さいだけに大人よりも放射能の影響を受けやすく、中には五人のすべての子どもが病気で苦しむ母親もいる。

福島での二つの話、脱サラをしてやっと酪農家になった人の、飼育している十五頭の乳牛の、すべてが殺処分になった。子ども四人が巣立ち、夫婦二人の農家が退却させられる。やむにやまれず一泊二日で家に戻ったが、翌日妻が自死していた。

　著者は福島にも調査に入ったが、被害者たちは苦しみを口にできないらしい。風評被害を恐れる県民の、反発が強いらしい。

　どの話も胸が痛み、読んでいて苦しくなる。しかし被害者の苦しみは計り知れないのである。

　第五話「信念の人間（ひと）ユーリ・Ｉ・バンダジェフスキー」では、最大の被害を受けたベラルーシの、一人の医師の話である。バンダジェフスキー博士は若くして医大の学長になった秀れた医師だった。彼は放射能の被害が、特に子どもに多いことを突きとめた。この結果を国会で報告すると、彼は逮捕されて八年の禁固刑を受けた。独裁者ルカシェンコ大統領が、「自国には放射能の被害はない」としていたからである。そして二〇二〇年に、ベラルーシ初の原子力発電所を作ったのである。

　バンダジェフスキー博士は、五年の禁固でようやく釈放されると、子どもたちの治療に打ち込み、やがてウクライナに移って活躍をする。

　日本の調査団とも二回会って、苦しい体験を語り、信念を貫く姿を見せている。この本の著者の室崎和佳子さんは、博士との二回の会見で、心から感銘を受けた。そして「この世には、強欲な人間と強欲でない人間の二種類がいる。」と書いている。その代表が、ルカシェンコとバンダジェフスキーである。著者の怒りが爆発した様だ。

　著者とは札幌民主文学会で十五年近く、共に活動してきたが、彼女の筆力には感心してきた。特に、このチェルノブイリルポルタージュや創作では、テーマを掴んで全身全霊で打ち込み、目覚ましい筆力が発揮されている。私は評論に「国家的犯罪を告発」という見出しを付けた。

　室崎さんは二〇一六年と二〇一七年に再び三たびウクライナを訪ねて、バンダジェフスキー博士と二回目の会見をした。さらに周辺の国々への影響を調べるため、リトアニア・ポーランド・ルーマニアなどにも旅をしている。国内ではチェルノブイリ体験記を次々と発表し、写真展や講演をくり返し、正に大車輪の活躍である。さらに敗戦時のソ連軍の無惨な「娘狩り」の告発、そして最近では自分の青春物語と、留まるところを知らない。

　私も必死に著作を続けたが、室崎さんのスケールの大きな活動にはただただ脱帽である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『怒りの葡萄』再読

　　　　　　　　　　　　　　　　松木　新

 

先日、何気なく映画「エデンの東」を観ていたら、結構、面白く、あわてて原作を読んで見ました。これが映画以上の出来具合で、驚いてしまいました。スタインベックを見直したい気持ちで、『怒りの葡萄』を再読しました。

この小説は、１９３９年の作品です。国際的「赤い十年（１９２５年―１９３５年）」からは少しずれていますが、まぎれもなく、アメリカのプロレタリア文学の一翼を担っている作品だと思いました。

元伝道師のケイシーが語る次のセリフなどは、そのことをしめしています。

〈本来ならひとびとが持たなければならないものを抱え込んでいるおまえたちも、この理屈がわかれば、身を守れるかもしれない。原因と結果を分けて考えられれば、ペイン、マルクス、ジェファーソン、レーニンは原因ではなく結果だというのがわかれば、生き延びられるかもしれない〉

〈どんな歴史でも甲高く鳴り響いている小さな事実がある。それは、抑圧は、抑圧されるものの力と結束を強めるという事実だ〉

この作品では、トムの母親の造形がとくに優れていると思いました。ゴーリキーの『母』を彷彿とさせます。民衆にたいする信頼は見事です。

〈あたしたちみたいな民は、ああいうやつらがみんな滅びても、生きていくんだよ。だって、トム、ほんとうに生きている民は、あたしたちなんだ。あいつらが、あたしたちを根絶やしにすることなんかできない。だって、あたしたちが民なんだから――生きつづけるのは、あたしたちなんだから〉

〈男の一生は、切れ切れの短い線路みたいなものなんだ――赤ちゃんが生まれる、ひとが死ぬ、それが一本の線路――畑を持つ、畑をなくす、それがべつの線路。でも、女にとっては、ぜんぶがひとつの流れなんだ。逆巻く渦や小さな滝があっても、水は流れ、川は流れつづける。女は一生をそういうふうに見る。あたしたちは滅びない。民は生きつづける――すこしは変わるかもしれないけど、ずっと生きつづけるんだよ〉

家族から離れて、闇のなかを去るトムの最後の言葉は、山宣の墓碑に刻まれた言葉「山宣ひとり孤塁を守る　だが私は淋しくない　背後には大衆が支持してゐるから」と重なります。

〈おれは闇のどこにでもいる。おれはどこにでもいる――お母が見るどこにでも。飢えたひとびとが食べられるように、みんなが戦うとき、おれはそこにいる。おまわりがだれかを叩きのめすとき、おれはそこにいる。ケイシーが見抜いたとおりだとすれば、怒れるひとびとが叫ぶなら、それがおれのゆく途(みち)になる。食事の支度ができたときに腹ペコの子供たちが笑うなら、それがおれのゆく途になる。おれたちの仲間が、育てた作物を食べ、自分たちが建てた家に住んでいるとき――もちろん、おれはそこにいる〉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

野球小説の楽しみ

後藤守彦

 

プロ野球の公式戦がまもなく始まる。昨年地元にファイターズのフランチャイズとして新球場エスコンフィールドが誕生した。杮落しの試合のチケットを抽選の末入手し、観ることができた。試合は応援したファイターズが負けたものの、歴史的瞬間に立ち会えたことに感謝している。ファンクラブにも入り、昨年は二〇回以上球場に足を運んだ。そのうちの、九月二六日にあったロッテ戦は、特別なものだった。京都から弟の妻と娘が来道し、八月に逝った弟の遺影を掲げて私たち家族とともに観戦した。チケットは弟の生前に入手していたもので、中学校から大学まで野球部で活躍した弟は楽しみにしていたと思う。幸いなことにファイターズが七対ゼロで勝った。

現在新球場の前に新駅を設置する問題をめぐって、市民の運動が続いている。八五～九〇億円を費やす新駅建設計画が発表された。請願駅という理由で一般会計予算の総額が約三〇〇億円の北広島市が、その費用の多くを負担することになる。市民への情報開示がなされていないため、市民への説明会の開催などを求めて、「ボールパーク新駅を考える会」が昨年一〇月一四日に発足した。私はその運営委員の一人になった。二度にわたる市民説明会、市長との対話集会が開かれたが、市民の懸念や不安は払拭されていない。「ボールパーク新駅を考える会」は、今後新駅建設費用の圧縮と受益者である日本ハムの費用負担を求める方向で活動していくことになると思う。

インターネットで「野球小説」と検索したら、野球小説のベストテンの記事が幾つか載っていた。野球小説についてはかつて論じたことがあるが（「たかが野球とはいうものの」『札幌民主文学通信』一六七号）、そこで対象としたあさのあつこの『バッテリー』（角川文庫、二〇〇三～二〇〇七年）は全てトップだった。この作品は映画化もされた。主人公はキャッチャーの永倉豪とバッテリーを組む原田巧である。作者は、文庫版第一巻の「あとがきにかえて」で、「自分を信じ、結果のすべてを引き受ける。そういう生き方しかできない少年をこの手で、書ききってみたかった」と執筆の意図を披瀝している。また、第二巻のあとがきで「書くことと投げることに、共通点があるとすれば独りだということ」とも述べている。この年齢ではこれほどの高次はありえないのでは、と疑問を呈したくなるほど、豊かで複雑な内面の心理描写が目立つ。　　　　

前掲エッセイで対象にしていた池井戸潤の『ルーズヴェルトゲーム』（講談社、二〇一二年）も、ベストテンに必ず入っていた。タイトルは、野球好きの第三二代フランクリン・ルーズヴェルト大統領が、「一番面白い試合は八対七のゲームだ」といったことに由来する。青島製作所の創業者である青島会長は「この工場が作っているのは、カネ儲けのための製品だけ」でなく「働く者たちの人生であり、夢もだ」として野球部を創設する。いつも口にする言葉が、選手と応援する社員が「グラウンドでひとつになろう」だった。青島製作所とその吸収合併を画策する、儲け至上主義のミツワ電器との、野球の試合が絡んだ対決を描きながら、作者は、企業は働く者にとって人間にとってどうあるべきなのかを問うている。

今年上半期の直木賞を受賞した、万城目学の『八月の御所グラウンド』（文藝春秋、二〇二三年）も野球小説に入る。文系学部で学ぶ朽木は、彼女から「あなたには火がない」と言われ、ふられてしまう。彼女の実家のある高知県に行き、四万十川で涼しげにカヌーを漕ぐ計画も消滅し、「丸ごと地獄の釜となって、大地を茹で上がらせていた」京都で八月を過ごすことになる。朽木は同じ大学の理系学部に通う多聞に、御所グラウンドでの草野球の試合に強引に参加させられる。小さな大会の優勝をめざすのだが、選手が揃わない事態が生じる。その時どこからともなく助っ人がやってくる。東京の明治神宮外苑とは別に京都でも出陣学徒壮行会が行われており、助っ人は戦没学生などだった。生者のもとに死者が現れたのである。最後の試合に負け優勝を逃すが、朽木と多聞は振り返って語り合う。「みんな――、生きたかっただろうな」「な、朽木、俺たち、ちゃんと生きてるか？」と。作者は、京大生の名簿を調べて戦没学生の様々な死を知り、「全然知らんかったけど、これはあかんやろ、どこかでちゃんと書かなければと」思ったと語っている（『しんぶん赤旗日曜版』二〇二四年二月一日号）。

次に、新刊ではないが三つの野球小説を見てみたい。阿久悠の『瀬戸内少年野球団』（文芸春秋、一九七九年）は映画化され、夭折した夏目雅子の遺作となった。この作品には戦争の犠牲者が登場する。主人公の足柄竜太少年が野球と出会ったのは、戦死したと思われた、駒子先生の夫正夫が「生きていた英霊」として帰還した時。正夫は片足を失い松葉杖をつきながら故郷にもどるが、かつて中等学校野球の選手として甲子園の土を踏んでいる。川上哲治の熊本工業が決勝に進出した大会であった。一九四一（昭和一六）年に全国中等学校野球大会が中止され、甲子園のグランドは畑になった。「正夫にとって、野球のある時代が平和の時代であり、野球のない時代が戦争の時代であった。とすれば、今は、平和の時代の始まりといえた」。正夫は「今のままでは竜太たちは駄目になる、いいかげんに世の中を渡って行く知恵だけをつけて、駄目な子になるぞ。何かに夢中にさせてやらなければ」と駒子を説得し、彼女を監督とする本格的な野球チームづくりに力を注いだ。江坂タイガースが結成され、隣町にある、少年野球の名門チーム大宮ジャイアンツと戦う。

井上ひさしの『下駄の上の卵』（岩波書店、一九八〇年）もいい。小森陽一と川本三郎の対談「野球少年たちの戦後民主主義」（『世界』二〇一四年一二月号）のサブタイトルが、「井上ひさし『下駄の上の卵』をめぐって」であった。この作品は、戦後間もない時期に、新品の軟式野球ボールを手に入れるため、山形県の町からヤミ米を抱えて上京を企てる野球少年たちの冒険旅行を描いた長編小説である。対談は次のような川本の言葉で結ばれている。「戦後の野球を語るということは、歴史を語ることであり、いろいろなものが詰まっている。ただ野球を語っているだけでないと、改めて強く感じます」。

三つめは、重松清の『熱球』（徳間書店、二〇〇二年）。本州西端の城下町にある、旧制中学からの伝統を誇る進学校の野球部は、地元や０Ｂに期待されるものの弱かった。それが主人公の洋司が高校三年の夏に、エースとしてマウンドに立った時、県大会で決勝まで進む。そこで悲劇が。部員の不祥事で決勝戦の出場を辞退することになったのである。洋司は故郷を捨て上京するが、二〇年後三八歳で、小学五年の娘を連れ帰郷し、一人で暮らしていた父との同居生活を始める。地元に残っていた野球部の仲間との交流を通して、生きることの意味を問い直す。負ける時は負けてもいい、大切なのは誰かを大切にする気持ちだと気づき、文庫版の解説で作家の堂場瞬一が言うように「家族や仕事とは関係のないところで自分を証明するものが何かがあるはずだ」と探し続ける。

当然のことだが、野球発祥国のアメリカには野球小説が沢山あるが、一九八九年に公開された映画『フィールド・オブ・ドリームス』の原作、Ｗ・Ｐ・キンセラ『シューレス・ジョー』（文春文庫、一九八九年）が最高だろう。　

 

 

 

 

 

 

 

 

札幌民主文学通信

二〇二四年二月〇一日　３０３号

二月例会誌上合評

合評作品（『本流』３０号）

森本のりこ「四姉妹から三姉妹へ」

意見１　　　　　　　　　　　　石川節子　　　　　　　　　　　　　　　

八十を過ぎた人を語るとき、生死に関わる話に触れることは避けられないでしょう。私も三人姉妹の

中で特別よわく、みんなに心配をかけさせています。

しかし、今のところ全員、元気。七十二ページ、上段、（四）の紀子の二番目に当たる八十八歳の優子は―ここは、難解で読んで居てイライラしました。ここは紀子の二番目の姉で、八十八になる優子は、　としたほうが良かったのではないでしょうか。

優子お姉様の事故は、とてもショッキングでした。

制御できなくなった人の体重は加速され、思いもよらない大きな事故に成ることがあるようです。

私の場合も、四十三キロ足らずでも、気絶して壁にたおれくずれ落ちただけで、脊椎骨折、四十日余りの入院となりました。それがサイドボードに倒れかかっとあれば、ただごとでは済まないことでしょう。

ご冥福をお祈りします。

 

意見２　　　　　　　　　　　　松木　新

この小説を、戦後を生き抜いた優子への讃歌として読みました。優子を主人公とした長編に、ぜひ挑戦してほしいと思いました。タイトルも効果的だと思いました。

姉妹の物語は、谷崎潤一郎の長編『細雪』などを読んでも、優雅な魅力に溢れていますが、そこに兄弟がからんでくると、室生犀星の短編「あにいもうと」のように、野蛮なエネルギーが前面に出てきます。「四姉妹から三姉妹へ」で、札幌に在住する弟がお茶会に呼ばれないのは、作者の意図的な作為なのだとしたら、よく考え抜かれたと思いました。

討議のなかで校正についての意見がだされていましたので、参考文献を紹介します。著者は「朝日新聞」で論説委員をしていました。

辰濃和男『文章のみがき方』（岩波新書）

　

意見３　　　　　　　　　　　　　泉　脩

　六人きょうだいの、上四人が四姉妹で、下二人が弟である。四姉妹は仲が良く、よく会ってお茶の会をし、永く協力してきた。

その中で次女の優子が八十八歳で急死し、長女の康子八十九歳と四女の潤子七十六歳が体の不調から、老人ホームに一緒に入ることになった。著者の紀子八十三歳は、この連絡を受けてびっくりし、三人で会うことにする。この作品は実話と思われ、親の思い出や夫のことがリアルに書かれ、姉妹の苦しみ、悩みがよく書けている。

この作品の四姉妹は同じ北海道に住み、対立をせず助け合う姿が、とても気持ちがいい。二人の弟のことは書かれていない。

私自身は五人きょうだいで、上に姉二人、私と弟が続き、末が妹だった。妹が二十六歳で病死し、次女の姉が八十代初めに病死した。今では九十五歳の姉と八十九歳の私、そして弟が残っている。きょうだいは必ずしも仲良しではなく、時に骨肉の争いをする。きょうだいは他人の始まり―という言葉がある。

私は父が四十代で亡くなり、母を四人の子供で支え、母は九十七歳まで生きた。相続争いなど起こりようがなかった。妻の家族のほうは、私が中に入ってやっと解決した。入院中の妻と、二人の甥が権利放棄し、なんとか円満に相続を終えることができた。私は少しも利益を求めず、相談した不動産業者にお礼をしたぐらいである。肩の荷が下りた思いだった。

亡くなった優子は活発で、きょうだいをリードしていたが、一人暮らしで家の中で転倒し、手首からの出血が原因で急死してしまった。親から継いだ家を優子の二人の娘が相続する。誰も異議を言わず、親の財産の相続争いが無いことが気持ちいい。

 

意見４　　　　　　　　　　　　泉　恵子

四姉妹のそれぞれが高齢となり、一番上の康子(八九歳)と、一番下の潤子(七六歳)の二人が、高齢者マンションに移り住むというところから始まる四姉妹

の主に晩年の様子が、三女の紀子(八三歳)の視点で描かれている。

太平洋戦争を生き抜いてきた四姉妹とあるが、四女の潤子は戦後生まれ(昭和二二、三年生まれ)だから、そこは丁寧な配慮が必要と思う。

紀子以外の三人は連れ合いを亡くしていて、それぞれのその様子が語られている。特に次女の優子(八八歳)の夫の余命が宣告された時の、紀子の職場に駆け込んで泣き崩れた様子や、その後亡くなった時の、サイドボードのガラスに手を突っ込み、血にまみれて倒れていた姿など壮絶な状況はリアルである。戦時中母を助けて家族のために逞しく働いた様子なども活写されているが、全体的に、説明調になってしまったところが惜しい気がする。

作者は全体きれいごとで書かれていると言っていたが、全部書くと長編の構想になってしまうだろう。短編としては優子さんをもう少し具体的に膨らませたらよかったのかと思う。

それにしても、四姉妹で「お茶会」を持ち、政治談議をするなど羨ましい情景で、兄弟姉妹の多い人はいいなあと思った次第。

 

意見５　　　　　　　　　　　　　豊村一矢

この物語は、平成二十一年（２００９年）正月から始まる。

私の誤読でなければ、物語の語り部は四姉妹の三女紀子であり、歳は８３で、終戦時は１９歳。四姉妹は上から長女優子・次女康子・三女紀子、四女潤子ということになる。

四姉妹は戦中戦後を生き抜いてきた。この作品の根底に戦争批判があることははっきりしているが、私は男性に対する不信も内包しているように感じられた。戦争批判同様、声高でないだけに、却って、迫ってくるものがある。

 

意見６　　　　　　　　　　　　室崎和佳子

七六歳から八九歳までの四姉妹が戦中、戦後を仲良く生き抜いてきた物語である。最終的に四人は札幌で生活することになった。

　しかしある日、上から二番目の優子は髄膜腫という病気で言葉が出なくなったうえ、室内で転倒し出血多量で死に至る。母親がわりで面倒見の良い優子であった。

　一番上の康子と一番下の潤子は一緒に暮らし始める。

　三姉妹になってもお茶会を続けよう、と紀子(下から二番目)が呟くところで話が終わる。

　私はたった一人の妹を十年前になくしたので、とても羨ましい。集まることができる限り、お茶会を続けて欲しいと読者としては切に望む。

 

 

 

　意見７　　　　　　　　　　　　小崎勢津子

冒頭の「姉と高齢者マンションに入ることに決めたの！」という妹からの電話ではじまることで、終末をどのように迎えるかを描いていることが解り、同世代を迎えた私にとって、自分の生き方を振り変えると同時に、一人暮らしをしている自分の終末について考えさせられ、とても身近な作品でした。

　また、第２次世界大戦を生き抜いてきた４姉妹の、お茶会と称する集まりでの政治談議は、情景が見えるようで面白く、そのような集まりがとても大事なことだと思いました。

 

　意見８　　　　　　　　　　　　柏原竜

四姉妹が揃って札幌に住み、仲良く交流してきた。羨ましい。

人間は年を取る。年をとると何が起こるか解らない。覚悟しなくてはならないと、つくづく感じた。　　

札幌に住んでいないので地理がよく解らないが、長く住んでいた大切な所を離れ高齢者マンションに入るということは、相当な決心が必要だったのだろうと思う。　

四姉妹が１人１人個性的に描かれていて解りやすい。特に亡くなった二番目の姉優子さんは、魅力的だ。更に一番上の姉康子さん、夫を若くして亡くした四番目の妹潤子さん。もっと知りたいと思った。

どうかお元気でいつまでも長生きしてください。

 

合評を受けて　　　　村松祝子

書かねばならぬ期日に追われて、句読点の点検も誤字脱字も数多くあることを覚悟して提出しました。

案の定、誤字や表現の間違い脱字や抜け字など多々あり申し訳ありません。

そんな感じで出した作品に励まし？（本人はそう受け取っております）の評価を頂きました。まだ書ける自信を頂いた感じです。批評頂いた仲間に感謝です。

一月の初め今年は期日に追われぬようにと思い姉たちの老人用マンション入居の話を聞いて書き出したのですが最初「四婆蓮」という題にして勇ましい？四人の婆さん連中の集まりを書くつもりでした。

そこに突然姉の事故死に遭い、これを書き残したいと思い始めました。

しかし自分としては前半の文章も捨てがたく結果的に三姉妹の過去の人生を書き連ねた結果になりました。人生後半になりますと、どの人々にも過去において困難や喜びを抱えた一つや二つのドラマを送ってきたことでしょう。

持に昭和を過ごしてきた者にとって第二次世界大戦は両肩に掛かる大きな岩盤のような大岩でした。

姉妹のことを書くとどうしてもそこにいくのです。

三姉妹からは「何を書きたいのかはっきりしない」と嬉しい批判も、貰いました。

 

豊村一矢「ある認知症患者の妄想（１）」

 

意見１　　　　　　　　　　　石川節子

ほのぼのとした温もりに満たされ、安らかな気持ちで読み進められる、朗らかな作品でした。

「認知症なんか、怖くない。年寄りの身分証名証をもらったと思えばそれで良い。不名誉に思ったり、不安がったりすることは、全くないし、年齢というお布団が、カバーしてくれるのだから、」と、私は学習しました。

普段から「ものしずか」で、温厚な人は全然問題ないことを、私は確信しました。やっぱり、合評は優れた学習の場だなあと再認識しました。

　

 

 

　意見２　　　　　　　　　　　松木　新　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

　アルツハイマー型認知症と診断された作者が、〈ずる賢く、強かに毎日を過ごしています〉と言い切っているように、この作品は、ユーモアにあふれ、読む者を前向きにさせてくれます。

最後の三行は、優れた落後の「落ち」を聴いているようで、感心しました。

新たな「認知症文学」の誕生に乾杯！

 

　意見３　　　　　　　　　　　泉　　脩

　痛ましい話である。私より十歳も若い著者が、脳神経外科の診断を受けるところから始まる。アルツハイマー型認知症で、進行を遅らせることしかできない―という診断である。

　こんな深刻な話を淡々と書き、読者はびっくりしてしまう。しかし高齢になれば、誰しも不安に駆られることであり、著者の勇気には頭がさがる思いである。

要介護支援が認定され、デイサービスに通い、これまでの仕事も続けることを著者は決心する。努力がどこまでも続き、永く、いつまでも志が報われることを願うばかりである。

　私は三年前、階段を踏み外して足を骨折し、二ヶ月入院した。その時にＮＨＫのテレビの再放送で、認知症の特効薬を作った日本人の話を放送していた。母親の認知症を見て、製薬会社に勤め、失敗を繰り返した末にようやく特効薬を作り上げたのである。この作品に書かれている薬は、それと同じかどうかはわからないが。

このＮＨＫの連続番組（プロジェクトＸシリーズ）は、多くの日本人のすばらしい業績を紹介し、日本人の優秀さを改めて教えてくれた。中島みゆきの美しいテーマソングと共に心に残り、私は多くのことを学んだ。入院してよかった、とさえ思ったものである。

　私自身は今年五月で九〇歳になる。目はかすみ、耳はよく聴こえない。物忘れも多い。それでも多くの人の助けで一人暮らしを十八年続け、文学活動に打ち込んでいる。息子に老人ホームに入ることを勧められているが、階段を昇り降りできる限り、がんばるつもりである。

　札幌民主文学会に入って十年余り、豊村さんには通信・同人誌でお世話になりっぱなしである。お互いにがんばろう。

 

意見４　　　　　　　　　　　　泉　恵子

診察室での医者とのやり取りから、アルツハイマー型認知症と、宣告されるところから始まっている。

医者との軽妙なやりとり、深刻なはずが何故かおかしみを誘う。認知症とは思われない主人公のデスマス調の語りは、以前の「認知症」の概念を覆していて、高齢の読者に安心感を与えるように思う。最先端の患者らしくない患者の語りとして面白く、続きが期待される。

先日もラジオで、団塊の世代が七五歳以上という時代に入り、五人に一人は認知症になると言っていた。

医学の進歩で、進行を遅らせる薬が開発されているという。そういう人たちを受け入れていこうという社会の構築が始まっている。デイ・サービスも悪くないようだ。

有吉佐和子の『恍惚の人』の時代から格段に進んでいる。かつて私の祖母も出掛けて行っては帰りがわからなくなり、垂れ流しをするようになり、同居の母が悲鳴を上げていた。そんな時代は過去のものになりつつあると言っていいのかも。

この主人公が、なぜ医者の所へ行ったのかということが知りたかった。

 

 

　意見５　　　　　　　　　　　室崎和佳子

豊村さん特有のユーモアのセンスで、自身に訪れている難局を切り開いていこうという決意を文章から感じとりました。

　すごいなあ、と素直に思いました。　

「ある認知症患者の妄想(２)」が楽しみです。

 

意見６　　　　　　　　　　　小崎勢津子

１．診察室　２、青笹（あおささ）文学研究会　３、要介護１ と分けていて、とても解りやすく一気に読みました。

診察室の場面では、診察の様子や、医師と患者（作者）と奥さんの会話も伝わってきますし、何よりも

本人が病名を告げられても動揺することなく、ありのままを受け止め、前向きに対応しようとしているところや、奥さんへの心遣いがとても素敵で羨ましい思いで読みました。

私も最近、検診で「大腸癌」の診断を受け、手術そして術後補助化学療法（抗がん剤投与）を受けることになりました。便秘しない食生活を続け、他人にも奨めていたくらいでした。「便秘や腹痛も全くなかったのに、何で大腸癌になるの！」と、癌の発症に腹を立てましたが、腫瘍は手術で採って貰いましたので、これで終わりと思っていたのです。

しかし、再発の可能性が20～30％あるので、そのリスクを下げるために（ゼロにはならないが）ということで、抗癌剤治療を宣告されました。またしても「何で！早期発見だったじゃない！」と腹立たしいのですが、現実は受け止めるしかありません。

このような時にタイミング良く、前向きに対応している作者の、明るい人柄が伝わってくるこの作品にであって、勇気と元気を貰い感謝しています。

　

 

 

意見７　　　　　　　　　　　　村松祝子

　診察室の光景は、一つ、一つを正確に書き連ねた。

そこには感情を入れず、他人事のように描く心が凄いと思った。

仲間の心の中を想像して断定する正確さは彼自身のこれまで生きてきた経験からの正確さなのであろう。

自身がこの病を背負って生きていかなければならない心情がよく書かれている。

「ずる賢く、強かに毎日を過ごして」いると言えるのでしょうか。わたくし、認知症なのでわかりません。

最後の文章に彼の決意を感じさせられました。

私の主人も同じ病ですので、よく理解できます。誌面上では！

しかし実生活では私も病に似た症状ですので「知らない、覚えていない」とふたりで言い合っているのですが、作者のようにしたたかに生きて姿に教えられました。

 

合評を受けて　　　　　　　　豊村一矢

　作品の中にも出てきますが、アルツハイマー型認知症で要介護１の私は、常に、介護福祉士やデイケア管理者、介護者によって見守られ、また、アドバイスも受けます。『奔流』に作品を出したことも、この人たちは知っています。そんな中で、今回の作品をデイケア管理者に見せる機会がありました。

　その時、管理者が「『奔流』３０号が欲しい」といい、私の今回の作品をコピーしてデイケアの休憩室に置かせてくれ、となりました。

　以来、デイケアでニコニコと話しかけてくる利用者が増えた気がします。

　バタバタと急いで書いた作品ですが、要介護者が多いデイケアでは、何とか受け入れられたようです。

　　　　　　　　　　　　　　　　

柏原竜「飛び立つ」

 

意見１　　　　　　　　　　　石川節子

　時代は替わったと思う。結婚しても、子どもを連れたり、ひとりに成ったりして、実家に帰って来ることが珍しくない世の中になった。

昔は、「女、三界に家なし」で、女性が我慢することで折り合いをつけることが、多かった。今はそれが無くなり、喜ばしい事だと思う。しかし、嫁に出した親にしては、「れやれ、ひと安心」もしていられない。男の子だって同様だ。

それでも、その後のパートナーを探すなりして、自立の道を開ける人は、あっぱれである。

この作品では、残した子ども達にあまり未練を語られていなかった。

独身でいられるのも、戻ってこられるのも、親の心配には変わりが無い。もう、親が心配することでは、ないようだ。

 

意見２　　　　　　　　　　松木　新

〈子供を取るか自分をとるかの選択しかないと判断した〉笑美が、〈子供たちが大きくなった私の事を解ってくれる日があることを信じたい〉と決意して、　　〈「飛び立つ」〉姿が清々しい佳編です。

合評のなかで視点について論議されましたので、整理しておきます。

作者の都合で、勝手に視点を変えてはならないという法や規則があるわけではないのですが、一般的には、長編小説では、神のような高みから物事を描写する、いわゆる全知の語りの手法＝登場人物それぞれの視点で物語を展開する多視点が有効の場合があります。『戦争と平和』が有名ですが、最近の話題作では『立春大吉』が、この手法を採っています。

短編小説では、読者を混乱させないという理由から、視点を主人公にすえるのが良いといわれています。この場合でも、その主人公を一人称で描くのか、三人称で描くのか、あるいは、まれにみられますが二人称で描くのか、の問題があります。

要は、作家が、自分が書きたいことを読者に届けるためには、どのような手法が良いのかを、じっくりと検討することだと思います。

なお、参考文献として、日本民主主義文学会編『小説作法』（頒価５００円）をお薦めします。この冊子のなかで、青木陽子さんが、「小説における視点の問題」を書いています。希望者は松木まで。

　

意見３　　　　　　　　　　泉　　脩

　勇と麻子夫婦の家に夜、娘の笑美が帰ってくる。「離婚する」と言い、次の日も家に帰ろうとしない。夫の重夫が妻を威圧的にマインドコントロールして、我慢できなくなったのである。重夫は笑美が帰ろうとしないので、二人の子供と会わせず、離婚に向かう。妻を自分の所有物とし、どこまでも支配しようとする男の身勝手を書いている。

　その後、笑美は高校時代の写真部の仲間の光夫と再会し、自分を取り戻し、やはり離婚したばかりの光夫と再婚し、沖縄に向かう。

　笑美の母親麻子も自分の母親が同じように父親に支配され続けた家庭で育ち、母の苦しみを知っているので、笑美の決意を両親とも理解し、後押しするところがとてもいい。

　私は結婚以来、妻とよくケンカをした。私が古い家族観から抜け出せないので、きびしく批判されたのである。私が納得して考えを改めると、ぴたりとケンカは無くなり、妻は全面的に私に協力してくれた。そのため、私は教育・組合活動・文学と、思いきり活動することができた。男女（夫婦）の平等と自由は、家族の根本だと思う。これが無ければ、いつまでも不一致・対立が続き、仕事も子育てもうまくいかないのだと思う。

　この作品は、このことをクッキリと書いていて、気持ちがいい。重夫と母親（姑）が、子供（孫）を押さえて笑美を呼び戻そうとするが、どうなることだろう。

　笑美は子供が成長して母親を理解してくれることを願っているが、私もそうなることを願うのみである。

　男の中に根強く残る、男女不平等の家父長的意識は、克服されなければならない。

 

　意見４　　　　　　　　　　　　　泉　恵子

宮本百合子の「伸子」になぞらえて、「紀子の場合」(稲沢潤子作)という作品があったが、さながら「笑美の場合」と言える女性の自立を描いていて、作者

の新境地を開いた作品かと。

作中、ばあちゃんが言うように、まもなく戦後八〇年にもなろうという「民主主義」と言われる時代になってなお、夫の家父長的な横暴や、いわゆるDVという状態は無くならない。

日本社会の封建性の尾を引く男尊女卑的な思想の根深さを思い知らされる。

「心がだんだん小さくなって干からびていきそう」と目覚めた笑美が、「子供を取るか、自分を取るか」悩んだ末、自分を選び、離婚し、再婚するまでを急ぎ足で描いている。

昔は、子供のために我慢してきた女性が多かった。それでも、笑美の父(勇)は、そんな母親(ばあちゃん)を見て、「可愛そうだが嫌で無視したり、馬鹿にしたりした」と語る。

子供のために自分を殺して「干からびてゆく」生き方は、子供にとっても必ずしもいいとばかりは言えない。それでも、この後、子どもたちは笑美のことをどう思って育つのだろう?という不安は消えない。ここは難しい問題だ。

作中、笑美が実家に戻り、光夫と再会して、やがて光夫とともに沖縄へ「飛び立つ」までにどのくらいの時が経っているのだろうかということが気になった。

冬の場面から話しが始まり、「2月初め」(p119)光夫が笑美の家を訪れているのは翌年の2月と考えて良いのか。飛び立ってゆく” 雪解けのころ” は離婚してから約一年余り後のことと読んだが......。

その間の笑美の葛藤が、一言の長い会話で済まされているが、会話にひと工夫という声もあり、飛び立つまでにもう少し時間をかけてほしい気がした。

余談になるが、例会で札幌市にある女性の駆け込み寺「女のスペースおん」のことを話したが、この四月から「女性支援新法」が施行されるとのこと。

DV、性被害など困難な問題を抱える女性を支援するための法律が新たに作られる。日本の人権意識の低さを痛感させられる。

 

　意見５　　　　　　　　　　　　　豊村一矢

　近年の日本の離婚率は３０％を超えているという。この数字が大きいのか小さいのか分からないが、離婚が特別な時代でなくなったとは言える。そして、その原因も様々だ。

　タイトルが「飛び立つ」となっているように、主人公が、結婚によって束縛や人権無視の生活を強いられ、離婚しかないと、新しい世界に「飛び立つ」話だ。

　しかし、離婚には様々なしがらみがついて回る場合が多い。慰謝料、子供がいれば親権問題、将来の相続争い等々。だが、自立することを応援したり支えてくれる人達の存在も書かれている。

　この作品は、「離婚することにより、多い困難や苦しみの多い理不尽な人生から脱出しようとする主人公への応援歌」だと読んだ。

　主人公に応援のエールを送る！

　意見６　　　　　　　　　　　室崎和佳子

勇と麻子夫妻の娘　笑美の自立の物語である。

　笑美が離婚しようと決意したことは、ＤＶにまでいかなかった時期だったという意味で的確だったと思う。笑美にとっても子供たちにとっても、家庭内で暴力問題が起きなかったことは本当に幸いだった。

　文中　笑美のセリフで「子供たちが大きくなって私の事を解ってくれる日があることを信じたい」とあったが、これが一番難しい事だと思う。自分たちを捨てた母の気持ちは多分わからないであろう。しかし、そういうことは十分わかった上での笑美の決断なのである。

 

　意見７　　　　　　　　　　小崎勢津子

２児の母となっている娘が突然「離婚する。ここに置いて」と言って、実家に戻ってきた、という衝撃的な出来事ではじまるこの作品は、タイトルが「飛び立つ」となっているので彼女の再出発の作品だと思いながら読みました。

　結婚するとお互いこれまでと違った環境に戸惑うことが少なからずあります。特に女性は夫が育った家のしきたりや考えに左右されることが多いのではないかと思います。

　この作品の夫は、自分に相談しないと嫌がり、自分で決めたがる。そのことに逆らえない。という主従関係。

更に、外に出て知人と交流するのを嫌がり、掃除や料理が苦手なことを罵り、その落ちこぼれを笑美の母に見せつける。壁の前に立たされ、理詰めで説教する…等々に縛られながら長年堪えてきていた。

　夫の実家から「子供を連れてきて」との連絡に、夫に連絡しないで連れて行ったことが、夫の逆鱗に触れ、暴力の気配を感じ、家を飛び出して実家に駆け込んだのだった。

　長年の状況から、もう修復が効かない状況であると判断し、どんなことがあっても戻らないと決めたことは理解できました。そして、新しいパートナーに巡り合って再出発することも良かったと思います。

だた、子供をどうしたらよいかが大きな問題であると思ったのですが、子供のことは陰からそっと観察

しただけで手放すことにしたことだけでなく、様々な葛藤があったと思われるが、その事には触れられていないのが少し物足りないと思いました。

 

　意見８　　　　　　　　　　　村松祝子

明るい現代の女性を感じた。

自分の人生を自分で切り開いていく逞しさと勇気はこれからの日本を生きていく女性の姿を想像された。

読後間も清々しく久しぶりに青春の一端を覗いた思いです。　

登場する個性豊かな婆ちゃんの告白がこの小説の山場をつくているように感じた。ばあちゃんの告白を聞いた笑美の思いをもっと知りたかった。

光夫の個性がいまいち薄いような感じがした。彼の職業とか笑美に惹かれた理由とかがあったら具体的に彼のイメージが浮かんでくると思った。

母親の麻子の告白部分はなくても良いような感じがしたが‥

息子に当たる勇が自分の母親婆ちゃんの卑屈さに子供の頃から嫌だと感じていたとは、女性に対して真のジェンダー感覚を持っている人だなと思った。

作品全体は澱みなく読め、まとまった良い作品だと思った。

四姉妹が揃って札幌に住み、仲良く交流してきた。羨ましい。

人間は年を取る。年をとると何が起こるか解らない。覚悟しなくてはならないと、つくづく感じた。札幌に住んでいないので地理がよく解らないが、長く住んでいた大切な所を離れ高齢者マンションに入るということは、相当な決心が必要だったのだろうと思う。　

四姉妹が1人1人個性的に描かれていて解りやすい。特に亡くなった二番目の姉優子さんは、魅力的だ。更に一番上の姉康子さん、夫を

若くして亡くした四番目の妹潤子さん。もっと知りたいと思った。どうかお元気でいつまでも長生きしてください。

　

 

追加

　

「通信」３０２号（先月号）例会誌上紙上合評の「後患い」に、私の「意見」を追加させてください。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　豊村一矢

 

　意見７　　　　　　　　　　　　　　

　

文学作品として、大変優れていると思った。

　主題を露骨に言葉で説明する作品に出会ってきたが、ここでは登場人物の行動と絡み合いで読む者にしみ込ませている。だから、感動する。

　特に、ｐ６８ページの、うなだれて出て行くワルに、「金はあるのか？霧多布まで歩いたらバスに乗れ」と、お札を握らせる場面が圧巻でした。やはり戦争の後患いに病む散布村の人たちの「ワルへの労り」のようなもの滲みきて、ジーンとした。

 

 

 

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　投稿欄

 

書評　　　　　　　　　　

直木賞受賞作　

川﨑秋子『ともぐい』（新潮社）

松木　新

明治三十年代、白糠の町の手つかずの山中で、二頭の熊が戦っている。

「穴持たずが渾身の力で組み合った赤毛の頭を打った。太一が目を失ったという攻撃を再現したかのように、熊の顔面上部を爪が抉って血飛沫が飛ぶ」。

「穴持たず」は、冬眠を逃がして阿寒から流れて来た熊、外部からの闖入者を排除するために戦いに挑んだ「赤毛」は、この山の若き王者の熊だ。

「ギアア、と穴持たずの口から悲鳴に似た情けない声が漏れる。鼻先のあたりが軟骨ごと食いちぎられ、慌てて組み付いている体を離して両前脚で懸命に鼻のあたりを掻きむしり始めた」。

この小説の魅力を余すところなく伝えている、衝撃的な場面だ。

物語の主人公である猟師の熊爪は、「少なくも、俺は熊に近い」と自覚した生活ぶりだ。それだけに、熊爪・赤毛・穴持たずが、白糠の原生林の中で繰り広げる死闘は、迫力ある描写と相まって、読む者を作品世界へ引きずり込む。

穴持たずの襲撃で足を骨折した熊爪は、瀬戸際に追い詰められるが、横から飛び込んできた赤毛が穴持たずを殴り殺したことで、九死に一生を得る。

それ以来、杖なしでは歩けない熊爪だが、「―できることだら。俺は。最後にあの赤毛に挑みたい」と、赤毛を捜し続ける。その姿は、巨大な鯨を追い続ける『白鯨』の片足の船長エイハブのようだ。

ついに熊爪は赤毛を見つけ出し、村田銃の引き金を引いた。「痙攣(けいれん)さえすっ飛ばして、赤毛は死に至っていた」。

「―なんでこんなことしたんだ。俺は」、「熱い涙がだらだらと流れては赤毛に沁みていく」。

道東の苛酷な大自然の中で、地を這うように生きているものどうしに通ずる畏敬の念が、ここにはある。

熊爪に、猟師として暮らしていくために必要なあらゆることを教えたのが、アイヌの里で暮らし、彼らから大自然の中で生きるすべを学んだ和人の養父だ。熊爪の生命力の土台に、アイヌの知恵がすえられている。

アイヌに向けられた作者の眼差しの暖かさに、共感を覚えた。

（「ほっかい新報」２０２４年２月１１日）

 

高橋篤子「星につなげて…遥かなる旅路…」

「アイヌとはなにか」と問い続けて

　　　　　　　　　　　　　　　　　　泉　脩

 

　何回かの改稿をして、昨年夏に完成した中編小説。永年アイヌ問題に取り組み、アイヌ語を学び、すぐれた作品を書いてきた著者の集大成の作品である。

　主人公の未来(みく)は、白老(しらおい)の木彫り工場で働く、アイヌ夫婦の娘。両親は未来にアイヌ語を教えず、和人（アイヌ以外の日本人）として育てようとする。しかし、高校卒業にあたって、未来はすべての就職試験で落とされる。二次の面接で不合格になるのである。

　母親は泣きながら未来を励まし、未来を東京のＨ女子大学栄養科に入学させ、通信教育を受けさせる。未来は下宿屋で調理を引き受け、四年間がんばり続ける。アイヌであることを隠し、東京で生きるためである。

　下宿屋の経営者夫婦は未来を可愛がり、ある夜のコンサートのチケットをくれた。南米ボリビアの音楽コンサートで、ケーナ（縦笛）やギターなど様々な楽器で、ボリビアの美しい音楽が演奏された。未来はすっかり心をうばわれ、特に高校時代に吹奏楽部が演奏した「コンドルが飛んでいく」に感銘を受ける。この曲は、スペインの植民地にされたボリビアで、自由を求める気持ちを表現した世界的に大ヒットした名曲である。

　未来は家の近くの楽器店でケーナを見かけ、店のＣＤでこの曲を繰り返し聴くようになる。店の主人がコンサートの演奏者の一員で、妻のみどりが未来をやさしく迎えてくれた。

やがて未来は、下宿屋で暮らす一人の青年、ボリビア人のアネモス・レラと親しくなる。彼はボリビアでセールスマンをしていて、祖母が日本人であることから、日本に短期留学をしていた。夕食後、二人は近くの公園で語り合い、恋仲になっていく。彼が帰国後、未来は男の子を産み、ボリビアにいる彼に知らせた。彼は、息子に「健(けん)」と命名するが、日本に戻ってくることはなかった。

未来は母のケガもあって、健を連れて白老に帰り、けんめいに働く。やがて健は成長し、東京の大学に入って文化人類学を学ぶ。卒業後は旅行会社に就職し、北欧諸国との交流を目指す。

未来はいつも「アイヌとはなにか」と問い続けていた。それは健も同じだった。二人はアイヌ墓地で話し合い、健に父親に会うことを勧める。健は一年後の大学卒業の間際になって、ついに母にボリビアに行くことを伝え、物語が終る。

二十世紀終わり頃、国連が先住民の権利を守る決議をし、二十一世紀に入って日本は、ようやくアイヌの先住権を認めた。しかし、日本人全体がアイヌを正しく理解し、不平等な対応が解消されていくには、まだまだ不充分であり、今後もたたかいは続くだろう。

私はアイヌ問題について全く疎いのだが、それでも身近に何人かのアイヌの血筋を持つ人と親しく接してきた。私はいかなる差別感も無いが、認識や理解がまだまだ浅く、いわゆるジェンダー問題の理解と共に、勉強不足であると感じている。

作者の高橋篤子さんは、民主主義文学のすぐれた先輩であり、心から尊敬している。早くから胆振地区に住み、アイヌ語を学び、アイヌ問題に取り組む作品を書いてきた。この作品は多くの差別に苦しむ主人公の心情が、深く掘り下げられている。アイヌの現実と葛藤に、心を強く揺すぶられる見事な作品だと思う。

ケーナの笛の音が印象的な「コンドルが飛んでいく」は、私も大好きである。

 

後藤守彦『北の国から来た猫２』

　　　　　　　　　　　　　　　　　

多彩なエッセー集

　　泉　脩

　始めの第一部は、愛猫家の著者の力のこもった猫談議である。多くの作家・知識人らの猫論を紹介し、ただただ感心する。犬は人間に役立つが、猫は存在するだけである―といった指摘は、その通りである。かつてネズミ捕りが猫の役目だったが、今ではネズミがいなくなっている。猫はそのかわいらしさや、しなやかさで人の心を慰め、癒すのである。最後に著者が愛し抜いてきたミーコの死が語られる。十八歳六ケ月、人間にして九十歳の老猫であり、家族に看取られての大往生だった。荼毘(だび)にふす時、著者は「ありがとう」と叫ぶ。胸を打たれるシーンである。

　私も猫が大好きで、飼っていた猫はどの猫も、私に懐いていた。だが、すべてある時忽然と姿を消した。猫は死に際を見せないということなのだろうか。

　第二部は「音楽」である。著者はクラシックが好きで、札幌交響楽団の会員である。毎月の例会に通い、私が会員の時にお会いしたことがある。彼はシベリウスの交響曲が好きで、北海道と同じ北国のフィンランドの音楽だからだろう。私も同じで、特に三番が好きである。

　映画音楽について書いているが、実に詳しいのでびっくりした。私はミュージカルが好きで、教師時代に生徒たちといっしょに上演したくらいである。私の教師生活の頂点だった。

　「鎮魂のチェロ」という話は、感動的である。札響の首席チェリストが退団後に、東北大震災の義援金を集めるため、全国各地で五百回もチャリティーコンサートをする話である。それも、大震災の犠牲者の残したチェロを使って演奏した。私も聴いたことがある。札響の女性コンサートマスターの大平まゆみさんの引退の話があった。ＡＬＳのためであり、私もショックを受けた。彼女は今も元気でがんばっているとのことで、ほっとする思いである。

　第三部は「歴史」である。「父と戦争」の話で著者は、まず戦後に六十代で亡くなった父の、戦時中の歩みを書いている。通信兵として満州に送られて、ソ連や中国の無線の傍受と暗号の解読をしたらしい。しかし、すぐ病気になり、日本に帰されて除隊になった。父は家族に何も語ろうとせず、著者は苦心して調べて書いた。戦闘に参加していなくて、ほっとしたようだ。

この後は、歴史修正主義への批判と怒りが、きびしく書かれている。ユダヤ人虐殺、日本の侵略戦争が無かった、とする途方もない嘘を指摘した。歴史家として、著者の怒りは凄まじい。ウクライナの苦難の歴史や、関東大震災時の在日朝鮮人の大虐殺など、いずれも火の出るような文章が続くのである。

私は著者と同じに大学で歴史を学び、高校で歴史を教えてきた。歴史の本も多く読んできた。しかし著者の学識の広さと深さには、到底及ばない。研究者としての情熱と、インターネットなどからの広くて新しい情報の、収集の差があると思う。私はインターネットを触れたことも無い。まったくの機械オンチでなのである。

ひとつだけ疑問なのは、台湾問題である。日本による五十年の植民地支配の歴史を持つ台湾だが、私が十数年前に台湾ツアーに参加した時、台湾の人々の親日ぶりはただ事でないと感じた。

現地ガイド兼通訳の若い女性と話した時、「台湾の人々が一番行きたい外国は日本です―」と断言したのである。都市では東京と札幌だと言った。彼女の日本語は日本人よりも上品で、日本で学び、働いたという。東北大震災の時も、今年正月に発生した石川県大地震でも、台湾の人々が真っ先に義援金を寄せてきたのである。

第四部は「文学」である。私の知らない日本の作家が何人も紹介されて、とても勉強になった。在日朝鮮人作家については、李恢(りかい)成(せい)以外知らなかった。

敗戦間際に獄死した若い詩人は痛ましい。

作家ではないが山本宜治の死は、何とも悔しい。私は長野県の山中の温泉街で、彼の碑を見つけてびっくりした。死の直前に講演して、その後作られた碑が隠されていたという。小林多喜二と共に真に偉大な先覚者だった。

どの文章も筆者が渾身の力を込めて書いていて、読むほうも胸を打たれ、身が震える思いである。筆者の深い学識と情熱がひとつになった見事な文章ばかりである。

この本は、私も大好きな猫・音楽・歴史・文学について書かれ、考え方もほとんど同じである。退職後はそれぞれ地域活動に取り組んできた。次々と著作を続けていることも、私たちはよく似ている。著者と私は同じ時代に、同じような経歴を積み重ね生きてきたのである。

 

死の受容ということ

後藤守彦

　昨年、二月に愛猫を、八月に弟を喪った。愛猫は添い寝しながら看取ることができたが、ステージ４の肺癌のため京都市北部にある病院で闘病していた弟は、私が三度目の見舞いを終え帰道してすぐに逝き、義妹から電話で知らせを受けた。夜の便で伊丹空港を発とうとしていた午後、ベッドの傍らにいた私を暫くじっと見ていた、もう口がきけなくなった弟の目、まどろんだ鈍色の目ではなく、その時急に瞳が黒々と輝いた目、深い思いがこもったような目、これが生前の弟との最後の対面だった。弟は何を伝えたかったのだろうか。こんなに早く旅立つことを弟は予想していなかったに違いない。その二つの死を依然として受容できずにいる。そして、ずっと死と生について考え続けている。

だから、死を描いた作品に出合うと、時には涙ぐみながら読むことになってしまう。近刊の町田そのこの、全五編からなる連作短編集『夜明けの狭間』（ポプラ社、二〇二三年）もそうだった。主人公の佐久間真奈は、古民家をリフォームした斎場をもつ、家族葬専門の葬儀社芥子実庵で二二歳から九年間葬祭ディレクターとして働き、真摯に死者と向き合っている。最初の死は、親友なつめの自死。映画化までされた小説で作家デビューしたものの、その後さっぱり書けず「一発屋」と酷評されデリヘル嬢となっていたなつめは、会社を解雇されひきこもりとなっていた常連客と心中したのだった。なつめの遺書には「佐久間真奈さんの担当で、佐久間さんの手で簡素な式をお願いしたい」とあった。デリバリーヘルスのマネージャーの男性と真奈は、なつめのあれこれをしみじみと語り合いながら通夜をする。マネージャーは「死んだ人間のことを話して、褒めて、労る」、それが通夜の晩でしょう、と言う。真奈は「これが、ひとを見送るということなのだ。ひとを見送る時間なのだ。わたしは表面しか見えていなかったかもしれない。大事なひととの時間の本質を理解していなかった」と、内省する。

第二章では元夫の恋人の葬儀を手伝うことになった、芥子実庵に出入りする花屋の女性、第三章では過去の痛みから抜け出せない、一番会いたくなった男に再会した、真奈の同僚の新入社員の視点から生と死が描かれていく。第四章「あなたのための椅子」は、学生時代の仲間の一人である森原壱が無免許運転の暴走車に撥ねられて死んだ、との連絡を、かつて壱を愛したが今は他の男性と結婚している良子が受ける場面から始まる。仲間の一人の星は、「良子さんは壱のための椅子をまだ持っているでしょう？」「椅子さえあれば、きっといつか壱が座る。あなたが壱の椅子を置き続けていたら、きっと話ができる」と、悲しむ良子を慰める。そして、壱との関係をこれ以上深めることはできないけれど、「これまでの関わりや繋がり、思い出、そういうものは決してなくならない。ぼくたちの中に、壱のたくさんの部分は残っている」と語る。生者の中で死者は生きていく。

良子の弟純也は真奈の恋人で、真奈にプロポーズするのだが、その結末が最終の第五章で明らかになる。純也は真奈に懇願する。専業主婦になってもいい、だけど今の仕事だけは辞めてほしい、と。真奈は何しろ、純也の嫌う死、遺体にふれる葬儀社の働き手なのだから。「彼の意思が第一優先で、第二がわたし。彼はそれを、『結婚』や『出産』『育児』という言葉をもちいて『当然』だという」、だから、真奈はためらってしまう。純也のことは愛しているし、結婚もしたい。だけど、女性は男性に仕事を続けることを許してもらわなければならない立場なのか。仕事のやりがいと結婚の間で真奈の心は揺れ葛藤が続く。決断後の真奈の思いを受けとめたい。

 

　　必死に何かを掴もうと頑張ってあがいたら、絶対に残るものがあるんですよ。手の中が空っぽで、何にもなくって、自分じゃダメだったと悔やむことがあるけど、でもほんとうはちゃんと手にいれてるものがあって、それって自分でも繋げられし、誰かが繋げてくれもするんです。

 

葬儀社と連携して働く納棺師も死者と向き合う日々を過ごす。三八歳で保険会社の営業職から納棺師に転職した大森あきこは、『最後に「ありがとう」と言えたなら』（新潮社、二〇二一年）で思いを綴る。死者と遺族の別れの場面に立ち会うたびに、「死によって亡くなった方とのつながりが切れるわけではないと信じることができます。そして、今、自分の側にいる人との限りある時間がとても大切に思えるのです」と述懐する。四〇〇〇人以上の納棺式を務めた経験からの言葉は重い。

 

　『源氏物語』における「物語」論

　　　　　　　　　　　　　　　　　泉　恵子

ＮＨＫの大河ドラマ「光る君へ」が始まって、今年は「源氏物語」への関心が高まっているようだ。

「宮本百合子を読む集い」の会員の中には、以前から「源氏」の読書会にも参加している方々もいるが、今年こそ「源氏」に挑戦と言っている人もちらほらいる。

そのうちの一人は最新版角田光代訳の『源氏物語』(池澤夏樹私選『日本文学全集』の一環)を買い求めたとか。

また一人は、日本の女流文学者のなかでは、一〇〇〇年の時を経て、紫式部と宮本百合子が双璧ではないかと、大胆な私論を展開し、今年は読破したいと言っている。

先日も時折メールで話す卒業生が、瀬戸内寂聴訳の文庫本を全巻揃えて、二〇年近く書棚に飾っているのを眺めながら、「いつか、いつか」(読もう)と思っていたが、「今ですね」と云ってきた。

そんな人達に刺激されて、かくいう私も、今年こそ「源氏」をしっかり読んでみたいものだと密かに思っているのだが、過去に谷崎源氏で、挫折し、一四、五年前に出た林望(通称リンボウ先生)の『謹訳源氏物語』も二巻までで挫折しているから、余り自信はないのだが……。

国語教師の端くれとして、教科書に出てくるさわりの部分「桐壺」「帚木(雨夜の品さだめ)」「夕顔」「明石」や、時に「末摘花」「若紫」「浮舟」などの巻は何度か読んだり、その周辺をちらちらめくったりしたが、五四帖のうちの何分の一かである。その頃は源氏の面白味を生徒たちにうまく伝えることはできなかった。どうしても色好み光源氏の恋の遍歴といった捕え方になっていたと思う。

リンボウ先生は、はっきりと「源氏」は女性たちの物語で、光源氏は狂言回しの役わりと言いきっている。この頃はそうした観点での読みが定説になっているようだ。

現在ＮＨＫラジオ第二(木曜朝一〇時から三〇分間)で、「女性たちの群像」というタイトルのリンボウ先生解説「源氏物語」が放送されている。

二月二二日は「玉鬘」の巻だった。

かつて光源氏の愛した女性「夕顔」の忘れ形見の「玉鬘」という設定である。「夕顔」の巻では、ほんの一夜源氏と契りを交わしただけの夕顔が、何者か　

に(六条の御息所か?)呪い殺されてしまう。か弱くはかなげな存在の夕顔だが、リンボウ先生いうには、「娼婦」的な存在だったと。

その彼女には、頭中将との間に子供がいてそれが「玉鬘」だった。一時は筑紫の国に連れていかれてそこで成長するが、美しく成熟した玉鬘に懸想するむくつけき男もいて、そこから逃れるように再び都に戻り、彼女を気にかけていた光源氏と再会し、源氏は恋心という本心を隠して、我が娘として傍に置くことになる。

と、大雑把なあらすじだが、その先の「蛍」の巻で、源氏と玉鬘の「物語」に対する会話がある。

玉鬘が熱心に物語を読み、それを書き写しているのを見て、源氏が言う。

「女こそものうるさがらず、人に欺かれむと生れたるものなれ。ここらの中にまことはいと少なからむを、かつ知る知る、かかるすずろごとに心を移し、はかられたまひて………(略)」

(女というものは面倒くさがりもしないで、人に騙されるように生まれついているものですね。たくさんある物語の中に本当のことはごく少ないであろうのに、一方ではそれをよくわかっていながら、このような出まかせの話しにうつつを抜かし、真に受けたりなさって…… (略))

「さてもこのいつはりどもの中に、げにさもあらむとあはれを見せ、つきづきしうつづけたる、

はたはかなしごとと知りながら、いたづらに心動き、らうたげなる姫君のもの思へる見るに、かた心つくかし。……(略)」

(それにしてもこうした数々の作り事のなかに、なるほどそんなこともあろうかとしみじみした人情味をみせて、もっともらしく書き続けてあるのは、一方ではどうせたわいもない事と承知しながらむやみに興味をそそられ、いかにもいたわ

しそうにしている姫君が物思いに沈んでいる有様を見ると、幾分か心ひかれるものですよ。……(略))

などどいうのを聞いた玉鬘は、返して言う。

「げにいつはり馴れたる人や、さまざまにさも酌みはべらむ。ただ、いとまことの事とこそ思うたまへられけれ」

(仰せの通りいつも作り事ばかりしている人が、さまざまにそうやって忖度するのでございましょうか。私にはどう見ても全く本当の出来事のように存ぜられるのでございます。)

物語を「嘘つき」という源氏に対して、作者は玉鬘に皮肉を込めて反論させている。そんな彼女を見て、源氏も真剣になって、続けて言う。

「神代より世にあることを記しおきけるなり。日本紀などはただかたそばぞかし。これらにこそ道々しく詳しきことはあらめ」

(物語というものは神代以来この世にあることを書きのこしたものと言います。日本紀などはほんの片はしにすぎないのです。これら物語にこそ、かえって公の道理にもかない、委細を尽くした事柄が書かれてあるのでしょう)

といい、更に、

「その人の上とて、ありのままに言ひ出づることこそなけれ、よきもあしきも、世に経る人のありさまの、見るにも飽かず、聞くにもあまることを、後の世にもいい伝へさせまほしき節ぶしを、心に籠めがたくて、言いおきはじめたるなり。…… (略)」

(その人の身の上と言って、ありのままに書きしるすことはないにしても、良いことであれ悪いことであれ、この世に生きている人の有様の、見るにも見飽きることなく、聞くにも聞き流しに出来ないことを、後世にも云い伝えさせたい、そんな事柄の一つ一つを心に包みきれないで言い置いたのが始まりなのです)ここまで「日本古典文学全集」(小学館)よりー(続き原文略)

(人を良いように言う場合には、その優れたところを選び出し、人の関心に応じようとする場合には、また悪しき有様でめったにあり得ないことも書き連ねる、いずれの方面に関したこともみなこの世のほかのことではないのですよ。

外国の物語を考えてみても、書き方は違っているし、同じ日本のことでも昔と今とでは違ってくるでしょう。内容に、深い浅いの違いはあるでしょうが、一概に嘘、偽りと行ってしまうのは実情に合うとは言えないでしょう)

と、光源氏の言葉で、最初は物語をけなしながら、そのあとで、その効用を説いている。

話はまだ続き、光源氏は、

「ところで、あなたの読んでいる古物語の中で私のように律儀な愚か者の物語はありますか」と、からかう。つまり、自分は恋心を秘めて父親としてあなたに寄り添っているのだが、そんな風に我慢している愚かな男の話はないだろうというのだ。そして「他に例のない物語に仕立てて世間に伝えさせましょう」というと、玉鬘は「そうしなくても、これ程めったにない事が、世間の噂にならない筈がありましょうか」と言い返す。

二人のような奇妙な関係を描いた物語はないと言いながら、「その実、読者は今まさに、この二人の物語を『源氏物語』として読んでいる。

読者が物語として読んでいることを、更にメタレベルで、物語論として読んでいるという高度に入くんだ構成になってるのも「蛍」巻の斬新なところである」と、木村朗子氏は『紫式部と男たち』(文春新書)で述べている。

 

『源氏物語』の面白さにこの年でやっと目覚めた気がしている。v

札幌民主文学通信　

二〇二四年〇一月〇一日　３０２号

　一月例会誌上合評

　

合評作品　（奔流『３０号』）

　

松木新　『街とその不確かな壁』が

問いかけるもの

 

意見１　　　　　　　　　　　　　　泉　脩

　

私はかつて村上春樹の『ノルウェイの森』を読んだことがある。三組の恋人たちの、奇妙な交友と愛と死の物語である。複雑化する現代社会で、若者たちが人間形成を成し遂げることができるかどうか、切実で惹きこまれる作品だった。村上春樹は、この続きのように現代社会のゆがみとたたかう人々を書いてきたようである。

松木さんは村上作品を次々と紹介し、最新作『街とその不確かな壁』を取り上げている。入り組んだフィクションと難しい比喩に満ちた村上作品なだけに、この評論もむずかしい。

コロナ流行とウクライナ侵略の中で、高い壁に囲まれた平穏な街がある。この街に入るには、自分の影（自我）を捨てなければならない。つまり、自分の過去を忘れ、未来を考えないことである。平穏無事な時間が過ぎていくが、なんの発展もない。ここまでが第一部である。

この物語（全三部）の中心である第二部は、福島県の山間の街が舞台である。東日本大震災から免れた小さな街で、図書館の館長、実は幽霊が中心人物である。壁は無いけれど、なんとか人々は生きていくのである。

意味深い村上作品を紹介しながら、この評論は軍事同盟を作らず、多国間で話し合い、未来を作っていくことを求めて、まとめとしている。私も大賛成である。

村上作品は世界中で読まれ、ノーベル文学賞の候補に何度もなっているが、普遍性のある秀れた文学作品であるに違いない。私は『ノルウェイの森』しか読んでいないが、彼の並々ならぬ才能はよく解かるつもりである。今後どのように発展するのだろうか。

 

付記　「ノルウェイの森」はビートルズの歌のタイトルである。

 

意見２　　　　　　　　　　　　　泉恵子

 

例会の中で、評論の合評をする場合、作品に照らしてどうかということを話さなければという発言があり、十二月例会の折、後藤さんも読んだということに触発されて、この作品(本)の分厚さにちょっと躊躇したが、今年に入ってから随分時間をかけて読んだ。

改訂を繰り返して、コロナ禍の中で書かれた(三作目)とのことで、「壁」は、中国作家方方の書いた『武漢日記』などが想定されるというのは頷ける。

壁の内側の世界には「影」がない。影を捨てることは「自我」を捨てることを暗喩している。

そこで人々はひっそりと現在を生きてー時間のない世界というが、何故か季節の巡りや朝晩はあるーやがてひっそりと死んでゆく。主人公「私」は恋人がいるその世界に入りたいと、影を捨てて入ってゆき、彼女の勤めるそこの図書館で「夢読み」という過去の世界を読む仕事(これは本ではないのだが、何故か「読む」と表現)につくが、やはり現実の世界に戻りたいと、大変な思いで脱出する。

こちらの世界での福島県会津若松の更に田舎にある図書館長の仕事の世界は、前の子易館長や、不思議な少年との出会い、札幌出身の女性との出会いなど、東日本大震災にあった人びとに捧げる美しい話というのは同感だ。

だが、「信じる心をなくしてはならん」という子易館長は実は既に死んでいた人だったり、いつの間にか姿を消した少年は、探している私を連れてまた壁の向こう側に行ってしまう。

あまりにも都合の良い不思議な展開には、暗喩というより、寓話?ファンタジー?としか思えなくて、なかなかその世界で楽しむことはできなかった。

ハルキストと呼ばれる若い人々は、こんな寓話めいた世界が楽しめるのだろう。それはもしかしたら失われた三〇年という、未来に希望が持てない社会の反映なのかも?楽しめない私は「古い人間」になってしまうのかもしれない。

作品の最後はやはり、「信じる心」をもって現実世界の戻ろうとする。初めはためらいながらも最後は迷いを振り切って、一息でろうそくの炎を吹き消し(ここも、最初は大変な思いで脱出するのと違って、そう決心すれば戻れるというフシギ)現実に還ろうとする。やはり、現実の世界こそ「信じる」に足る還ってゆくべき世界なのだ。

と、この世界を受け入れてゆこうとするところで終わるのは、展望を失ってはいけないというメッセージなのかもしれない。しかし、最後の一節、

「暗闇が降りた。それは何より深く、どこまでも柔らかな暗闇だった」には、この混沌とした現実世界を喩えているようだ。僅かに「柔らかな暗闇」というところに微かな望みが感じられはするが。

この最後に、松木評論の言う、孤立から連帯の道へという展望が作者にあるのだろうかと、疑いたくなる。もしあるのなら、「信じる心」をもって、更にどのように生きていくか、どういう世界を引き受けるのかというそこまで踏み込んで描いてほしいと思った。

 

　意見３　　　　　　　　　　石川節子

 

村上春樹さんの作品は、読了したものは、ほとんどなく、今回の作品も全く読みかじってもいない為もあって、さっぱり理解できませんでした。「不確かな壁」などという、不確かな言葉にも不愉快な思いを感じました。要するに、「理解出来ない自分｣に腹がたち、「自分が悪い訳ではない」などと、自分を慰めたり、なんともすっきりした気持ちになれませんでした。

 

　意見４　　　　　　　　　　豊村一矢

　

記憶違いでなければ、村上作品は、一冊だけ、ずいぶん前に読んだ。まったく自分と合わない作品だと、途中で放り投げた。だから、いまでは題名も忘れている。

私は文学少年でも文学青年でもなかった。強いて言えば、児童文学が趣味のお兄さんだった。そんなときに、村上作品にはじめて読んだものだから村上作品を嫌悪したのかもしれない。したがって、「『街とその不確かな壁』が問いかけるもの」から始まり、その後の展開も、をきちんと理解する基礎知識がない。残念だ。

　ただ、壁とか影とか自我とかは、「戦争」や「自らの社会的位置の危機」や、はたまた、「骨肉の争い」といった場面でも、造られ壊され、現れ消えたりする……、と思えた瞬間もあったのも事実だ。

 

　意見５　　　　　　　　　　　柏原　竜

 

評論の対象の本を読んでないのでよく解らないが、「不確かな壁に囲まれた街に入るためには人は影を捨てなければならない」というのは、どういうことか。「影を捨てる」「自我を捨てる」とはどういうことなのか。人は自我を捨てることはできないのではないか。自我は幼い子供からお年寄りまで誰でも持っていて、大事にすべき事のように思う。信じる心は中々持てないが、持つためにいろいろ考えたり努力しているのではないかと思う。　

いろいろ考えていくなかで信じる心は生まれてくる気がするが。

 

合評を受けて

　　　　　　　　　　　　　　松木　新

 

「壁」を安保条約、核の傘と考えると、「不確かな壁」に囲まれた「街」は、日本の現実を象徴しているのではないかというユニークな意見にビックリすると同時に、集団で作品を読むことの大切さを改めて実感しました。

「この小説の最後に、〈一息でロウソクを吹き消した〉とあるので、モラトリアムという捉え方はちがうのではないか」という意見が出されました。

この小説は全７０章で構成されています。６ページという非常に短い最終７０章の登場人物は、〈私〉と〈少女〉と〈少年〉です。この〈少女〉は、第一部で、高校一年生として登場しますが、第二部、第三部の６９章までは姿を見せていません。

このことから、この小説は、サンドイッチ構造になっていること、第一部と第三部の７０章がパンの役割を果たしており、第二部から第三部の６９章までが、サンドイッチの中身です。

したがって、この小説の主要な物語の最終は６９章だと読み解き、〈ロウソクの炎はふらりと揺らいで消え〉に着目してモラトリアム論を展開したのですが、どうでしょうか。

 

また、「村上春樹の小説は非科学的だ」という意見も出されました。

「非科学的」な文学作品は枚挙に暇がありません。

たとえば、父親の亡霊と対話する「ハムレット」、森の中で魔女たちに翻弄される「マクベス」、現代では、マジック・リアリズムで描かれたガルシア・マルケスの「百年の孤独」や、村上春樹が小説の中で引用している「コレラの時代」、ブルガーコフの「巨匠とマルガリータ」、日本では、原爆死した父親の幽霊と暮らす井上ひさしの「父と暮らせば」、古いところでは、姫路城の天守閣に棲む妖怪・富姫を主人公にした泉鏡花の「天守物語」など。

「天守物語」は傑作です。主人公の富姫は非常に美しいのですが、福井の夜叉が池に空を飛んで行ったり、妹分の亀姫が手土産に持ってきた猪苗代城主の生首を、美味しそうに食べるなど、妖怪ぶりは群の抜いています。歌舞伎では、人間国宝の坂東玉三郎が豊姫を演じ、ライフワークの一つといえる演目になっています。

文学のジャンルは多様です。それらを、「科学性」や「倫理性」で評価する愚は避けたいと思います。文学の豊かな蓄積から、明日へ繋がる何かを見つけ、すぐれた遺産として継承していく、度量の大きさが求められていると思います。

 

後藤守彦翻訳　　韓雪野『泥濘』

 

意見１　　　　　　　　　　　　　泉　　脩

 

　一九三五年に書かれた朝鮮の短編小説の翻訳。作者は一九〇〇年生まれなので、すでに亡くなっている。

　朝鮮のプロレタリア文学とのことだが、なんとも重苦しい内容である。主人公は思想犯で投獄され、出獄して家族の元に戻ったばかりである。

　二間の狭い家に妻と子供五人と暮らし、皆イライラしながら過ごしている。妻は近くの友人と、夫の悪口や愚痴を話し合う。子供たちはきょうだい喧嘩が絶えず、外ではいじめられて、泣いて帰ってくる。主人公は子供を叱りつけて、「強くなれ」と言う。妻とはろくに口を利かず、軽蔑している。それでも就職活動をしている。

　この作品を読んで、私は日本の植民地になった苦しさを痛感した。作者も出獄したばかりで、日本への批判を書くことができない。治安維持法で、朝鮮人六十五人が死刑になった。投獄された人は数限りないだろう。

　文学を志し、作品を発表するのは、同じ時期の日本以上に難しかったに違いない。このことが、ひしひしと感じられて、読んでいてなんとも重苦しく感じられた。

　私は十年位前、韓国ツアーに参加し、ガイド兼通訳の青年に、「かつて日本はひどいことをしました」と謝った。すると彼は「昔の人は戦争が好きでした」と言い、そして「自分の妹が日本人と結婚しました」と言った。今は大阪に住み、子供が生まれると母親が世話をしに日本に行って、帰ってこないそうである。「息子の私は忘れられた。私は日本製のバイクに乗って楽しんでいる」と笑った。

　私はほっとする思いだった。日本語を学び、日本のツアー客の世話をしているのだから、きっと本心なのだろうと思った。

しかし日本人は日本の犯した罪を忘れてはならないのだ。

追記、治安維持法の死刑条項は勅令によって追加されたので、日本人には一人も宣告されなかった。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

意見２　　　　　　　　　　　　泉　恵子

 

「翻訳」ということで、本来は、作品に照らしてこの翻訳がどうかという合評をすべきなのかもしれないが、それは無理ということで、この作品世界がどうかという合評になった。

まずは後藤さんの翻訳の力に感服する。

発表されたのは一九三九年、日本の植民地朝鮮において、思想犯で捕えられた作者の、いわゆる転向小説ということである。

妻たちのおしゃべりで語り始めるという、いわば間接話法の巧妙な仕掛けを持って、この息苦しい植民地下での治安維持法の理不尽な悲劇を描いている。全体重苦しい内容で暗いのだが、この妻たちの活き活きした会話が魅了的というか、その逞しさ、エネルギーに圧倒されてしまう。

そのあけすけな語りには、日本の女性たちとは違うものを感じてしまったのだが。

独特の比喩にもー例えば「糞をいじった串みたいな」とか「涙を小便のように流す」「ふぐりが地面に垂れてくっつきそうな」などというー日本の小説では出会ったことのない表現だが、大らかといおうか、まさにタイトル「泥濘」の世界を彷彿とする表現と思った。

主人公ミンウは自身の「弱さ」のために、こんな境遇になってしまったことを嘆き、子どもたちには強く育って欲しいと願う。最後の鶏を狙うイタチを追いかける場面には、夫婦が協同で困難に立ち向かってゆく姿が見えて少し救われた。

合評では、日本の朝鮮人思想犯(ばかりではないが)への不当な苛酷な扱いのことも話され、未だ解決されていない、深い傷跡についても考えさせられた。

 

意見３　　　　　　　　　　　石川　節子

 

面白い。兎に角面白い。作者はこのエネルギッシュな、おもしろさを産み出すエネルギーともなる、とてつもなく凝縮された得体の知れない焦げ茶色のものを腹に抱え込み、その制御に、日夜、思いあぐねている人なのではないかと想像しました。最後のイタチ事件などは、自分が未だ子どもの頃、親たちがイタチ対策に奔走した、あの日の場面が再現されていて、久し振りに大声を出して笑い転げました。ただ、野生のイタチを　「あれは向かいの家のイタチなのよ」と決めつけ、　「向かい家」のその家までしゃくにさわったり、日本人の表現とは少し違うレベルの大袈裟表現があり、それがまた、おもしろい。と、思っている間に突然終わってしまった。

仕方がないので、そのつづきを自分で連想して楽しんでいる。この効果は、物語を、より大きく膨らませる効果があることを知りました。

ミンウと妻との内面の丁々発止が、これでもかと言われるほど描かれている。加えて、近所のおかみさんたちとのやりとりもあるものだから、どんどん深みにはまっていき、広がる一方だ。

夫の収入や現在の立ち位置のみにしか関心がない女性たちの見栄の張り合いが展開され、面白い。

ミンウの我が子の見つめ方に人間としての未熟さを感じる。少なくとも国家権力に楯突いて臭い飯を食ったのだろうに、我が子に対しての人間的な暖かさを感じさせないのが不思議である。

 

意見４　　　　　　　　　　　　室崎　和佳子

 

ミンウと妻との内面の丁々発止が、これでもかと言われるほど描かれている。加えて、近所のおかみさんたちとのやりとりもあるものだから、どんどん深みにはまっていき、広がる一方だ。

夫の収入や現在の立ち位置のみにしか関心がない女性たちの見栄の張り合いが展開され、面白い。

ミンウの我が子の見つめ方に人間としての未熟さを感じる。少なくとも国家権力に楯突いて臭い飯を食ったのだろうに、我が子に対しての人間的な暖かさを感じさせないのが不思議である。

 

意見５　　　　　　　　　　　　豊村　一矢

　

小説『泥濘』は面白い。しかし、解説によれば、韓雪野という人の作品だということなので、紙上合評の対象作品とはならないと思うので意見は差し控えたい。

　この作品を読んで、日本の植民地であった頃の朝鮮のプロレタリア文学に興味を持ち、調べてみたいと思えたことが収穫だった。

 

 

 

 

 

意見６　　　　　　　　　　　　松木　新

 

➀翻訳について

地の文に硬さがありますが、会話部分、とくに妻の会話がスムーズで、読み易い仕上がりになっています。

 

②小説について

朝鮮の転向小説として、興味深く読みました。

１９３３年の佐野・鍋山の転向、３４年の作家同盟解体、転向小説のはしりといわれた村山知義の「白夜」、藤森成吉の「雨のあした」が発表されたのも、この年でした。３４年に逮捕された韓雪野が、転向小説「泥濘」を発表したのが３９年―日本と植民地朝鮮を巻きこんだ転向の嵐の凄まじさに、愕然としました。

〈むしろ棺の上には何も書いてくれないようにと願う〉（３４ページ上段）には、転向者の寂寥感が滲み出ています。

最後のページ。イタチに傷つけられ、頭が血だらけになった鶏を前に、〈「そうだ、あの薬を持ってきてくれ」〉と、ミンウが妻に頼む場面には、転向してもなおかつ、良心を守り通そうとする男の矜恃を、見て取ることができました。

よく理解できなかったのは、〈生まれつき弱い性格〉、〈その性格のために、どれほど哀れな目にあったことか〉（２９ページ）と描写されているミンウが、治安維持法違反で四年間も投獄されたような容疑は何だったのか、が判然としなかったことです。新聞記者としての筆禍事件だったのか、その辺りをもう少し描いてほしかった。

 

 

 

 

　意見７　　　　　　　　　　柏原　竜

 

韓国と日本の夫婦、親子関係は微妙に違い、韓国は熱くてドロドロした感じで日本はサラッとしている感じがした。隣の国、韓国に対しては植民地として大変痛めつけ虐めて迷惑をかけてしまったと思っていたが、隣の国なのに歴史とか風俗とかよく解らない。また、韓流ドラマにはまっている人が自分の周りにはたくさんいるが、この熱くドロドロした感性が引きつけるのだろうか。　

　ミンウの妻は強くてたくましい。子供達もきっと母親に見習って強くたくましくなるだろう。ミンウは何を考え生きて行こうとしているのか、よく解らなかった。

　アメリカやヨーロッパの知識はあっても韓国についてはよく解らない。もっと知らなくてはいけない。

 

　意見８　　　　　　　　　　村松祝子

 

一番近い国でありながらあまり理解していない国、韓国の小説である。主人公はあそこと呼ばれる（刑務所）帰りの思想犯、ミンウである。彼の奥さん達の猥談凄が凄まじい。それが作品の中で延々と語られると彼自身の世間に対する反発と人間対しての希望を失った思いの丈を吐き出しているのではと感じた。

韓国は儒教思想が強いと聞く。

父親の子供に対する暴力も容赦がない。しかしこれは戦前の韓国の姿であって今では通じない話であろう。

最後に鶏とイタチの一騒動を通してミンウは現実の世界に目を向け始めていく。ニワトリが目を開けて体を起こそうとする姿に、ミンウは新しい元気を感じて行くだろう暗示を読者の与えてくれたと思って読了した。

いかにも韓国らしいエネルギッシュな小説で元気なおばちゃん達の庶民の生活が垣間見られた感じがした。韓国を空中から散歩して覗いたような感覚でこの小説を楽しみました。

翻訳されて読むチャンスを与えてくれた後藤さんに感謝します。

 

合評を受けて

　　　　　　　　　　　　　　　後藤守彦

 

例会後、浅野さんから『朝鮮文学選（１）解放前篇』（三友社、一九九〇年）をお借りしました。私が入手した、韓国語で書かれた『韓雪野短編選』にはない「過渡期」が載っていました。あとがきで、例会で話題になった朝鮮プロレタリア文学の評価について、李恢成が次のように述べています。

　彼らの作品は日帝による筆禍を誰よりも蒙り、彼らこそ誰よりも苛酷な文学者としての生涯を送らなければならなかった受難史からも、その民族的気概は刻印されなければいけないだろう。だが、そのことと、カップ（朝鮮プロレタリア芸術同盟）の作品がその文学的形式と方法においてどれほど芸術的成功をおさめたかはおのずと別個の問題であり、これから民族的文学史を再吟味していく過程で、検討されねばならないものと思われる。

　松木さんの評論の対象となった村上春樹は、実は優れた翻訳家でもあります。分野はアメリカ文学ですが、かなりの数になります。午前中小説を書き、午後は翻訳をするといった日々を過ごしたこともあるようです。これは蛇足ですが、翻訳は認知症予防に有効だと言われています。

 

 

 

泉恵子　宮本百合子―関東大震災と婦人運動

 

意見１　　　　　　　　　　　泉　　脩

　

一九二三年九月一日関東大震災が起きた時、百合子は福井県の夫の実家にいた。急いで東京に戻って日暮里の親の家に行き、父親と弟の無事を確かめた。母親と妹は福島にいた。

すでに作家の道を歩み始めていた百合子は、夫との不和に苦しみ、離婚を考え始めていた。女性として自由な生き方を求めていた百合子は、古い考え方の夫に耐えられなくなっていたのである。平塚雷鳥らの女性解放運動が始まっていたが、百合子は全面的には一致しなかった。しかし少しずつ婦人運動に参加するようになり、新しい道に進み始めたのである。

　百合子は長篇『伸子』の執筆を始め、雑誌「改造」に断続的に連載し、一九二六年に完成する。この中で夫との不和の原因を解明し、封建的な家族観と決別するのである。

この頃、ロシア文学者湯浅芳子と出会って親交を結び、同居生活に入る。一九二七年湯浅とともにソ連に行き、西ヨーロッパを経て一九三〇年に帰国するまで、充実した見聞をした。帰国してからは階級的婦人運動を開始したのである。

永年宮本百合子の研究を続けてきた著者は、百合子の苦難の生涯をくわしく書き、特に敗戦後の力強い呼びかけを強調している。戦時中に耐え忍んできた百合子が、真っ先に立ち上がったのである。これは婦人運動だけでなく、自由と民主主義、人間解放の運動の口火を切ったのである。

私も高校生の時に百合子の作品を読み、日本のどの作家よりも心を打たれ、いわば灯台の灯のように励まされてきた。そして海外ではフランスのロマン・ロランの作品に感銘を受けた。二人は人間解放の旗頭だった。

　

　意見２　　　　　　　　　　　石川　節子

 

「百合子」の名前は昔から知っているのに、その、ひととなりは、余り、よく知りませんでした。

泉さんの今回の作品で少し、｢百合子｣の影に近づけたような、気になりました。忍び足だったのでしょうかね。

民文の会場になっている建物の、１階入り口の喫茶店の窓辺の下の小さなお庭に、いつも、風知草が美しい風情を醸しだしていてくれて、行く度に心癒やされるのでしたが、ちかごろは、水を遣らないようで株数がへっています。

「顕治に感謝している」ことが出てくる百合子の小説があり、その小説のタイトルは思い出せないのに、小説に風知草が出てきたことを覚えています。　　

でもやっぱり、まだ私には、｢百合子は、ブルジョアのお嬢様、近づき難いイメージ」が消えず、親近感がもてません。好きになるには、どうしたらいいのでしょうね。

どなたか教えていたがけませんか。

 

意見３　　　　　　　　　　　豊村　一矢

 

泉恵子さんの「読書ノート」は実に緻密で具体的で、勉強になった。

私が宮本百合子という名前を意識したのは高校一年の時だった。家族で長屋造りの職員住宅に住んでいた。隣の奥さん（父の同僚の妻）が、暇があれば私を呼び、宮本百合子のことを熱く語って聴かせてくれたのだ。それだけでなく、百合子の著作を貸してくれたりもした。

高一は１９５８年のことだから、百合子が亡くなって１７年も経っている。この奥さんが相当の百合子フアンであったことは間違いない。

この奥さん、「百合子が亡くなって、二年そこそこで宮本顕治は若い人と結婚したんだよ。十二年の手紙はなんなのさ」と憎々しげに言ったのも覚えている。

私はと言えば、百合子について無知であったから、奥さんの思い入れの強い話に辟易する面もあったが、私自身が後に革新的な思想に傾斜するきっかけになっていたことは否定できない。

そして、周囲を見ると、大学出の女性などに百合子ファンが多い一方、批判的な、特に党派的な視点からの批判が少なくないことを知った。かの戦争が終って十余年過ぎた頃の時代の空気があってのことかもしれないと、今は思う。

　

　意見４　　　　　　　　　　室崎和佳子

 

宮本百合子を知らない人でも泉さんの文章を読むとわかる、という書き方がすごいなとつくづく思いました。わかりやすい言葉を使って文章を綴るということはとても難しいことだからです。おかげで、とても快適に読み終えることができました。宮本百合子に精通している泉さんのなせる技かなと感服しました。

 

意見５　　　　　　　　　　　松木　新

 

百合子の成長過程が、完結にまとめられており、教えられることの多い「読書ノート」です。

注文を二つほど。

➀同時代の女性活動家たちが、百合子をどのように評価していたのか、に触れて欲しかった。

たとえば、『貧しき人々の群』、『日は輝けり』、『禰宜様宮田』を読んだ伊藤野枝は、「彼女の真実―中条百合子氏を論ずー」のなかで、次のように百合子を評価しています。

〈一昨年、中条百合子氏の『貧しき人々の群』が初めて発表されて今日まで、文壇知名の諸家によってなされたその作品についての批評はかなり多く私の眼に止まった。しかも大体において、私をうなずかしめるようなものは一つもなかったといっていい。その真の正直な、美しい情緒と、何物にも妨げられぬ事実に対する鋭い観察力、そういうものに対して、本当に敬意を払った人はまるでなかったように私は記憶している〉

〈中条氏は、たいていの人がその外部だけを見て観念的に形づけてしまっているありふれた事実を、ありふれた「形」を、本当に純な心から、一つ一つ些細な点まで観察し、些細な点まで「感じる」事が出来たのである〉

②百合子が訪ソした１９２７年から３０年は、スターリンが個人専制独裁体制を造り上げたその出発点にあたります。

１９２７年１１月、トロツキー、ジノヴィエフを除名

　　　　　１２月、第十五回党大会

１９２９年　　　　第一次五カ年計画

紹介されている百合子の日記には、こうした政治情勢についてのコメントｈありませんが、百合子は、政治が激変する兆しを、認識することができなかったのか、あるいは、認識しつつもソ連への配慮から書かなかったのか。そのあたりを明らかにして欲しかったです。

あのサルトルでさえ、一時期、ソ連への配慮から、批判的見解を封印していたというのですから。

 

　

 

 

意見６　　　　　　　　　　　柏原　竜

 

合評会で発言された事で次の事が印象に残った。　

　戦前、百合子が転向しなかった一因は経済力があったからだ。それもあるだろうと思った。人間霞食って生きていけないから。お金は大事だ。　

　また、戦前の厳しい時代に百合子が成長できたのは顕治の力が大きい。それを支えたのは強い愛だ、と言っていたがなるほどと思った。

前夫の荒木との苦しい葛藤から生まれたのだろう。百合子はやはり強い人だ。

泉さんの「百合子研究会」は長年にわたり百合子の本を読み続けてきたすばらしい団体だとあらためて思った。

 

　意見７　　　　　　　　　　村松祝子

 

文章の行間から作者泉恵子さんの宮本百合子に対する愛情と尊敬の念がひしひしと伝わってくる。特に後半の婦人運動に対する宮本百合子の呼びかけ文はどの呼びかけ文も当時の革新的な女性たちの背中を押してくれる力になったと泉さんは指摘し、今なおその呼びかけ文は現在に生きる私達の心にも色褪せる事なく響くと書いているがその通りと同感した。

関東大震災当時まだ二十四歳であった百合子がどんな感慨であったか日記にでも記していないか知りたかったが当時東京にいなかったので仔細な事はわからなかったらしい。

しかし後日の日記に周りから不穏な空気を煽られてると自らそれに乗っかりその空気を増長させて行くという箇所は恐ろしいことだ。

正しい情報が得られない時代に自分の頭で考え判断することは不可能に近かったに違いない。

今は亡き義母が実家が神田にあり古着商をやっていて関東大震災に遭遇した。

家の前を五、六人の朝鮮人が数珠繋ぎになって家の前を通って行った光景を物陰に隠れて見ていて凄く恐ろしかったと話ししていた。もっと詳しく聞きたかったと今思う。

戦後百合子は牢獄で過ごした後遺症を抱えながらも婦人運動の呼びかけ文をたくさん書き、かつそれを小説の形にもしたエネギーと情熱に改めて教えられ感動しました。

彼女をそれほどまでにつき動かすエネルギーはなんだったのか？と。

それには呼びかけ文を何度も読み返せねばと、このボケ頭に問うています。

 

合評を受けて

泉　恵子

 

昨年中読書会「宮本百合子を読む集い」の中で、百合子の代表作「伸子」を読んできた。(一年かかってもまだ三分の二位までしか読んでいないが)

その中で感じた疑問の一つに、戦後いち早く婦人たちの団結を呼びかけた百合子なのに、「伸子」の世界には、そういう動きは全くなく、婦人作家として小説を書く仕事をしながらも、実家と自宅という狭い空間の世界であることだった。(だからこそ生まれた「伸子」だった)この時代、百合子は「婦人運動」に対してどう思っていたのだろう、というのが執筆の動機である。

折から「関東大震災」から百年ということで、当時の様子ー特に朝鮮人や社会主義者の虐殺という悲劇がやっとメディアで大きく取り上げられていた。百合子はこの時どうしていたのかという興味で日記を読むと、「私の覚え書」という体験エッセイがあることを知った。

「関東大震災」の体験談は、このエッセイをなぞっただけである。(ジャンルを「読書ノート」とした所以)この時期の「婦人運動」についての百合子の立ち位置ー敬意を表しながらも、自身は積極的には行動しないーも見えてきたが、ではどうして、戦後いち早く呼びかけるようになったのか？

その後の中での目覚ましい成長があるということだが、そこは急ぎ足で活写した形になった。

ソビエトでの三年間と、その後の革命運動に身を投じていったこと。特に夫顕治と引き裂かれた十二年間の中での成長は著しいものがある。

合評の中で「何が彼女をそうさせたか？」という疑問が出されたが、百合子の持って生まれた資質や感受性と、彼女の努力の賜物なのだろう。特に十二年間の、夫婦の愛と知性の結の中にその内実が示されていると思われる。「愛」の力という声もあった。

また、課題も示された。「伸子」と同時代の人びとや作家たちにどのように読まれていたのか?「貧しき人々の群」で、新進気鋭の女流作家ということで有名な存在だったが、評価する人もあり批判者もいた。

「道標」はソビエトの革命後十年目の世界を描いたもので成果と矛盾が示されている。レーニン亡き後の不穏な動きも百合子(作中は「伸子」)の体験の範囲で活写されているが、どちらかというと社会主義建設にいそしむ人々を肯定的に描いていると思われる。

書いた時期は戦後の四八年から五〇年にかけてであり、スターリンの専制主義の矛盾が吹き荒れていた頃だった。日本社会の中ではまだあまり知らされていないが、五〇年には共産党の分裂も起こる。戦後もいち早く反動勢力の動きを察知し、警鐘を鳴らしていた百合子だったが、そのあたり(ソビエトの動き)をどう考えていたのか？今後「道標」を読む場合の課題と思われる。

 

石川節子　後患(あとわずら)い

 

意見１　　　　　　　　　　　泉　　脩

 

　昭和二十七年四月北海道東部の散布(ちりっぷ)小学校に、四人の新任教師が赴任した時の話。小柄な男の教師が、受け持ちの教室に行くやいなや、いきなり生徒たちに暴力を振るった。軍隊で散々やられ、それを生徒にぶつけたのである。暴力教師に校長も、ＰＴＡ会長も手をこまねいていた。生徒の兄が怒鳴り込んで、その教師を追い出した。

　作者の実体験だが、敗戦後七年も経ってからの出来事とは信じがたい。それほど日本の軍隊は苛酷であり、兵士の人権など無いに等しく、異常な人格にしたのだろう。

　私は小学校四年の時に、東京から道南の森町に疎開し、四年の三学期から小学校に通った。そして五年の八月に日本は降伏し、二学期から担任が変わった。

その教師は特攻帰りで、暴力は振るわなかったが、暗く投げやりな教師だった。級長だった私は、以前からクラスの集金をやらされていたが、なんとテストの採点までやらされたのである。びっくりしたがやるしかなかった。学校に残って、けんめいに採点した。自分の答案まで。六年に札幌へ移るまでの半年あまりだが、この様な有り得ない経験をした。

　高校でも特攻の生き残りのＷ先生に英語を習った。東大出とのことで、授業はよかったし、特攻体験談がすごかった。柔道が強く、柔道部の生徒との試合は凄まじかった。Ｗ先生は後に釧路市長になった。

　この作品の教師は極端だが、どれだけ多くの男たちが戦争で命を落とし、人格を歪められたことだろう。日本の近代化は無理があり、周辺の民族を苦しめ、自国民をも苦しめて、なんとか達成したのである。この作品は、短い中に印象的にこのことを表現していると思う。

　　　　　　　　　　　　

　意見２　　　　　　　　　　泉　　恵子

 

合評の最初に、作者からほとんど事実です、との言葉があった。

一九二七年、軍隊帰りの教師「輪塁善助」(この名前は如何か？の意見もあった)の、問答無用の生徒への体罰が生々しく活写される。

具体的描写が活き活きしていて、ひどい教師ぶりが浮き彫りになるところは、作者の筆力を感じさせる。

母の言葉「戦争の後患(い)を病んでいる人が、…… (略)可哀想にね。これだから戦争は恐ろしいんだよね」の言葉が印象的だ。

日本の軍隊がどんなに野蛮で、粗暴なところだったか、この「ワル」の骨の髄まで沁みとおってしまった「暴力」が物語っている。おそらくそのようにされ、またそのようにしてきたのだろう。

犠牲になった生徒達も可哀想だが、最後には追放されてしまう「ワル」の心境はどんなだったのだろうか。子供の視点からの描写なので、そこまで踏み込むことは難しいかもしれない。が、大人の視点も入れて、戦争体験者の人物像をもっと掘り下げてほしいという感想もあり、同感である。

 

　

 

 

意見３　　　　　　　　　　　　室崎和佳子

 

常日頃から思っていたことですが、節子さんは作中人物の名前付けが非常にうまい。

輪塁善助(わるいぜんすけ)などという名前と字合わせをよくぞ思いついたな、と感心します。ユーモアとゆとりを感じさせます。

小さい子供達の中では威張っていても、大人同士の力関係の中では威張ってはいられません。立ち去るしかありませんでした。

しかし村の人は優しい。バス賃を心配して何枚かのお札を握らせたのですから。

 

意見４　　　　　　　　　　　　松木　新

 

よく出来た短編小説だと思います。一つひとつの場面を、映像としてくっきりととらえることができました。

〈「あれえ、戦争の後患(あとわずらい)を病んでいる人が、今でも、こんな身近にも居るんだねえ。可哀想にね。これだから、戦争は恐ろしいんだよね」〉のセリフに、この作品の主題が凝縮されていると思いました。

小学五年生としてはどうか、と思われる用語―「燃え上がるような烈しい覚悟」、「伝播」などが気になりました。

最後の場面、〈誰も校庭に出ようとしない〉〈全員。うつろな目で。席に着いている〉状況については、もう少し、丁寧な描写が必要だと思いました。抗議のための行動だが、やってしまった自分たちの行動に不安を感じていると理解しましたが、抗議行動のきっかけみたいなことを挿入すると、よかったのではないか思いました。　

 

　意見５　　　　　　　　　　柏原　竜

 

教師による生徒へのひどい体罰があった事を知って驚いた。校長やＰＴＡ会長が子供達を守ろうとしない。ひどい。この教師は戦争の後患いと言って軍隊生活の後遺症だそうだ。軍隊の中では、日常的に激しい体罰がなされていることは知っていたが、戦後七年たってもその後遺症を引きずっていた。作者の石川さんはこれは全く事実だと言っていた。

　このような戦争の後患いの人を教師に採用したのは、当時の教師不足のせいだそうだ。校長たちの不甲斐なさの中で、下宿屋の親父さんと鉄男君の兄さんが学校に来てこの教師を追い出してホッとした。

この二人がいなかったら体罰はまだずっと続いていたかもしれない。

いじめは止めに入らないとどんどんエスカレートして続いてしまうそうだ。

現在も人目につかない陰湿ないじめがあるそうだが、気が付いたら声を上げていかなくては。

 

　意見６　　　　　　　　　　　村松祝子

 

「後患い」という題名を読んで私は病を想像して主人公の病後の人生かなと‥‥単純に想像した。

しかし作品はそんな単純な世界ではなかった。戦後七、八年経った北海道の東の果て散布(ちりっぷ)小学校で起きた軍隊帰りの教師の物語である。

小学校五年生の桃子の目を通して軍隊帰りの教師は凄まじい軍隊内で経験したであろうシゴキを生徒たちにする。

桃子が主人公かと思ったが、この小説の主人公は教室に乗り込んできた「与太」だと思った。理路整然と輪塁善助に向かって啖呵を切るところはまさに現代に通じる教育の基本かと思う。「学校は先生だけのものでない。村の人達みんなのものだ」と。

七、八年経ってもなお軍隊での経験が昨日の事として甦る病も哀れであった。一言も言わず海霧に中に消えて行く姿は詩的表現だと思った。

暗い題材であるが明かるく纏められているのは主人公、桃子の目を通して描かれているせいと思った。時々五年生の児童にしたら大人びた思いや考えが描かれているがこれはつい作者の本音が現れたのであろう。名前を輪塁善助と付けていたがこれは作者の遊び心かなと思った。

解りやすく最後の子供達の喜びの涙にホッとして読み終えた。

 

合評を受けて

　　　　　　　　　　　　　　　石川節子

 

始め、題名を「暴力先生」か、「泣き笑い」にするつもりでした。書き進むうちにこの先生の暴力は戦時中の軍隊での暴力被害による、トラウマでもあるらしいことに気が付き、母がよく口にする「あとわずらい」になりました。

今回、紙にプリントしないで、全て、パソコン上だけで仕上げたら、ダメですね。句読点始め色々、誤りが多い。一行すっぽり抜けているところさえあ在る。

例えば、六三ページ下段、左側最後の部分。スカートにソックスだけの人もいます。

「どれだけ、痛かったことか」

ワルは今日も張り切っています。と、なるはずでした

六十五ページ下段、左から七行目、グランドの外では、は、〈外では〉でなく、〈端では〉　です。校長はグランドの周りを畑にして生徒のボールなどが転がり入ると、烈火のごとく怒りつけるのです。

この作品は、実際に在った事を思い出し、ルンルン気分で書き出したのですが、思いだすごとに腹が立ってきました。

おまけがあります。私が四十歳にも成った頃、釧路の私の住む地区に、消防地区団長としてワルが現れたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

投稿欄

 

 

池戸豊次『水のまち』

心にしみる夫婦愛　　　　

泉　　脩

　

　二〇一九年に発行された長篇小説。岐阜県郡上市を舞台にした、三十代の夫婦の、心に沁みる夫婦愛の物語で、さわやかな読後感に包まれる。

　一九九五年の阪神淡路大震災の十数年後、郡上八幡の隣りの山村で、水道屋を営む三十代の夫婦、本田直(なお)次(じ)と妻のキシが主人公である。

　直次は祖父の代から三代続く水道屋で、三十九才。村中の家の水道修理をして人々から親しまれている。

妻のキシは、郡上八幡の食事処長崎屋の孫娘で、両親と共に神戸で勤めていたが大震災で被災し、同じ職場で働いていた婚約者の大阪の実家に移り住んだ。しかし婚約者の不実を知り、妊娠していたキシは郡上八幡の祖母を頼った。幼いころから、しばしば郡上に来ていて、祖母にかわいがられていた。キシは祖母の家で流産してしまう。

やがて幼なじみの直次と再会し、結婚を申し込まれ承諾する。それから七年が過ぎる。二人は協力して働き、才覚のあるキシは次々と揉め事を解決し、人々に愛され、直次の大切な片腕になる。その経過が詳しく書かれ、直次とキシの人柄が見事に書かれている。

第四章「憂いの王」がこの作品の山場になる。

直次とキシは、村で行われた芝居に出る。二百五十年前の江戸時代に起きた郡上一揆が、取り上げられている。郡上藩の重職たちが年貢を引き上げ、百姓たちが一揆を起こして四年も続くのである。

若い藩主の金森頼(かなもりより)錦(かね)は、お忍びの中で十五歳の娘に恋をする。しかし一揆が起こり、会うことができなくなった。やがて村人の直訴で一揆は終るが、幕命により改易処分となり、藩主は南部藩に預けられ生涯を終える。

この村芝居では直次が藩主になり、キシが相手役をして、最後は藩主の亡霊と年老いた村娘が再会して幕が下りる。歴史上の事実である郡上一揆だけに、村芝居は盛り上がり、村人は熱狂した。小説の読者も共に深い感銘を受けるのである。

最後の第五章「寒晒(かんざら)し」では、直次が仕事中に転倒し、頭を強く打ち、一時記憶が無くなった。キシは慌てて車で郡上八幡の病院に連れて行く。ＣТ検査で異常はなかった。次の日退院し、帰る途中に鯉のぼりの寒晒しを見る。二人はしみじみとなって帰宅し、キシはかつての流産の告白をする。直次は気にせず、自分に異常が無ければ不妊治療をしよう―と提案する。二人の夫婦愛が身に沁みる結末である。

この作品は、郡上八幡と隣の山村の川の風景が繰り返し描かれている。子供たちが、十三メートルもの高さがある橋の上から、次々と飛び込む風景。山村の川での「火振り漁」という鮎捕り。そして布作りの職人たちの「寒晒し」。村芝居の中で、浪人と偽った領主が村娘に櫛を渡そうとした時、一揆の知らせで櫛を水の中に落とし、後に亡霊が現れ、櫛を水の中から拾い上げて老女に渡すシーン。飛騨山脈から流れ出る急流が、この小説を味わい深いものにしている。

郡上に生れ育ち、現在も郡上に住む作者の、並々ならぬ故郷(ふるさと)への愛がうかがえる立派な作品だと思う。そして朴とつな直次と、実(じつ)のある美しいキシの心根が、なんとも清々しい読後感を与えてくれる。

私は五十年以上も連れ添った妻を失い、妻の長い入院もあって、独り暮らしが十九年目に入っている。私は直次ほど立派ではないが、亡くなった妻はキシにそっくりである。この小説の夫婦が、やがて子どもに恵まれ、幸せに生きていくことを願って止まない。

作者の池戸豊次さんは、『民主文学』二〇二三年十月号に「白い道」を載せ、札幌民主文学会の例会で合評をした。そして会員の感想を通信に載せ、池戸さんに送った。すると丁寧な礼状と共に、この本を寄贈してくれた。拝読し、私は大きな感銘を受けたのである。

『民主文学』に毎号載る作品は、どれもとてもよい作品である。私は文学に目覚め七十年も本を読んできたが、日本の現実に根差した日本民主主義文学の作品が、とても好きだ。心を打つ作品が多くある。池戸さんのこの本のように、立派な本が更に増え、日本民主主義文学が続いていくことを願って止まない。

旭爪あかねさん、山形暁子さんが亡くなり、北海道でも西浦妙子さんなど、七〇代から八〇代の民主文学の会員が次々と亡くなっている。池戸さんはまだ六〇代初め。今後も高い峰を目指してがんばってほしい。近く九〇歳になる私も、まだまだ読み、書き続けたいと思っている。

　

 

今になって初めて知った言葉

後藤守彦

【国際霊柩送還】

北広島九条の会が発行している「九条だより」を毎月お届けしている町内の方が、最近貸してくれたのが、開高健ノンフィクション賞を受賞した佐々涼子の『エンジェルフライト　国際霊柩搬送士』（集英社、二〇一二年）。「国際霊柩送還とは、海外で亡くなった日本人の遺体や遺骨を日本に搬送し、日本で亡くなった外国人の遺体や遺骨を祖国に送り届けること」である。どんなに傷んだ遺体であっても丁寧に処置しきれいにして遺族に引き渡す、遺族に最後まで寄り添う、「国際霊柩送還の仕事とは、遺族がきちんと亡くなった人に向き合って存分に泣くことができるように、最後にたった一度の「さよなら」を言うための機会を用意する仕事なのだ」。佐々は語る。

 

　　　我々は亡くなった人の体に「魂」とも呼ぶべき、命の残響を聴いてしまうものなのである。ほとんどの人は、いざ親しい人の死に直面すると、「魂」がまだどこかにあると感じてしまうものではないだろうか。だからこそ手を合わせ、懇ろに弔うことによって、その人の「魂」を慰めるのだ。その「魂」というものは、遺された人間が亡き人を愛するがあまり作りだした幻にすぎないのか、それらしきものが本当にあるのかは、私にもわからない。

 

佐々の、本屋大賞ノンフィクション賞を受賞した『エンド・オブ・ライフ』（集英社インターナショナル、二〇二〇年）もお借りしたが、引き込まれるようにして読んだ。

 

【プラットホーム】

これは既に存在した言葉だが、新しい意味をもつ言葉となった。毎月開かれている、北広島九条の会の学習組織まなび座では、テキストを読み合わせ、自由に議論している。今使用しているテキストが堤未果の『デジタル・ファシズム　日本の資産と主権が消える』（ＮＨＫ出版新書、二〇二一年）で、最新刊ではないが、依然として売れている。書名からわかるように、「ブロックチェーン」（正しいデータを守るシステム）から始まって、ＩＴ用語が次々と出てくのだが、この「プラットホーム」を選ぶことにした。新しく加わった意味は、「コンピューターの本体などを動かす際の基本的な設定や環境」だが、本書での最初の用例が「政府共通プラットホーム」で、各省庁や地方自治体のデジタル情報を一つにまとめるものとされている。

堤は「「今だけ金だけ」の強欲資本主義が、デジタル化によって、いよいよ最終ステージに入るのが見える」「デジタルは「ファシズム」と組み合わさった時、最もその獰猛さを発揮する」「わかりやすい暴力を使われるより、便利な暮らしと引きかえにいつの間にか選択肢を狭められてゆく方が、ずっとずっと恐ろしい」と警鐘を鳴らす。

 

【弄便】

『北海道新聞』二〇二三年一二月四日号の特集記事「言葉の現在地２０２３　老いる家族を見つめる」の中で、森鷗外の孫の小堀鷗一郎医師が、介護はきれいごとではない、「介護する側にとって、徘徊や暴言はある程度我慢できても弄便されると手に負えない」と語っていた。「老人文学の嚆矢」（鈴木斌『老人文学論』菁香堂、二〇一一年）と評価されている、半世紀前に出版された有吉佐和子の『恍惚の人』（新潮社、一九七二年）にも出てくる。その頃は認知症ではなく、老人性痴呆と言われており、その最悪の事態が、「自分の排泄物を食べたり、躰になすりつけたり、あるいは幼児が泥遊びするように、丸めたり投げたり壁に塗ったりする現象」であり、これが「弄便」である。『恍惚の人』では、舅の茂造を在宅で献身的に介護してきた、長男の妻の昭子が、茂造がオムツからもれでた大便を畳に塗り付けているのを見て呆然とする場面が、終結部に用意されている。それでも昭子はめげない。父と同じになるのでは危惧する、昭子の夫信利は思う

 

　　実を結んだ後は、枯れて朽ちる。枯れるのはいい。枯淡の境地とは望むところだ。そして朽ちるのが死を意味するなら、これも自然だ、甘受したい。しかし病葉が裸木の枝先にからみついてただ一枚残っているような、あるいは赤く熟れた柿の実が人の手の届かない高い木の枝にひっかかって、そこで醜い姿をさらしながら饐え腐っていくような、そういう彼はぐれ、朽ちそこないにはなりたくない。枯れたら潔く地に落ちて死にたいものだ。

 

しかし、現実はままならないのではないか。前掲の特集記事には、作者不詳の世界中に広まった、『手紙ー親愛なる子供たちへ』と題する詩が紹介されていた。「あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように　私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい」、このフレーズが胸に響いた。

 

【クロニクル】

『猫を棄てる　父親について語るとき』（文藝春秋、二〇二〇年）を読んでから、敬遠していた村上春樹に目を向け始めた。中国戦線で戦った父から聞いた捕虜処刑の事実を受けとめて、村上はいう。

 

　　いずれにせよその父の回想は、軍刀で人の首がはねられる残忍な光景は、言うまでもなく幼い僕の心に強烈にやきつけられることになった。ひとつの情景として、更に言うならひとつの疑似体験として。言い換えれば、父の心に長いあいだ重くのしかかってきたものを−−−現代の用語を借りればトラウマを−−−息子である僕が部分的に継承したということになるだろう。人の心の繋がりというのはそういうものだし、また歴史というのもそういうものなのだ。その本質は〈引き継ぎ〉という行為、あるいは儀式の中にある。その内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるだろう？

 

村上の真摯さを感じた。そして松木さんの評論

「『街とその不確かな壁』が問いかけるもの」（『奔流』三〇号）が背を押してくれた。未読の長編や短編、さらに村上が翻訳した小説に挑戦し続けている。

村上作品は、現実と非現実との行き来があったり、幽霊が登場するなど内容は複雑・難解だが、文章は平易である。だから、今のところ本文で未知の言葉に出合ってはいない。「クロニクル」はタイトルで使われているものである。その作品名は、ノモンハン事件が織り込まれている『ねじまき鳥クロニクル』（新潮社、一九九四・九五年）で、三巻からなる長編小説である。「クロニクル」は、『広辞苑』には「年代記。編年史」とある。

 

【ポグロム】

昨年一二月二三日、北広島革新懇主催の、二〇一一年から二〇二二年まで一四回の支援活動を行ってきたパレスチナ医療奉仕団の団長である猫塚義夫医師の講演会があった。演題は「ガザの、パレスチナの命を救え」であった。言及されなかったが、レジュメにこの言葉があった。高校の世界史の教科書で使われている歴史用語を網羅している『世界史用語集』（山川出版社）には載っていないが、和田春樹の『ロシア史』（山川出版社、二〇〇二年）には、三か所で叙述されていた。この歴史書は以前に読んでいるので、今初めて知った言葉ではなく、正しくは、私が忘れていた言葉と言えよう。手元にある『角川世界史辞典』の解説の前段は次の通り。なお、ポグロムはロシア語である。

 

　　　ロシアのユダヤ系住民に対する集団的略奪・暴行・虐殺、社会不安と反ユダヤ主義がその背景にある。一八八一年、皇帝アレクサンドル二世暗殺を機に、キエフを中心に一カ月間にわたり出稼ぎ農民・労働者が引き起こし、八二年政府のユダヤ人権利制限をもたらした。

 

　以下、一九〇三年、〇五ー〇六年、一七―ー二一年の虐殺が叙述されている。だが、ホロコーストがあったからといって、イスラエルの蛮行は決して許されない。講演の中で、猫塚医師が強調していたのは、ハマスがイスラエルを越境攻撃した一〇月七日からの状況を見るのではなく、イスラエルが一六年間ガザを占領し、「天井のない監獄」の状態に追い込んでいること、さらにさかのぼって、一九四八年の建国以来、イスラエルがパレスチナの人びとを攻撃し続けていること、こうした歴史を考えてほしいということだった。翌日、北広島駅前でイスラエルへの緊急抗議行動があり、手作りのボードを持って参加した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『新カラマーゾフの兄弟』が面白い

　　　　　　　　　　　　　　　　　松木　新

 

昨年末、「赤旗日曜版」から、大江健三郎「親密な手紙」（岩波新書）の書評を頼まれたので（１月２８日付に掲載）、大江健三郎について、少し調べて見ました。沼野充義との対談で、彼は何年かごとにドストエフスキーの全集すべてを読み直していること、もし『カラマーゾフの兄弟』の第二部が書かれたら、アレクセイ（愛称アリョーシャ、カラマーゾフ家の三男―引用者）は、〈二十一世紀の私たちが希望を託しうるような人物として書かれただろう〉と発言していることを知りました。

 

〈私はドストエフスキーもまた、あの困難な時代において、「意志的な楽観主義」をもって死んでいったのだろう、と思う。もし第二部が引き続き書かれていたとしたら、アレクセイは二十一世紀の私たちが希望を託しうるような人物として書かれただろうと考えます〉（「ドストエフスキーが二十一世紀に残したもの」―『21世紀ドストエフスキーがやってくる』）

 

『カラマーゾフの兄弟』（以下『旧』）については、亀山郁夫訳（光文社古典新訳文庫）に心酔していますが、彼が大胆にも第二部の小説化に挑戦し、２０１５年に、『新カラマーゾフの兄弟』（河出書房新社―以下『新』）として出版したことが、気になっていました。如何せん、上、下二冊で１４００ページを越える大作なので、なかなか読む時間を取ることができませんでした。書評を書き終えたところで、この機会を逃してはならないと、十日間ほどで、一気に読み終えることができました。

阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きた１９９５年の日本を舞台に、十三年前に起きた父殺しの犯人を探すミステリーとして、「黒木家の兄弟」の物語が展開していきます。小説の構造は、『旧』そのままですが、自然災害、オウム真理教に翻弄される人々の思想にまで踏み込んでいるところに、この小説の特徴があります。

父親殺害の実行犯は、父親の私生児ではないかと思われている須磨幸司（『旧』のスメルジャコフ）ですが、作者は黒木家の三兄弟全員、長男ミツル（ドミートリー）、次男イサム（イワン）、三男リョウ（アレクセイ）にも罪があるとしているところに、この小説の面白さがあります。作者は、このことを〈『オリエント急行殺人事件』を思わせる構造〉だといっています。

その場合、キーワードになっているのが、〈使嗾(しそう)〉と〈黙過〉です。

〈使嗾〉とは、〈指図してそそのかすこと。けしかけること〉（広辞苑）です。この作品では、『旧』と同じように、次男のイサムが私生児の幸司を〈使嗾〉したとされていますが、『旧』と異なるのは、ミツルとリョウが幸司の犯行を〈黙過〉したとされていることです。その理由として、彼らの潜在意識のなかに、父殺しの願望があったことが挙げられています。

『旧』でも、『新』でも、「父殺し」が主題になっていますが、難しいのは、「父殺し」をどのように理解したら良いのか、です。『新』では、『旧』のゾシマ長老を模したと思われる嶋省三の言葉が紹介されています。

 

〈「父殺しは、人間が、生きるために、そして、人間が、人間であるために、必要な、条件なのです。父殺しが、禁じられたとき、いや、殺されるべき、父が、消滅し、見失われたとき、人間は、悪魔に、人間社会は、悪魔たちの、支配に、委ねられる」〉

 

この文章をどのように解釈したら良いのか、課題として残されていると思いました。

 

『新』には作者の分身として、大学助教授のＫが登場します。Ｋの恩師であるロシア文学者Ｘとの交歓が、もう一つの読み物になっているところにも、この作品の魅力があります。Ｋを亀山郁夫、Ｘを原卓也と想像すると（Ｘについて書かれていることは、すべて、原卓也の史実と合致しています）、原卓也の生き様がよく分かり、とても参考になりました。

２００４年１０月２６日、Ｘが他界し、Ｋが弔辞を読みます。その中に次の一節があります。

 

〈トルストイの小説『戦争と平和』の原稿四千二百枚をきっかり三百六十五日で訳した逸話、ペレストロイカ前夜に話題になったベストセラー小説『赤の広場』を翻訳した際、屑籠に散った原稿用紙がわずか一枚だったというエピソード〉

 

『赤の広場』は初耳だったので、ネットで調べたところ１円でしたので、早速購入し、読んで見ました。作者によると、この作品は〈一九八二年一月十九日から二月三日までの間にあやうく起きるところだったクレムリンのクーデターについての推理小説〉とのことです。

この時期のソ連の状況は次の通りです。

 

１９８２年１月１９日、ブレジネフの義弟にあたるＫＧＢ（ソ連の情報・防諜機関―引用者）第一次官ツヴィグーンが急死

１月２５日、共産党中央委員会書

記スースロフが死去

１１月１０日、　ソ連国家元首ブレジネフが急逝

１９９１年９月、ソ連共産党が解体、日本共産党常任幹部会声明は、

               「もろ手をあげて歓迎すべき歴史的出来事」と表明

１９９１年１２月、１５の民族共和国からなるソ連邦が解体

 

この小説は、主人公であるソ連検察庁特別重要事件捜査検事シャムラーエフによる、ツヴィグーン急死の真相解明を中心的なストーリーとして、ブレジネフ政権末期の緊迫した時期を扱っています。

物語の展開は省略しますが、当時のソ連の実態について、興味深い記述がありますので紹介します。

➀治安状況

〈モスクワでは毎日三、四件の計画的殺人、数十、数百の暴行や強盗、統計によれば大小の不良行為が四千件も起こっているのだ〉

 

②若者たち

〈薄暗いホールの上にたちこめる煙草のもうもうたる煙の中で、狭苦しく立ちならべたテーブルの前にびっしり坐っているのは、十六歳から十八歳くらいの娘や若者たちだった。彼らの前のテーブルにのっているのは、ソ連のジグリュフスコエ印のビールかアイスクリーム、せいぜいよくても安物のワイン「アリゴテ」だった。だれもが立てつづけに煙草をふかし、話し合い、ステージではジャズバンドがけたたましい音を立てていた。ロシアの農夫とも、アメリカのカウボーイともつかぬ異様な風体の五人のジャズマンが、それぞれの楽器から絞りだしていたのは、ジャズ編曲でほとんど見分けもつかなくなった愛国的な青年(コム)共産(ソ)同盟(モール)の歌『グレナダ』だった。こうして当事者すべての利害は守られているのだ。市の文化管理部にだされる毎日のバンドのレパートリーはイデオロギー的に正しいものに見えるし、きき手にとっては歌の内容など意味を持たなかった。このジャズマンのお兄さんの手にかかれば、グレナダでさえ完全に「外国的に」ひびくからだった〉

 

③監視体制

〈ロシアから出た千七百万人の人間が外国で暮らしているのだから、たとえその反数だけが年に一通ずつ、懐かしいロシアに手紙を書くだけでさえ、監査部（ソ連通信省郵便同封物検査部―引用者）には八百万通以上の手紙が殺到するわけだし、その一通一通を、開封の痕跡を残さぬように開いて、目を通し、名宛人に届かせてやるべきか、やるべきでないかを判断し、しかもどんな場合でもコピーをとって、ＫＧＢの特別部に送らねばならないのである〉

 

④政治的頽廃

〈ここ一八年の間に、党機関は実際、収賄者の派閥と化してしまったからね。連中にとって、ブレジネフ時代は正に黄金時代だよ。スターリンに関しては何がどう言われようと、スターリン時代には党の役職が売り買いされることはなかったよ〉

 

スターリンについては、少し以前に読んだノーマン・ディヴィス『ワルシャワ蜂起１９４４』のなかで、大戦末期のアメリカでは、スターリンが「アンクル・ジョー」として善玉扱いされていたことを知り、愕然としました。

 

〈１９４３年１月のカサブランカ会談以降、ヨーロッパにおける大連合の政治目標はナチス・ドイツを無条件降伏に追い込むことだった。ドイツに無条件降伏を迫る方針は、不幸なことに、ソ連のイデオロギーである反ファシズムとアメリカ人のマニ教的な善悪二元論の両方に合致していた。その結果、驚くべきことに、スターリンは「アンクル・ジョー」として善玉扱いされ、スターリンに反対する者はトラベルメーカーとして退けられるという風潮が生まれた〉

 

こうした風潮を厳しく批判したのがジョージ・オーウェルです。彼はそうした状態は、〈スターリンに対する心理的な麻痺状態〉と指摘していたということです。スペイン市民戦争、とくにカタロニアでのたたかいで、彼がスターリン主義の弊害を実体験したことから、こうした見方が可能だったのだと思いました。

 

Ｘの死から一年後の２００５年１１月、Ｋは『旧』の翻訳に着手します。これが２００６年９月、亀山郁夫訳の光文社古典新訳文庫『カラマーゾフの兄弟』として日の目を見るわけです。

Ｘ（原卓也）訳の『旧』はすでに出版されていましたから、Ｋの行動は、恩師の翻訳を乗り越える、ある意味、〈父殺し〉にあたるのではないか、と思いました。